君が僕に向けてボールを投げなければ、何も捕まえられない
人生で初めてかの有名な『ライ麦畑で捕まえて』を読みました。(村上春樹訳なので『キャッチャーインザライ』が正しいのですが。)
攻殻機動隊の引用で有名な“僕は目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤むことにした。”の一文に出会いたかったのですが、村上春樹訳では“ぼくは聾唖者になろうとした”と訳されてました。(残念)
最初はこんなにつまらん小説があんのかと思いました。上司のつまらない自慢話をずっと聞かされてるような退屈感です。
でも、読み進めていくうちになんだかすごく心の深いところに燻っていた不平不満みたいなものが掬い上げられてくる感触があり、これはもしかすると人類みんなが抱える弱さを語ろうとした作品なのかもしれないと感じ始めました。
そして、途中からホールデンが語り続ける相手「君」は読んでいる読者、つまり僕であり、僕だけが愛想を尽かさずに彼の話を聞き遂げられる存在なのではないかと感じはじめてからは没入が激しくなりました。
誰もホールデンの相手をしてくれない、みんな彼の話を最後まで聞き遂げようとしない、頭のいい大人は彼を説き伏せようとする。そんなホールデンの孤独感がどんどん刺さってきて読み終わった今はすごい小説を読んでしまったという感触に満たされています。
ホールデンの痛みをぼくが少しでも感じ取れた気がしているのが嬉しいことのようであり、それだけぼくがこじらせている証のことのような気もしてすこし気恥ずかしい思いがありますが、この小説はぼくにとってとてもインパクトあるものとなりました。読んで良かった。
今は、これの解説書的な役目でもある、村上春樹と柴田元幸の対談を読んでいます。
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