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語りから呼び起こされる10年前の記憶と経験|宮島達男「『時の海-東北』プロジェクト」ワークショップレポート

「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」というコンセプトに基づき、デジタルカウンターを使った作品で知られる現代美術家・宮島達男が、東日本大震災の犠牲者の鎮魂と震災の記憶の継承を願い、東北に生きる人々、そして東北に想いを寄せる人々と共につくりあげる「時の海-東北」プロジェクト

「1〜9」あるいは「9〜1」とカウントする3,000個のLEDガジェットが巨大なプールに設置される想定の作品は、3,000人の人々が関わり、LEDの数字のカウントするスピードを参加者それぞれが希望する時間に設定できるというもので、東北各地でワークショップを重ねながら、2027年の作品完成を目標に活動を展開しています。

昨年、コロナ禍で迎えた震災から10年目の2021年3月11日には、初めてオンラインワークショップを開催。さらに10月〜12月には、手話通訳付きのオンラインワークショップを行うなど、新たな取り組みにもチャレンジし、現在、参加者は1,254人となりました(2021年12月11日現在)。
本記事では、昨年10月〜12月におこなったオンラインワークショップの様子を、ワークショップの企画設計や当日モデレーターを行なった嘉原妙(「時の海-東北」プロジェクトディレクター)の視点からレポートします。

■オンラインワークショップ|タイム設定とは?

2021年秋、10月24日、11月27日、11月28日、12月11日の計4回、オンラインワークショップを開催しました。
開始時間となり、「こんばんは〜!」という宮島達男さんの呼びかけに反応するように、Zoomの画面に参加者の顔が並びはじめます。

オンラインワークショップでは、まず最初に、宮島さんから「時の海-東北」プロジェクトの立ち上げの経緯やこれまで東北各所で取り組んできたワークショップ、そしてタイム設定について説明することからはじまりました。

※本プロジェクトの経緯については、『今、ここから未来を誓う。東北に想いを寄せる人々と、あの時、あの人に想いを馳せること|現代美術家・宮島達男「『時の海-東北』プロジェクト」インタビュー』に詳しく掲載しています。

写真や映像をまじえながら、宮島さんがこれまでの活動について説明します

次に、参加者一人ひとりと宮島さんが対話する時間をじっくりとります。この対話の時間こそ、「時の海-東北」プロジェクトで何よりも大切にしていることです。

対話の中で、以下の質問が宮島さんから参加者に尋ねられました。

  • 10年前の3月11日、あなたはどこにいましたか?そのとき、どんなことを感じていましたか?

  • 「時の海-東北」プロジェクトのワークショップに参加しようと思った理由はなんですか?

  • あなたのタイム設定の時間は何秒にしますか?なぜ、その秒数に決めたのですか?

タイム設定というのは、「時の海-東北」の作品で用いるLEDガジェットのカウントする数字のスピードを、参加者それぞれが希望する秒数(0.2秒〜120秒まで)に設定してもらい、その時に、どんな気持ちでその数字を決めたのか、このプロジェクトに対してどんな想いがあるのかを傾聴するというもの。参加者の中には、この秒数にすると決めてこられている人も参加しながら何秒にしようか、と考える人もさまざまです。「うーん......。どうしよう」と悩まれている人がいるときには、宮島さんがこう語りかけます。

「忘れない数字がいいと思いますよ。あなたの想いのある数字。例えば、あなたや大切な誰かの誕生日とか、あなたにとって大事な数字、ラッキーナンバーといったポジティブな数字もすごくいいと思います」。

こうして、参加者一人ひとりの想いが詰まったLEDガジェットが、作品の一部となっていきます。

タイム設定は、「時の海-東北」Webサイトから、引き続き参加することができます

■一人ひとりの3.11|経験を語る、共有する、想いを受け取る

東日本大震災の経験に耳を傾け、どんな気持ちでタイム設定の秒数を決めたのか。オンラインワークショップでは、一人ひとりの想いを傾聴し、その想いを、宮島さんだけでなく、参加者全員で受け取っていくような時間となりました。ここでは、共有いただいた経験、タイム設定の背景の想いなど、対話の様子をいくつかご紹介します。

参加者一人ひとりと語り合うタイム設定の様子

ー 宮島さんとの作品の出会いが契機に ー

宮島:10年前の3月11日はどちらにいて、どんなことを覚えていますか?

