星野源 というひと #書評
2024/11/08
『星野源』という名前を見て、一般的に連想されるイメージは
・逃げ恥
・ガッキー
・どらえもん
あたりだろうか。色々と幅広く活動されている方だから、有名人に対して抱く印象というかイメージが彼ほど色とりどりな人はいないだろう。
僕の場合は、『LIFE! ~人生に捧げるコント~』だ。だから星野源はどちらかというとドラマで真面目な役をやっているとどうしても違和感を覚えてしまい、LIFE! で共演されている俳優さんと他のドラマに出ていると、どうしてもLIFE!を見ている感覚になってしまい、シリアスな場面でもフフッと笑ってしまいそうになる。
星野源という人を知ったのもこの番組がきっかけだった。だから彼は、“コントに出てくる面白い人”であり、音楽活動をしているのも番組内のトークコーナーで知った。
僕は、子供のころから昔の音楽ばかり聴いて育った。親の影響で、玉置浩二、竹内まりあ、山下達郎・・・。洋楽も聞いた。マイケルジャクソンやサイモンとガーファンクルなんて、物心つく頃には大体知っているちょっと変わった子供だった。
だから同世代との音楽との趣味は、今も昔も絶望的にかみ合わない。スピッツですら懐メロ扱いを受ける今の世の中に、音楽において誰かと語り合える機会など、ほとんどなかった。
でも、だからこそ同じ音楽の趣味を持っている人と知り合えるととてつもなく親近感が湧く。初対面であっても、友達になるまでのあらゆる工程をすっ飛ばして、すぐに心の友よ!!!と叫びたくなるほどに心を開いてしまえる。
星野源がそうだった。彼はマイケルジャクソンをはじめとする、要は同世代とは話が合わない系音楽を愛している人だ。その影響はしっかり彼の曲調に反映されているように感じ、新しい音楽にどこか拒否反応を示す僕の頭と心に、彼の音楽はスッと溶け込んでいった。
詩的で日常味を感じる歌詞、アコースティックギターを用いたゆっくり目なリズム。どこか懐メロに近いような、彼が心から好きな音楽を作っていると分かる人間味のある暖かさが今でも好きだ。
そんな彼が、期間としては逃げ恥に出演するまでのエッセイをまとめたものが、『いのちの車窓から 1 』だ。
彼の音楽活動に対する思い、怒涛の仕事に追われながらも、自分を見失わず、周りの人々をよく観察し、男女問わず家族のように語る彼のエッセイは僕の想像する星野源そのものだった。
孤独な子供時代、幼かった青年時代、振り返りづらい過去の自分自身と今の自分自身を対比し、今の自分と共に仕事に励む仲間が大好きだ!と自信をもって語る彼の文章は、彼と同じく幼い青年時代を生きているであろう迷える子羊(僕)の背中をグッと押してくれたような気がした。