それは私が決めること
片親だからと子どもの頃から周囲に散々言われてきた言葉がある。
特に大人たちに言われてきた言葉。
「可哀想」
私はこの言葉を社会から抹消したいほど嫌いだ。
可哀想ってなんだ?
片親は可哀想で、両親揃っていたら可哀想じゃないのか?
片親だと不幸だとでも言うのか?
何を言っても「可哀想」からスタートする、枕詞が「可哀想」な奴もいた。
けれど、親の離婚なんて子どもには止められない。
親の人生は親のものだからだ。
そもそも決定権を渡されたところで今後も仲良く幸せに暮らせる保証がないなら別れた方がいい。
それを事情も知らない第三者が「可哀想」と同情や憐れみで口にするのはやめてほしい。
「可哀想」は相手を下に見てる時に出る言葉だからだ。
一昔前に「同情するなら金をくれ」と言う言葉が流行ったが「同情するのはやめてくれ」
当時の私はこれだった。
他にも「あ、ごめんね…」と謝られることもあった。
なぜ謝られるのか全く分からない
「軽はずみに聞いてすみません」
なのか
「片親だった事を知らずにすみませんなのか」
どちらにせよ、謝る事じゃない。
謝られても反応に困るし、片親の私はそれが普通だから気にしてなかった。
だから「可哀想」「そういうのは聞いちゃダメなんだよ」とタブー視扱いされる事の方が苦痛だった。
今より「両親が揃っているのが普通」というのが一般論の中で育った私は段々と父親がいない事を隠すようになった。
当時、母は私たち子どもに父親のことを聞かれると「単身赴任でいない」と答えていた。
多分、母なりの子どもへの気遣いだったのだろう。
でも、成長するにつれて自分の家は「離婚した家庭」なのだと気づいた。
でも私はそれを「ない事」にした。
気付かないふりをすることで「可哀想な子」ではないと自分に言い聞かせる必要があった。
でも、悪意があるのかないのか、そんなこと関係なく事実は周り回って私の耳に届く。
聞こえないと思っているのか。
子どもだから分からないと思っているのか。
大人たちは「可哀想な子」「あの家は片親だから」と声を潜めて噂をしていた。
低学年だったが、自分の家が片親なのはとっくに知っていた
でも、当時の私は子どもなりに変なプライドで、けして「可哀想な子」にならないと頑なに決め
大人の言葉に耳を塞いだ。
認めてしまえば「私は可哀想な子」になってしまう。「同情」「憐れみ」の対象になってしまうと思っていたからだ。
とっくに気づいていたし、知っていたのに。
同情されて可哀想な子になりたくなかった。
なってたまるか…
兄から執拗に虐待を受けているのも、父親がいないのも、母が助けてくれないのも、耐えて堪えて、自分が受け入れる事で、なかったことにする事で自分が家族の均等を守っているんだと思い込む事だけが私の唯一の生きてる証で「プライド」だった。
でもそれは、10代の私が抱えるには不釣り合いな重い足枷だった。
ハリボテで作った「可哀想じゃない子」は、高校生になった時に
グシャリと潰れた。
当時、私は家で兄に罵倒され、殴られながら、バイトをして友人たちと遊ぶお金を必死に捻出していた。
でも周囲の友人たちは親の金で好きなものを買ったり、食べたりしていて、その姿を見た時、段々と合わせていくことが辛くなっていた。
自分はどんなに努力しても「可哀想じゃない子」にはなれないのだ、と見せつけられたような気がした。
そして、ある日突然1人で立てなくなった。
足元がぐらつき、視界が歪むようになり、起きていられなくなった。
思えばあれは私なりの現実逃避のひとつだったのだろう。
学校には無理をして登校し、休み時間は友人たちと過ごし、そして授業は寝る。
そんな毎日を過ごすようになった。
家に帰れば学校で1日寝ていたのに、眠くて眠くて仕方なかった。
だから帰っても夕食まで寝ていた。
寝る事が現実から目を逸らす唯一の方法だったと気づいたのはもっと後になってからだった。
外では「可哀想な子」としてみられたくないから必死に普通を装っていた。
家では兄からの暴言や暴力に臆したら負けだと思い泣かなくなり、代わりに笑うようなった。
何かがおかしい
でもその何かがまだ分からなかった。
心がすり減っている事にも気づけない、自分を労ることもできない。
自分を守れるのは自分だけだと分かっているのに「プライド」が邪魔をして自傷行為の口噛みだけを繰り返していた。
「可哀想な子」という他人の評価でしか自分を量れなくなっていた。
やりきれない気持ちが沸々と湧き
どうして自分だけがこんな目に遭うのだ
と言う憎悪に変わった。
そして、その憎悪はいつの間にか自分へと向けられた。
兄に殴られるのも
両親が助けてくれないのも
友人たちと釣り合わないのも
家で「お前が悪い」「お前は馬鹿だ」「お前は役立たずだ」と言われ続け、人格を否定され自己肯定感を下げ続けられたおかげて、全ての原因は私にあるのだと思ってしまった。
私はただ「普通」に生きたかっただけなのに
でも、私が殴られて罵倒される事で兄は機嫌が良く、弟は対象にならなかった。
私が泣かなくなり、笑うようになった事で母親は「よく笑う子」「きっと毎日が楽しいのだ」と思ってくれていた。
友人たちの前では家庭になんの問題もないと演じる事でせめて「普通の家の子」になりたかったのだ。
全ては「可哀想な子」にならない為に。
でも、そんな作り物の「普通」が長く持つ筈がなく、私は精神を壊した。
そして、長い闘病生活へと転がり落ちた。
転がり落ちて底辺まで落ちて…これ以上は死ぬだけだ、そこまで落ちてようやく気づいた。
私が可哀想がどうか。
私が不幸かどうか。
それを決めるのは紛れもなく私自身だ。
他人の評価じゃない、私が決める。
どんなに否定されても私は自分を肯定するし、それで殴られたら刺し違えてもいい。
そう思ったら、少し息ができるようになった。
暴力よりも言葉の暴力の方が強い。
忘れることもできない。
だからここに書いている。
いつか…1人で立ち上がり「もういいよ…頑張ったね」と自分を労れるようになる為に「可哀想な子」が「普通の人間」として歩けるように、過去と向き合って生きていけるようになる為に…
「可哀想」は誰しもが軽々しく口にしがちだ、だけど人でも動物でも植物でも物でも、対象物に敬意があるなら簡単に口にしない方がいい。
同情は時として相手を傷つける。
優しさと憐れみを混同しないでほしい。
「言葉の重み」を理解して自覚して人を慈しむ為に使う。
そういうツールとして言葉を使える人間に私はなりたい。