Kさん:震災当時は、小学3年生でした。ニュースを見た時に現実とは思えなくて、まるでSF映画を見ているような感じだったのを覚えています。だから、えっ!という驚愕と言ったらいいのかな、そんな気持ちでした。

宮島:今回ワークショップに参加しようと思ったきっかけはなんですか?

Kさん:実は、森美術館の『STARS展』で初めて宮島さんの作品を観たんです。そこで衝撃を受けまして。巨大で神聖な雰囲気で、2、3時間ずっと観ていました。そこで、このプロジェクトに参加できる機会があることを知って、自分も参加してみたいと思ったのがきっかけです。

宮島:ありがとうございます。では、Kさんは、タイム設定の時間は何秒にしますか?

Kさん:2.7秒でお願いします。理由は、1日、24時間を数字がカウントする1〜9で割ったら、約2.7秒になるので。この数字でお願いします。

ー 福島への思い ー

Mさん:私の父は、福島県の会津の出身なんです。私の母はフランス人で、当時、フランス大使館から、原発が危険だから今すぐ日本を離れるようにという指令が出ていたらしいんです。震災当時、中学2年生だった私は、その時は何も知らなくて。いきなり急に、東京から京都に行くからと親に言われて。

宮島:当時、実はアメリカ大使館も避難命令を日本国内にいるアメリカ人に出していたということが、後からわかりましたよね。

Mさん:そうだったんですね。そういう経験もあって、私の東日本大震災のイメージは、原発のイメージがとても強いです。数年前、フランスの実家に行った時にも、今もまだ福島は汚染されているから行きたくないと、フランスの親族から聞いて、衝撃的だったし、とても複雑な気持ちになりました。
私にとって福島は、夏や冬のとても良い思い出がある場所なんです。都市にはない美しい景色や食べ物もすごく美味しくって。だから、震災後、原発でFUKUSHIMAのイメージが残っていることに、複雑な気持ちがあります。

宮島:Mさんにとって大事な場所だった福島のイメージが、傷付けられたような、そういう複雑な気持ちになったんですね。

Mさん:そうですね。今回、ワークショップに参加した理由のひとつとして、当時、私は福島にいなかったし当事者ではないけれど、そういう外部の人間が、このプロジェクトに参加することで、自分の気持ちや一人の人間として、福島へ想いを寄せ続けることができたらいいなと思って参加しました。

宮島:とても大事なことですよね。当時、直接被害に遭われていない人が、現地にボランティアに入ったり、月日が経った後も、東北に想いを寄せてくれる人がいるというのは、東北の被災した人たちにとって、とても励みになっているという声を現地の方に会うといつも言われます。だから、Mさんのそうした想いは素晴らしいと思いますよ。では、タイム設定の秒数はどうしますか?

Mさん:2.2秒でお願いします。ちょっとネガティブな意味合いになってしまうかもしれないんですが、以前、原爆ですごく強い放射能を浴びると、人は20秒くらいで亡くなってしまうというお話を聞いたことがあって、20を9で割ると2.22222…となったので、この数字にしました。

宮島:なるほど。ネガティブで恐ろしい数字にすることで、強烈なインパクトにもなるし、そこにMさんの想い、怒りのようなものも込めている感じがしていいと思います。

ー 震災2年後の風景、鎮魂の祈りを込めて ー

Nさん:10年前の3月11日、住まいが千葉県だったこともあり、直接被災という経験はあまりありませんでした。私は、今、僧侶をしています。震災当時も、お坊さんが集まって何かできないかと色々と話し合っていたけれど、現地の僧侶から、今はまだ行くな、逆に迷惑になってしまうからと止められたことがありました。それから2年後にやっと現地に行くことができて、街中をお経を唱えて歩いたり、海岸で法要を行いました。2年後の街には、まだ色濃く津波の痕跡が残っていましたね。
人は辛い出来事を忘れることで苦しみがなくなることもある。それって大事なことだと思うんです。でも一方で、経験や教訓を継承していくことも大切だと思って、今回、このプロジェクトのコンセプトや宮島さんの作品に賛同して参加しました。

宮島:そうなんですよね。喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、大体人間は忘却してしまう。なんとか作品を通して、そういう経験の振り返りのきっかけになればと僕自身も思っています。では、Nさんのタイム設定の秒数はいくつにしますか?

Nさん:私は13秒にしようかと思います。

宮島:Nさんにとって何か意味のある数字なんですか?

