なにしてくれてるんだ
30年ほど前に親が離婚したことで精神的苦痛を受けたので父親と愛人を訴えたいと1人の女子高生が裁判を起こした。
しかし、司法は「離婚は夫婦の問題であり、それによって子どもが精神的苦痛を受けても、別に関係ない」と判決を下した。(めっちゃ略した)
この最高裁での判決が現在も生きていて、私の邪魔をする。
公正証書は「父の家は銀行の抵当に入ってるから取れない」「相手が自己破産申請したから取れない」「父が自営で今、お金ないから取れない」「連帯保証人の祖父母は既に年金生活だから取れない」と全く役に立たなかった。
公正証書、お前の存在意義はなんだ?
お前の役目は養育費不払いで逃げないようにする為だろ?
何故なんの役にも立たない。
そして、法律。
30年前の最高裁で誰が判決を下したか知らないが
とんでもねぇ前例作りやがって!
「夫婦間の問題に子どもは関与できない」と言ったのだ。
子どもの存在全否定。
この裁判官は想像力の欠如していたのか?
それとも、子どもの人権なんて言葉がない時代だから、子どもが親を訴えるなんて発想がなかっただけなのか。
大人が子どもより偉いとでも思っていたのか、その真意はわからない。
なんならこの、裁判官がすでにこの世にいないかもしれないからだ。
もし会えるなら「意義あり!」と叫びたい。
親の離婚で不利益を被るのは何も親だけではない。
その子どもも精神的に相当なダメージを受ける。
なんなら二次被害、二次障害も起こす。
でもそれに対してのケアはない。
「片親だからこんな風に育つ」「可哀想」という負のレッテルだけをベタベタに貼られるのだ。
子どもだって親を訴えていいはずだ
親の離婚に異議を唱えてもいいはずだ
夫婦の問題で親の人生なのだから止められないのは仕方ない、でも養育費の不払いやそれに伴って精神的苦痛を負った事を訴えることくらいいいだろ!!
幼児、小学生、中学生、高校生、大学生、成人
この中で1番親を訴えるのに有利なのはどこの時期か。
それは残念ながら、成人だ。
幼児から中学生の時は今よりも声無き声が押さえつけられていたし、金銭面でも法律の面でも大人には立ち向かえない。
高校生のバイト代なんてたかが知れてる、親を訴え、弁護士を雇えるほどの金があるのか?
ない。
では、それだけ金を稼ぐのに貴重な10代という時間を費やすのか?
いやだろ?
そして、残念ながら当時の私は大人を黙らせるほど法律に詳しくない。
なんなら「普通の家」の子を演じるのに精一杯で「どこに」「どうやって」「誰に」訴えていいかさえ分からなかった。
今はネットが普及してSNSで好きなだけ未成年の主張ができる。
でも当時はそこまでネットは普及してなかった。
学校の先生に相談したら「可哀想に」と相談室で抱きしめられた。
気持ち悪くて吐くかと思った。
そういや、こいつ今実家の寺を継いだと風の噂で聞いたな。
教師が12歳の女児を相談室で抱きしめるってセクハラ案件じゃねぇか。
話が脱線した。
当時は弁護士に相談するだけで何万も取られるという知識だけしかなかった。
だから、いくら必要なのかも分からない
訴えたところで勝てなければ借金になるという懸念もあった。
高校生には無理な話である。
次に大学生だが、私は短大だったのでほぼ実習と授業、あとはバイトと家では奴隷扱いが続いていた。
もう親を訴えるとかそういうレベルじゃなかった。
同年代が留学行ったり、旅行に行ってる中で私は家で兄に罵倒され殴られ、実習先の担当に泣かされながら課題をこなしていた。
自分のことで手一杯。
そして、社会人。
この時既に人として扱われなかった事で、精神疾患を患っていたのと社会人として慣れない環境の中で、その日生きるのが精一杯だった。
でも、ここでようやく、父親と愛人に対しての怒りが沸々と沸き爆発した。
「あいつら潰してやろう」
発想が物騒。
ストレスマックスだったのだ。
だから、こんな物騒な考えに至ったのだと思う。
実はこの頃の記憶は精神科で色んな薬を処方されすぎて曖昧なのだ。
精神薬で記憶があやふやってだけでもヤバい
でも飲まないと眠れない、精神も不安定になる。
でも飲んだからって現状は変わらない。
そして考えた。
私がこうなった原因はなんだ?
