ラブアンドピースの闇

私には血の繋がった兄弟の他に3人腹違いがいる。

母との離婚後に元父親は2回結婚し、子宝に恵まれた結果だ。

そして、元父親はモンスターらしく思考がトんでいた。未だに何を考えているか分からない気持ち悪さがある。
「ラブアンドピース」という言葉があるが、その解釈を間違えている、というより彼なりに解釈したラブアンドピースを家族や周囲に押し付ける。

前妻の子どもに現在の奥さんと子どもをわざわざ引き合わせて「仲良くしてなさい」と言うような男だ。

短大の時、父方の祖父母に呼ばれ正月に家に行った事がある。

何で行くの?って思うでしょ。

私もなんで呼ばれたの?って思う。

それはモンスターの祖である元父親の弟、叔父から脅しのように頼まれたからだ。

「行かない」と言う私に対して、叔父は威圧的に「俺がこんなに言ってるんだから来いよ、家族だろう」とキレ気味に脅されたのだ。

叔父は基本的に私たち兄弟を怒る事はなかった、でも何故か祖母の家に行く事を拒否するのは許されなかった。

そもそも、家族というても…お前の兄貴の不貞で我が家は既に別れていますやん。

そして、姪を脅す叔父…さすがモンスター一門だわぁ…

家族って頼み事する時に「脅す」のが世間一般的なことなのかな?

どこのゴッドファーザーだよ。

嫌だなと思っていたが、当時既に兄からの虐待で「NO」が言えない体質になっていた私は脅しにビクつきながら祖父母の家に向かった。

祖父母の家には知らない女の人と2人の子どもがいた。

察するよね。

流石に察するよね。

そして、何故か私はその名前も知らない子どもたちの間に座らせられて、もてなされ、あんなに脅してキレてた叔父は私が来ると同時に帰っていったのだ。

「生贄にされた」

この一言に尽きる。

叔父家族は私を置いていく事で実家から帰る機会を伺っていたのだ。そして、まんまと人柱を手に入れ、自分たちはそそくさと帰って行ったのだ。

想像して欲しい、友だちの結婚式の二次会で面識のないグループに間違って入っていた、あるいは交流会と銘打った会社の飲み会で席をシャッフルされた挙句ライバル視するグループに1人だけ座らされた気持ちを…

地獄でしょ?

私もそう思った。

隣に座る子どもは5歳かそこらで、もう1人は小学生だったと思う。

目の前にお節料理、祖母が私に「これ食べなさい」とわざわざ別皿にいちごを持ってきてくれたことを覚えている。

苺と私を交互に見る5歳児と小学生…私はいま何かを試されてるのか?と頭の中をフル回転させた。

名前も知らない女性が「うちの子とも仲良くしてね」という。

いや、お前誰やねん。分かるけど。

それに気づかない5歳児は「いいな〜苺〜食べた〜い」と羨ましそうに顔を覗き込んでくる。

「いいよ、どうぞ」と全ての苺を5歳児に渡す。

そんなことより一刻も早く帰りたい。

父親が名前も知らない女性と子どもたちについて、自慢げに誇らしげに私に説明をする。

いや、説明いらなくね?察してるから、分かってます。

そして、その時に私は何故か元父親の奥さんと連絡先を交換したのだ。

馬鹿なの?

当時の私、馬鹿なの?

思えば浅はかな若者である。

元父親からは「俺の子どもたちは母親が違っても仲良くできる」という自負が見え隠れしていた。

できるわけねぇだろ?

