『ここじゃない世界』を模索して #日記
2024/9/22
ここ3日間くらいずっと塩谷舞さんの『ここじゃない世界に行きたかった』をゆっくり読みながら、バイトに行ったり一汁一菜を作ったり、我ながら大学生とは思えないほど牧歌的な日常を過ごしている。
来週には大学が再開するので、このような生活は嵐の前の静けさに過ぎないのかもしれないけれど、ぶっちゃけこんな感じの牧歌的な生活はすごく性に合っていると思う。遊園地とか旅行とかに湯水のごとく金を使う知り合いのInstagramのストーリーが無限に流れてくるのだが、なんだか別世界の価値観の人間だなあと思いながらイイねを付けている。
塩谷舞さんの本に出会ったのは、今年の初夏に訪れた茨城県水戸市にある個人図書館でのこと。偶然訪れた個人図書館では、管理人さんの趣味が詰まったあらゆるジャンルの本が置いてあり、いわゆる自費出版の激レア本も読むことができるので、珍しい物好きの僕にとっては楽園みたいな場所だった。
舐めるように本を物色し、ビビッときた本をどんどん手に取っていった。パラパラめくるだけでは物足りない本たちは、写真に撮って後から見返せるように保存した。そのときの一冊が塩谷舞さんの『ここじゃない世界に行きたかった』である。
興奮冷めやらぬうちにAmazonで本書をぽちり、今に至るというわけだ。(実際には試験期間やら他の積読やらで読み始めるまでに数か月かかったのだが)
先日盛岡でくどうれいんさんのエッセイを買って読み、エッセイがマイブームになったタイミングで本書も読むことにした。どうやらもともとSNSやWEB業界で仕事をしていて名を馳せた方らしく、そういった肩書きを持つ人のエッセイというものは初めて読むジャンルだった。
tiktokやinstagramで流れてくるようなさぞかし華やかな生活を営む人物なのだろうと思っていた節があったが、実際読んでみるとその雑なイメージは消え去った。肩書きからは想像もつかぬほど、牧歌的で平和な日常を愛する人物だと分かった。おそらく僕と同じように、用事がなければ何日でも家に引きこもって自分の時間を過ごせる人なんだと思う。僕もバイトと買い出し以外には基本外に出ないインドア人間なので、勝手に親近感が湧く。
とはいっても、旦那さんとニューヨークに渡り仕事を続ける彼女は僕にはないタフさがあって、何気に異国の地でもちゃんと自分の力でお金を稼いでいるので、ただ牧歌的な暮らしをしている僕とは明らかに異なるのは自覚している。
彼女のエッセイを読んでいて感じたことは、牧歌的な暮らしや思想の中にも、譲れない軸があるという点だ。多分僕が彼女の存在を今まで知らなかったのも、彼女が安いネット広告に安易に主演しなかったからであり、そこに信念があったからだと思う。顔も名前も知らないインフルエンサーを名乗る若者が次から次へと怪しい企業広告に起用されているのを、僕たちは日々目の当たりにしているだろう。もちろんそれで知名度は上がるのかもしれないが、そこからは尊敬や親しみを持ったイメージは生まれない。それでもお金が稼げてしまう社会構造にも問題を感じるのだが。
仕事とその内容にこだわりを持っているからこそ、僕のように知るべくして知った者たちから強い支持を得ているのだと思う。
”牧歌的に生きる”というのは、現在進行形で沈んでいる印象を持たざるを得ない現代の日本人にとって、ある種の防衛本能なのかもしれない。でも、牧歌的であることと野心を持たないことは全くの別物だなと思う。牧歌的に日々を営み、それでいて信念と野心を持って自己実現をしている大人たちに僕は敬意を持つし、そうなりたいと思える。周りからの評価ばかり気にしている今の自分の行く末は、誰の目にも止まらない無色無臭な存在である気がしてならない。
「ここじゃない世界」というのは、案外僕がまだ未熟であるがゆえに見ようともしていないこの世界の側面なのかもしれないと思うことにして、野心を捨てずに残りの学生生活を過ごしていきたいと思うのであった。