無病息災磯納豆(1/8)
今日はのろのろと起床してから洗濯をして、ピアノの練習。それからプチトマトと目玉焼きとアサイーボウルを食べた。今は広島へ戻る新幹線の中でこの日記を書いている。好きな家事は順番に、お皿洗い(殿堂入り)、ゴミまとめ(捨てるまで)、洗濯(干すまで)、掃除機かけ、整理整頓、料理、水回りの掃除、洗濯(取り込み)という感じ。東京の家は浴室乾燥の機能がなくエアコンの風で洗濯物を乾かすため、洗濯(取り込み)の地位が向上しつつある。乾いたものから三段階に分けて少しずつ取り込むのだが、その度に乾きやすいように干し方を変えて行く作業が爽快で、大変に良い。私がもう少し神経質でなければ、ベランダで干せたら気持ちが良さそうに思う。
ところで、季節のしきたりに関心の薄い私でも、毎年楽しみにしているものが幾つかある。そのひとつが七草粥。でも今年は、何十年振りに七草粥を食べなかった。「無病息災を祈る」ために他に食べたいものがあったからだ。
昨年とある方と仙台で久しぶりに再会した。その時、その人が好物なのだとくれたのが井上海産物店さんの"磯納豆"。私は人に物をもらうと、物質的になくなることを喪失のように感じてしまい、いつまでも飾ったり大切にしまっておく癖がある。しかしながら、流石にどう考えても食品はさっさと頂く方が美味しいに決まっているので、賞味期限にはなんとか間に合わせるよう、いつも自分を説得している。世武にはつくづく骨が折れる。物に執着しないわりに、変なところで聞き分けがなかったりするからだ。
夏のある日、この"磯納豆"をくれた方が病気で亡くなったとの報せを受けた。私は無駄話や理論的な話では口達者なのだが、感情は景色としてインプットしているためか、これを簡潔に整理して言葉で説明するのがとても苦手だ。この報せにもろくな言葉を返せなかった気がする。その人がくれた磯納豆と、手紙と、くるっとした瞳をぼんやり思い出していただけだった。
いつ食べようかと迷っている間ずっとキッチンに飾られていた磯納豆は、食べてしまっては惜しいと言う気持ちに拍車がかかった私のせいで、さらに焦らされていた。(正直言うと賞味期限は2023年11月だった)
一方私は、この磯納豆(と、その人)も年を越すべきなんだ!と全く理屈の通らない熱い気持ちに取り憑かれて、お正月の晩餐にしようと決めた。まあ、だいたいの乾物は数ヶ月くらい期限が切れたって大丈夫だろう。(昆布とか煮干しとか、よく切れても使ってます)
実際に元旦を迎えると、晩餐などするような状況ではなくなり、その翌日も翌々日もなんとなく食べ損ねて、ならば私の誕生日に…と考えたが、当日になると違和感がすごくて(磯納豆を記念日にしたかったわけではない)、スーパーで七草を見た時にようやく「ああ、食べるべきは7日だったのね」とすごく腑に落ちたのだった。(腑に落ちるまで落とせない、については数日前の日記参照のこと)
そんなわけで、これからも自分が生きていられるうちは精一杯に生きる、とその人に約束しながら、無病息災を祈って丼一杯の磯納豆を頂いた。あとでパッケージを見たら"4人分"と書いていたので、400年くらい生きるかも知れない。