父親と不倫相手が原因で片親になって、兄に受けた虐待が原因じゃないか、と。
そこからは早かった、弁護士の無料相談に行くなどして「親を訴えたい」と話をした。
しかし、返ってきた答えは私を叩き潰すには充分だった。
「最高裁でも出てるけどね、離婚は親の問題だから子どもに訴える権利はないんだよ。訴えても勝てるとは限らない、反対に名誉毀損で訴えられるかもしれない」
何もできないじゃん…
「あと、君はもう成人しているよね?養育費は成人するまでのものだから」
これが先述した「残念ながら成人」という言葉に繋がる。
手足をもぎ取られて声すら奪われた状態になった
じゃあ、私には何もないじゃないか
親を訴えることもできない
愛人に報復することもできない
私に残ったのはこの先も続く
精神薬と虐待によるフラッシュバック。
何故、30年も前の事例が今の時代にも適応されるのだ?
最高裁の判決を覆そうと思う弁護士はいないのか?
結局、被害者は泣き寝入りなのか?
「どうにもできない法律」が「どうにもならない」と私の前に大きな壁として立ちはだかった。
それと同時に「夫婦間の問題に子どもは関係ない」と言われたことが私には「自分の存在を否定」されたようにも聞こえた。
涙が溢れて止まらなかった。
悔しさと成人してしまった自分への自責の念、何故もっと早く動かなかったのか、なんで誰も「養育費の再請求ができる」と教えてくれなかったのか…
何故私は無知なのか…
責める相手が目の前で、笑いながらいなくなった瞬間に自分を責める事が止められなくなった。
私には何もない
私は何も持っていない
私にあるのは、この先も続く地獄だけなのだ
そして、私は完全に壊れた。
元々ギリギリの均衡を保っていて、眠ることで現実から逃げていたのに「最高裁の判決」という絶対的な法の前に崩れ落ちた。
そして、倒れ…起き上がれなくなった。
仕事も辞めた。
でも生きるには金がいる
最後に頼ったのは生活保護だった。
悔しくて悔しくて、惨めで…道に落ちた米粒を拾って食わされているような気持ちだった。
自分のせいでここまで落ちたならわかる
でも、私は何をした?
これほどの仕打ちを受けるような悪事を働いたのか?
ルールも法律も守った
万引きした、売春した、人を刺した…
何ひとつしてこなかった。
ただ「可哀想な子」「片親の子だから」と後ろ指さされないように
ちゃんと生きようと努めてきた。
その結果がこれだ。
「私の何がいけなかったの!?」
気付いたら叫んでいた。
「なんで!!なんで何もしてないのに!!なんでこんな風になったの!?」
泣き叫び、誰かを傷つけたくて仕方なかった。
30年前の判決が私の足を引っ張って
憎悪と悲しみと怒り
もう何もできない…できることがない…
そして、一度諦めた。
でも私は元々「納得できない事は受け入れられない」という面倒くさい性分の為、また足掻き始めた。
その足掻きがこのnoteだ。
誰かの為に書いているのではない
自分の心の整理と、私の周りにいるクズ共を書いて整理して、正気を保つ為だ。
30年前に余計な判決くだした最高裁は許せないけれど、でもいつか、法律が変わって、子どもの人権が確立してされて、養育費不払いが許されない時代が来たら、そっとこのnoteは削除しようと思う。
それまではクズの紹介は続けるし、一族の恥は晒し続ける。
死なば諸共っていうじゃん。
そういうことですよ。
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