結婚式を開く人、開かない人
友人の結婚式に招かれた。
結婚式は、色の三要素でいうところの彩度と明度が高い。鮮やかで明るい。それに華やか。その空間の中では、みんなもれなく笑顔。だけど、ほんの少し緊張感も漂っている。稀有な空間だ。
月並みな表現しかできないが、よかった。結婚式という行事の意義が分かった気がする。家族や友人を集め、式というかたちにすること自体に大きな意味がある。
結婚式を開くということは、その時点までにおける人生の総決算みたいなものだ。それまで関わってきた人たちが一堂に会する空間ができあがる。友人くんは、いろんな人たちと良好な関係を築いてきたんだなと、式で流れたスライドショーを見ながら思った。
その友人とは頻繁に会ったり、たくさん話し合ったわけではないけど、どこか馬が合うというか、好きな友人だ。彼の人柄を知っているので、良好な関係を築いてきたことにはとても納得がいく。
結婚式はよかった。よかったのだけど、自分が結婚式を開くかどうかとなると話はまた変わってくる。(これは決して結婚式への批判ではない)。
「開きたくない」も多少あるけど「開けない」と言った方がいいかもしれない。友人は多い方ではないが搔き集めればなんとかなる。けど、家族が厳しい。多くのステップをクリアしなくてはいけない。詳しくは聞かないでくれ。
式の終盤にこんな一幕があった。新郎の謝辞の最中のことだ。友人が途中声を詰まらせたとき、そばにいた彼の父親が気を利かせて、一言「大丈夫か!?」と言った。その言葉で会場が笑いに包まれる。
僕の父親にはそれができるか? できてほしいと言っているのではなく、そういう差があるという話だ。
当たり前だけど、世の中には結婚式を開く人と、開かない人がいる。どちらがいいとか悪いとかはなく、ただの事実として。
一昔前なら多くの人が式を開いていたと聞くが、現代はその数が減っている。結婚する人自体が減っているから当然だ。だからこそ、結婚式を開くことに価値が見いだされる側面もある。
時代を経るにつれ、結婚式に対するニュアンスは変わっていくだろうが、どちらがメジャーでどちらがマイナーとか、開く「べき」かどうかとかは考えなくていいと思う。相手と相談して決めた結果ならそれでいい。(そう、何事においても話し合うということが一番大事)。
開きたいが開けない人。開きたくないけど開ける人。十人十色。
チャペルを訪れた影響だろうか。結婚式が終わってしばらく、神様的なものが僕の右後ろにいるような感覚になった。その神様的なものがずっと「Where are you?」(意訳 : あんたはどうなん)と問うてくる。
分かってます分かってます。考えてないわけではないので、今はそっとしておいてください。
友人の結婚式に行って、生き方の違いが浮き彫りになった。仰々しく聞こえるかもしれないけど。こういう非日常は、奥に潜めていていた何かが顔を出すきっかけになる。結婚式に限らず、こういう「式」にはそういった意義も含まれているのかもしれない。
このnoteを友人が見るという、万が一のパターンに備えて補足というか改めて言う。結婚式はとてもよかった。嘘くさく聞こえないことを願う。
結婚式といっても友人の全員が呼ばれるわけではくて、限りある席の中で僕を呼んでくれたことがシンプルにうれしかった。アーメン。
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