Nさん:僕は僧侶なので、13は非常に意味深い数字ということ、あと、鎮魂という想いも込めてこの数字にしようと思います。

1月27日、28日は、はじめて手話通訳付きのワークショップを開催

ー どこかの誰かにとって大切な作品の一部になること ー

Tさん:10年前の3月は東京のテレビ局で情報番組のディレクターをしていました。地震があった時は、テレビ局内で次の取材を検討している時でした。実は、テレビ局はなかなかシステムが整っているもので、揺れる前から震源地がわかるシステムがあるんです。だから、東北のこの辺りが震源の地震が今から来るという表示を揺れを感じる数秒前に見て、東京の大きな揺れを感じていました。関東が震源ではないのに、こんなにも揺れが大きいということは、東北は大変なことになってしまったんじゃないか。そんなふうに感じながら揺れていたことを覚えています。その後、3月後半くらいまでの約2週間、東北各地を取材して回ったという経験があります。

宮島:そうでしたか。それはすごい経験でしたね。あの頃は、東北道は穴が空いていて通れずいろいろなところで渋滞が起こったり、ガソリンがなくなったり、大変でしたよね。

Tさん:大変でしたね。高速道路が止まってはいたんですけど、実は、私たち取材班は、3月12日、13日も止まっている高速道路を車で通ることができたんです。その時、高速道路の中を歩いている方がたくさんいたんですね。連絡の取れなくなった自分の家族を探すために、高速道路を徒歩で歩いて探している方々がたくさんいました。その光景を今でも思い出します。

宮島:Tさんは、このプロジェクトに参加する動機というのは、どういう思いがおありになるんですか?

Tさん:私は宮島さんの作品が好きで、特に、東京都現代美術館に収蔵されている作品が好きなんですね。何かあるとその作品を見に行って、ベンチに座って作品を見つめながら考えるみたいな、自分の人生と共に歩んできたなと思っていて。あと、このプロジェクトも「サポート・アーティスト」としても参加しています。

宮島:ありがとうございます。「時の海-東北」プロジェクトは参加者(コラボレーション・アーティスト)の募集とプロジェクトを実現するために資金支援(寄付)も募っていて、資金支援に参加してくれた方を「サポート・アーティスト」と位置付けています。それに参加していただいたんですね。

Tさん:作品の一部として関われているということが本当に嬉しくて。しかも作品として、これからもずっと残り続ける。そうすると、私が宮島さんの作品を見つめながら色々なことに思いを巡らせていたように、いつか、誰かにとって、そんな作品になるかもしれない。そういう希望を持って参加しました。
タイム設定の秒数は、3秒でお願いします。3月という意味合いもありますし、なるべく早いスパンで、これからどんどん自分も動いていきたい、関わっていきたいという気持ちがあって、なるべく早くカウントが切り替わるこの時間にしたいです。

ー 家族にまつわる幸せの数字 ー

Oさん:震災当時、私は小学生で、小学校の教室の中で地震を経験しました。千葉県浦安市に住んでいて、今まで体験した地震の中で一番大きな地震でした。なんでこんなに揺れちゃうんだろうっていうくらい。

宮島:学校から出してもらえなかったんじゃないですか?保護者が迎えに来るまでは学校で待機でしたか?

Oさん:そうでした。グラウンドで待ってて。上空を飛行機が飛んでて、飛行機の上だったら揺れなかったのになぁとかって友達と話してたことを覚えています。

宮島:今回、参加しようと思った動機はなんですか?

Oさん:人に勧められて、参加すると面白いよって感じできました。ワークショップが始まってから、色々とすごい考えています。

宮島:そうですか。誰かに教えてもらって参加したんですね。Oさんの決めた数字のLEDガジェットも作品の一部になっていきますので、このワークショップや作品を通して考えるきっかけになってくれたら、とても嬉しいです。そして、東北のことをまた振り返るきっかけになっていただけたらと願っています。では、Oさんのタイム設定の秒数はどうしますか?

Oさん:10.2秒でお願いします。

宮島:この数字は、何か理由がありますか?

Oさん:私のお父さんとお母さんの結婚記念日が10月20日で、家族の中での仲良しナンバーなのでその数字にしました。ちょっと平和になるかなって思って。

宮島:いいですねぇ!そういう幸せな数字を「時の海-東北」プロジェクトにたむけてくれるっていうのは、本当にありがたいです。
東北の被災をされた方々には、パートナーを亡くされたり、最愛のこどもを亡くされて、今も海に潜って娘さんを探し続けているというお父さんもいたりするんです。だから、そういう意味で、幸せな希望のある数字をたむけてもらって、未来に悲惨な災害が来ないようにという願いや想いが届くといいなと思います。

ー 夫婦それぞれの想い ー

Sさん:出身は青森なんですが、震災の時は仙台にいました。

宮島:仙台ですか。いやもうそれは大変でしたね。

Sさん:揺れた時は、職場にいた時間帯で、頑丈だと昔から言われていたビルだったのであまり心配はしていなかったんです。でもあれだけの地震は、本当に驚きでした。

宮島:ご自宅は大丈夫だったんですか?

