完璧主義の終焉(7/6)
さて、さて、日記の更新がとても遅くなってしまった。完璧主義の私には珍しい事態である。
今までであれば絶対にあり得ない珍事なのだが、フランスに来て、さらに「ええやつ」に出会って以来、色々と生き方を見直してみようと画策をしたことはいつかの日記で触れたと思う。その中のひとつに、この「過剰な完璧主義」も検討事項にあがっていたのだ。
完璧主義であればあるほど、仕事で上手く行かなかった時のダメージは大きい。私の仕事のように「完全結果主義」にならざるを得ない者にとっては、この強すぎる責任感もなまじ無駄ではなくって、むしろ、諦めずに戦う心はとても大切だ。
とはいえ「生きる」ことをもっと大きな視点で捉えた時に、生まれて初めてこの点に疑問を持つことになった。もう少し気楽に、楽しんでも良いのかも、と。こんなふうに思わせられることは今までなかったものだから、「ええやつ」の人間的な器の大きさ、芯の気前の良さに大きく影響され、また影響されていることを嬉しく思うのだった。
リヨンとパリを行き来している「ええやつ」だが、週末はパリに来るというので土曜日にリヨン駅に迎えに行く。仕事があるなら僕がいても気にせずやってたら良いよ、という気前の良い言葉を頂いていたが(一見当たり前の、普通のことのように響くが、リヨンからわざわざ私に会いに来ているのに仕事でほったらかしにされたとしても別に構わないと言える度量の大きさは、実は普通ではないと思っている)今回ばかりは日々もらってるものが多すぎて自分もできることはしたくなって、仕事は金曜日までにやったし、次は月曜にまた一人になったらリスタートしようと最初から決めていた。
これも言葉にすると当たり前の話だが、この人を見ていると「人に快く、まず自分から与えることを惜しまない」豊かさを感じるし、結果的に(私がまさにそうであるように)「私だって何かしてあげたい」と考えるようになる。
今日も散歩の途中でホームレスの女性に2ユーロコインを渡しながら「色々大変な社会だけど、負けないで。頑張って!」と声を掛けていたし、レストランでサーバーの外国人男性に突然「身体は大丈夫?外国へきて、あまり話せないのに体力仕事してて大変だね!よくやってる、頑張って!」と声を掛けて硬く握手なんかしたので「なんでそんな質問したの?」って尋ねると、彼の歩き方や何本か欠けている指、過剰な謙りとか頻繁に水を飲んでいる姿を見て、何とかっていう病気(病名忘れてしまったけれども)だと思ったから、僕はそういうやつには声を掛けずにはいられないと言っていた。
まあ、そんなエピソードが一緒にいるだけで無数に発生している。
本人にそんな言い方は絶対しないけれども、私にとって人生の学びの師のような存在なので、その人と一緒にいる時間は限られているのだから、その時間を優先しようと思ったのである。
説明が長くなったが、そんなわけで後追い日記としてまずは土曜日の分として書き記す。
この日は「中国料理が大好き!」というええやつとチャイナタウン的なところに繰り出し、勘で選んだお店が大当たり。とても美味しく頂いた。中国料理店でも、あまりフランス語が話せない中国人の店員にジョークを言って和ませたり、料理の腕前がどれほど優れていたかを賞賛していた。人の心を開くのがとても上手いし、結局隣にいる私も(彼と連れているから)同じように親切にしてもらうという恩恵を受けている。
映画を観に行くかという話になったが、二人ともめちゃくちゃ喋りすぎなため、結局だらだらと散歩しながら恐ろしく時間がすぎて一日が終わった。
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