でも、当時の私は元父親と母親、兄弟を理解しよう、理解した先に「和解」があるのではないかと考えていた。
ドイツだってアメリカだって考えの違いから国内で分裂してた、でも最後には和解したんだか、してないんだか統合したじゃん。

ベルリンの壁は壊れたじゃん。

だからさ、相手を理解したら「和解」できるのでは?と思ったんだ。

無理でしたけどね。

そもそも、何で理解できると思ったのか、当時の自分に助言したい。

「おやめなさい、傷つくのは貴女ですよ」と

そして、そこからが早かった。

「言うことを聞く」私を手に入れた元父親は私を使って「兄弟の絆は母親だなんだ関係ない」と証明したかったのか、事あるごとに私に連絡をしてくるようになった。

不貞を働いた父親が3回目の結婚をしている時点で察しても良かったはずだ。

「こいつはなにも変わっていない」と

明治ならギリセーフかもしれないけど、現在この国では一夫多妻はアウトです。だから貴方は「不倫」という不名誉な罪で離婚をしたのです。

小さなコミュニティでは、コミュニティの大人全員で子どもを育てる風習があるとか聞いた事があるが…残念ながら私と貴方では価値観が違うようです。

「優しい」という臆病さは、段々と相手を調子に乗らせていった。

父から「○○がアニメの映画に行きたいらしい、連れて行ってくれ」「○○を病院に連れて行かなきゃいけないんだが、俺は仕事だからお前代わりに行ってくれないか?」

こいつは私をお手伝いさんとか、従者か何かと勘違いしてないか?

それとも、私なら「NO」と言えないと嗅ぎつけたのか、私は休みも祖父母の家で5歳児の面倒を見ることがあった。

そして、ある日の夕方…

5歳児と遊ぶ私と叔父がエンカウントした。

私を人柱にして逃げた叔父。

「おー何だよお前も、きてたのか」

何事もなかったように…さすがモンスターの弟。
スルースキルまで完璧じゃないか。

でも、叔父は不思議なことに私と同じ立ち位置にいる姪にあたる5歳児に一切視線を向けることがなかった。

そこにいるのは私と叔父だけのように会話が進む。

違和感がすごい。

「帰り送ってやるから、ちょっと待っとけ」

そう言って叔父は祖母の所へと行った。

そして5歳児は小さな声で言うのだ。

「私あの人嫌い。こんにちはって言っても返事してくれないから」

あの時の私の感情は何処へ向かえば良かったのか、今でも分からない。

叔父は叔父なりに私を気遣ったのかもしれない、もしかしたら本当にこの子が嫌いなのかもしれない、兄である父親の生き方への反発なのかもしれない。

自分の存在を「叔父」に無視され続ける5歳児の心と「家族」に縛られて未だに抜け出せない叔父の姿に私は感情の行き場を無くした。

憤りとか、悲しみとか、そういうものじゃなくて人間の深淵を見た気がしたのだ。

元父親がやっている事は結果的に誰も幸せにしていない。
そして、幸せなのは自分だけで周囲は置いてけぼりなのだ。

やったもん勝ち

まさにここに極まれりである。

人よがりとか自己中とかそういう類とも違う、赤子が欲望のまま生きてきて、その代償を未だに他人に払わせている。

ゾッとした。

こうならないように生きなければ。

ここから私は自分1人で立ち上がる、それが「いきること」だと誤認識した。

傷つく5歳児に優しい言葉をかけてあげられるだけの心の広さを私は持ち合わせていなかった。

この子だって親が選べずに生まれてきたんだ。

「あなたは悪くない」

そう言ってあげれるだけの優しさと

叔父に

「この子にも優しくしてよ」

という強さが私にはなかった。

結果的にいえば、その後3番目の奥さんから「うちの子は中学受験をする、だからもう会わないで」と言われ終止符が打たれた。

砂つぶほどでも「理解」「和解」を考えていた私は「やっぱこの家クソだな」と笑った。

これ程までに自己中心的で相手を思いやれない人間がここまで集まるってことある?と、自分たちの理想を掲げて生きていくなら子どもを作るな。

お前たちの意思を受け継ぐために存在はしていない。

そして、子どもと親は違う生き物だと理解しろ。

人を傷つけて生きていくなら、それは別の形でお前たち自身に返ってくるんだと覚えておけ。

死ぬ瞬間、あなたたち親の傍で涙を流してくれる人がいればいいけどね。

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