Sさん:我が家は海からずいぶん離れた場所だったので、津波の被害はありませんでした。でも、たくさん屋根瓦が落ちたりして。再リフォームが必要なくらい、大変は大変だったんですが、家に住めない状態ではなかったです。

宮島:それでも仙台だったら、あの時は本当に食料はなかったし大変でしたでしょう。その後の生活も。

Sさん:私は会社人間で毎日会社に行って、泊まってという感じでね。妻の方が、ずいぶんがんばってくれました。ちょうど今、隣にいます。毎日給水所に行って、半日並んだけど、数人前で水が無くなってもらえずに帰ってきたりとかね。

宮島:そうでしたか。仙台市内にお住まいでも、そうしたご苦労があったと思います。今回、ワークショップに参加された動機はどういうお気持ちからだったのですか?

Sさん:そもそも、私がアート好きで。会社勤めしていれば、誰でもみんな辛い時があると思うんですが、若い頃、そういう時にアートに癒されていたんです。宮島さんの作品も直島で拝見してよく知っていたんですが、今回このワークショップがあると聞いて、ぜひ参加したいと思って申し込みました。

宮島:ありがとうございます。奥さまのMさんの声も聞こえていますので、ぜひご参加されませんか?声だけでも大丈夫ですよ。では、まずはSさんのタイム設定はいくつにしますか?

Sさん:震災当時、57歳でした。だから、57秒に設定してほしいです。あの日を忘れないという気持ちも込めて

宮島:ありがとうございます。では、奥さまのMさんはどうしますか?

Mさん:ありがとうございます。好きな数字の3秒でお願いします。

宮島:承りました。Mさんも大変でしたね。

Mさん:そうですね。でも、主人のように会社も大変ですよね。通信関係の仕事でしたから、もうインフラが全部ダメになっていましたからね。

宮島:そうですね。ご主人はご主人で使命を果たされていって、奥さまは奥さまでそのご主人を支え、守られていたんですね。

親子で参加してくださる方も

ー 家族と振り返る10年前の記憶 ー 

お母さん(Kさん)、長男(Hさん)、次男(Aさん)の親子で参加

宮島:10年前の3月11日、みなさんはどこにいましたか?

Aさん:僕は生まれてませーん!

宮島:そうか!まだ生まれていないか。

Kさん:私は職場にいました。揺れた瞬間は、反射的に机の下に隠れましたね。それで一番最初にこどものことを思って。荒川区に住んでいたんですが、長男が当時2歳で木造密集地の中にある保育園に預けていたので、やばいな...と思って。そのことがまず頭をよぎりました。両国にあった会社を出て外に出たら、地面がひび割れて混乱状態で、その中を歩いて保育園に向かって。

宮島:保育園に着くまで、すごく時間がかかったんじゃないですか?

Kさん:16時に退社させてもらって、保育園に着いたのが19時30分でした。途中、古いビルがたくさんある場所では、大きな揺れがあるとビルの外壁が剥落してきて。そんな中を歩いて帰って、やっと保育園に着いてこどもの顔を見た時に、すごくホッとしたんです。それが10年前の記憶です。

宮島:Hさんは、その当時のことは覚えていますか?

Hさん:覚えてることと言えば、急に強い揺れが来て、そしたら先生が早く机の下に隠れなさいっと仰って、それですぐに机の下に急いで入った、ということぐらいしか覚えてないですね。あと、ものすごい衝撃だったなっていうことと。

Sさん:10年かかって、知らなかったことをたくさん知りました。原発の問題も含めて、30歳を超えるまで全く知らなかったんです。それがすごく恥ずかしく思ったし、東北のことを絶対に忘れたくないっていう思いから、今回参加しました。

宮島:ありがとうございます。そういうふうに、思いを傾けてくれることは、東北の方々は本当に喜ぶと思いますよ。僕も何回か東北に伺った際、東北の人たちがすごく歓待してくれてね。逆に僕なんかが元気づけられちゃったりするっていうことがよくあったんです。
一様に彼らが言うのは「東北のことを忘れて欲しくない」と。だからSさんの忘れたくないという想いは、東北の人たちにとっても心強いことだと思います。Hさんは、参加への思いはありますか?

Hさん:震災当時、僕自身は小さかったし、東京の方は直接的な大きな被害というのはなかったと思うんです。だからこそというか、東北の方々の経験を知らないままでいいのか?他人事のままでいいのかな?っていう思いが一つあって。難しいんですけど、何かできることはないかなと思っていたので、このワークショップに参加してみようって思いました。

宮島:すごいね。Hさん、今おいくつでしたか?

Hさん:今、14歳です。

宮島:いやあ!14歳ですごいね。では、Hさん、タイム設定の時間どうしますか?

Hさん:3秒にします。一番好きな数字なのと、3は三角形のイメージがあって。安定していてものすごく強い図形なので、3は特別な数字だと思うから。

宮島:いいですね。Aさんはどうですか?

Aさん:16秒でお願いします。僕の誕生日の日付なんです。

宮島:誕生日いいですね。ではお母さん、結構悩まれていましたが、Kさんはいかがでしょうか?

Kさん:うーん、悩みましたが、0.3秒にします!地震が起きた3月を忘れないようにしたいなと思って。

ー 3.11の経験を、その時の気持ちを素直に知りたい ー

Yさん:参加の動機は、まず手話通訳が着いているということと、今回のワークショップに友人を誘ったんですね。3.11の経験やその時の気持ちを聞きたいという思いがあったこと、また参加される他の方の経験も知りたいと思ったことです。
私の経験からお話すると、私自身は、あまり震災の影響を受けていないこともあり、忘れてしまっているという状態だったんですが、他のみなさんの震災のお話を聞くことによってそのときの気持ちを知ったり、思い出したりすることも大切かなと思って参加しました。

宮島:とても純粋な気持ちで参加いただけて、本当に嬉しいです。先ほどもちょっと話しましたが、東北の人たちの気持ちを想像することが、とても東北の方々が元気になってくれることなんだと思っています。

Yさん:なるほど。忘れないことが大切だということですね。

宮島:そうなんですよね。「時の海-東北」プロジェクトも、忘れないということ、それをアートを使ってやっているんですよね。
アートというのは、想像力をとても鍛えていくものなんです。究極の想像力は、相手の痛み、他者の痛みが自分のことのように感じる力のことを言うんですね。だから、Yさんが、本当に東北の方たちがどんな思いをしていたのか、また他の人たちがどんな思いをしたのか、それを知りたいというのは、その想像力をどんどん膨らましていくことなんですよね。
では、Yさんは、タイム設定は何秒にしますか?

Yさん:19秒にします。小学生のときの出席番号が19番だったのと、私のラッキーナンバーでもあるので。

ー 家族という存在の瞬きを残したい ー

Kさん:10年前の3月11日は、私は小学4年生で、広島県の実家で春休みを過ごしていました。そこで、テレビを見ながら手作りピザを食べていたのを覚えています。家で海外ニュースを見ていたら、日本からの速報だと地震ニュースが流れてきて、すぐに日本のテレビ番組に変えたら、津波の映像が流れているのを見ました。

宮島:なるほど。テレビのニュース映像から、地震のことを知ったんですね。やっぱりそれはショックでしたか?

Kさん:いや、それが、小学4年生の私には、東北が遠すぎてリアリティがなかったというのが本当のところでした。その後、こども新聞などでも、東日本大震災のことが出てきて、津波が13階建てのビルの高さまで行ったという内容を読んで、自分の家のマンションを見上げながら、ここまで津波が来たんだとショックを受けたりはしたんですが、でもどこかまだ現実味がないなという感覚でした。小学生だったというのもあるし、暮らしていた広島県という場所が津波や地震があまり起こらない土地だったということもあったかなと。

宮島:静かな海が広がる瀬戸内海だからね。そんなKさんが、なぜ「時の海-東北」プロジェクトに関わろうという気持ちになったのですか?

Kさん:恥ずかしながら、実はこのプロジェクトのことを私は知らなかったんです。でも、さっきお話されていた友人のYさんが、一緒に参加しようと誘ってくれて。東日本大震災の経験に対してアートという形で取り組まれていること、東北の海が見える場所に設置するというのが素敵だなと思ったんです。今回参加してみて、10年前のあの日、同じ日でも、いろいろな場所で、いろいろな経験をした人がいっぱいいるんだということを知れて、とても良い経験だと感じています。

宮島:ありがとうございます。
海に関して言うとね。東北で出会った人にインタビューをすると、1人も海のことを悪く言う人がいなかったんです。それは、僕にとってもとても不思議でした。東北の沿岸部で生きる人々は、みんな、喜びも悲しみも海と共に歩んできているんですよね。だから、東北の人たちの海に対する想いっていうのは、深くて、すごく太いものがあるんだと思います。
Kさんのように、いろんな捉え方をしていただいて、興味を持ってこうして参加してくださって、そうしていろんな想いを持った方が集まって、このプロジェクトは進んでいっています。だから、参加してくれたこと、とても嬉しいですよ。では、Kさんのタイム設定の秒数はどうしますか?

Kさん:82.6秒でお願いします。

宮島:お、これはなかなか複雑な数字だね。これはどういう意味がありますか?

Kさん:海外留学の準備を進めていて、最近自分の戸籍謄本を見る機会があって、その点呼日が8月26日だったんです。

宮島:戸籍!なるほどね。

Kさん:この日に、この場所で、私の家族ができたのかっていうことを感じて。今年、一人暮らしを始めて、家族って大事な存在だなと改めて思ったんです。それで、ずっと灯し続けたい光ってなんだろうと考えて、家族は光らせ続けていたいなと思って、この数字にしました。

宮島:温かい話だね。そういう温かい想いをのせた光を東北にたむけてくださるのは、本当にありがたいことだと思います。作品が完成したら、ぜひ「家族の光」をご家族のみなさんと一緒に見にきてくださいね。

さまざまな想いを共有しながら、タイム設定を行いました

■「時の海-東北」のイメージと手話表現

今回、11月27日と11月28日のオンラインワークショップでは、初めて手話通訳を設けました。それは、さまざまな背景を持つ人々が、「時の海-東北」プロジェクトを通して、震災の記憶や経験、抱えてきた想いをふっと共有できたり、大切な誰かのことやあの日の出来事を振り返りながら未来に想いを馳せていく。そんなきっかけの場として、このプロジェクトをもっと広く開いていきたい。そういう思いから、このプロジェクトへのアクセシビリティの更新の一歩として取り組みました。

準備を進める中で、「『時の海-東北』の“時の海”ってどのようなイメージですか?」と手話通訳チームから尋ねられました。字面どおりに表すと「時(=腕時計を指差す動作)」+「海(=左手をぐーにして岩に、右手の手のひらを波に見立てて、岩場に波が打ち付けるような動作)」を行う表現になるのですが、それだと、なんだかしっくりこないような気がする、と手話通訳チームからの問いかけでした。

それを受けて、「時の海-東北」の“時”は、“過去〜現在〜未来へと時間軸が
つながっていくようなイメージ”だと宮島さんが説明。

すると、手話通訳チームから提案された表し方は、「歴史(=両手の親指と小指を立て攪拌するようにくるくると動かす動作)」+「経過する(=左腕を左手首に向かって右手4指でなぞるような動作)」+「海」を表す手話表現でした。

「時の海」は、“時が経過していく海”というイメージでこの手話表現になりました

「わぁ!これはまさに表現だね。手話ってイメージを視覚化していくことなのだね」と感動の声を上げた宮島さん。
そう、まさに手話は、そのイメージを映像のように視覚化して伝えていくことができる。そのことを、改めて実感し、このプロジェクトならではの手話表現が生まれた出来事でした。

■あなたも、アーティストの一人

2022年、東日本大震災から11年を迎えます。今年も新たな取り組みにチャレンジしながら、「時の海-東北」プロジェクトへの新たな参加の入口を拓いていく予定です。ワークショップ等の開催は、随時Webサイトのお知らせページでご案内します。
また、引き続き、Webサイトからもタイム設定の参加ができますので、ご興味ご関心のある方は、ぜひアクセスしてみてください。
また、今後のプロジェクトの展開や進捗レポートなども、随時noteで公開します。ぜひ今後の活動もお楽しみに!

【開催概要】
「時の海-東北」プロジェクトオンラインワークショップ〜大切なあの人への想いを巡らすひととき〜
実施日:
2021年10月24日(日)19:30〜21:00
2021年11月27日(土)19:30〜21:00 ※手話通訳付き
2021年11月28日(日)19:30〜21:00 ※手話通訳付き
2021年12月10日(土)19:30〜21:00
※手話通訳コーディネーター:和田夏実(インタプリター)
手話通訳:小松智美
手話通訳:瀬戸口裕子

(text by 嘉原妙)

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