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ナゴルノ=カラバフ難民 裕福だった家族の場合 難民100人取材
強い目をした母は語る”戦って村を、前の生活を取り戻すくらいなら、、、今のままで良い、、”と、、
大好きな人を戦争で亡くした次女は叫ぶ”偉大な英雄なんかになって欲しくなかった、、ずっと私たちの先生でいて欲しかった。”と、、、
戦争前にナゴルノ=カラバフ、シラク村で過ごしていた頃は大きな牧場を経営していて裕福だった家族
2020年44日間戦争が始まる前、ナゴルノ=カラバフ、シラク村に居た時の生活は豊だった。大きい家、大きい牧場、100頭の牛、3台の重機、従業員も牧場で雇っていた。
2020年9月27日、ナゴルノ=カラバフにてアルメニアとアゼルバイジャンの44日間戦争が始まってから16日間はお母さんはシラク村に残った。牧場や牛を守るためだ。日々聞こえてくる爆弾やドローンの音が怖かった。アルメニアの兵士が亡くなるのも見た。戦争中の16日間で最も危険だったのは戦争の中ゴリスへ車で避難する時だった。昼間運転してゴリスへ向かった。なぜなら、もし夜に運転すればライトの光でドローンの標的にされるからだ。
Q”何故、16日間も危険なのにシラク村に残ったんですか?”
”2016年の4日間戦争のようにすぐ終わると思っていたの”とお母さんは答えた。しかし、戦争は44日間続き、戦後の協定でシラク村はアゼルバイジャンに引き渡された。シラクの村を守ろうとした命を落とした兵士たちの努力も虚しく、彼女達の大きな家、牧場、重機、100頭の牛も全て今はアゼルバイジャンの手の中だ。
写真左、家族の少年は写真右の筆者の通訳がナゴルノ=カラバフで教師をしていた時の生徒だった。久しぶりに前の先生と再会できて終始嬉しそうにしていた。
子供達は44日間戦争が始まり2日後、いち早くゴリスへ逃れた。ゴリスに逃れても眠ることなどできなかった。山の向こうではシラク村の学校や家、牧場が爆撃されてるかと思うと、沢山の兵士が亡くなっていると思うと、両親がそこにいると思うと、怖くて夜眠ることなどできない。
Q”今の生活はどうですか?”
”昔の生活の方が裕福でよかったわ。けど、今も牛が少しだけど居て、仕事ができてるから問題ないわ。従業員がいないから全て自分たちでやらなければいけないのは大変だけど、仕事ができて、生きてるもの。”そう、お母さんは強い瞳で語る。話を聞いている限りシラク村での暮らしはかなり裕福で良いものだったはずだが、戦争で突然その素晴らしい生活を失っても仕事があり、生きているだけで良いと言えるお母さんは瞳と同じで強い人なのだろう。戦争で全てを失い、失望する人を沢山見てきた今ならそう思う。
現在家族が飼育している牛
家族の少年が嬉しそうに見せてくれた家族の現在飼育する馬
今はアルメニア本土、ハルジス村で暮らしている。牛5頭、馬2頭、仔牛3頭、ウサギ数匹が居て生活する分には困らない。シラク村の時と同じく100頭にするのが今の彼女達の夢だ。裕福な生活を全て失っても前を向いている彼女達は強い。彼女達は政府から投資してもらい牛を再び買った。来年はもっと投資してもらえる可能性があり、牛をもっと増やせるだろうと語っていた。シラク村時代、大きな牧場を経営していた実績と酪農のノウハウと知識があるために投資してもらえたと語っていた。難民になった時にこそ知識とノウハウだけが大事だと彼女達の例から学ぶことができる。筆者はナゴルノ=カラバフ難民100人取材で教育の大切さを改めて認識できた。学歴や知識、スキルを身につけている人の方が明らかに新しい道を歩み始めていた。しかし、優秀な人でも前と同じような職につけなかったり、ナゴルノ=カラバフの未承認国家アルツァフ共和国では優秀な弁護士でもアルメニアの弁護士資格とは異なるため弁護士として働けないという人たちも沢山いた。一方で、知識や学歴、スキルのおかげで最低限の賃金を得られる仕事に就けた実例も沢山見てきたた。知識や学歴、スキルこそが何もかも失った時に身を守ってくれるのだ。しかし、その学歴や知識、スキルを身につけているかどうかも生まれつきの経済格差、家族の学歴、環境により明らかに格差があるという先進国と変わらない普遍で残酷な真理もこの取材で沢山目にしてきた。
12歳の少年
少年はナゴルノ=カラバフ、シラク村に住んでいた頃は本職は教師である筆者の通訳の女性の生徒だった。通訳のことが大好きなようで久しぶりに再開できてかなり楽しそうに話していた。かなり賢い生徒だったと通訳は語っていた。”ショット、ショット”と少年は筆者に何度も言ってきた。”ショットってどういう意味なんだ?”と通訳に尋ねると、どうやら少年は筆者のしょうという呼び名から、筆者の名前をショットだと勘違いしていたらしい。微笑ましい話だ。そんな可愛げのある少年はシラクの村が大好きだった。友達が沢山いたからだ。今はみんなバラバラになってしまったと切なそうに語っていた。”戦争は全てを奪う。今戦いをしている国。アゼルバイジャンも戦いを辞めなければ、全てを失うことになるだろう”そう少年は語っていた。
家族が筆者のために作ってくれていたアルメニア風のラムのシチュー。トロトロに溶けた肉の奥まで味が染みている絶品。本当にアルメニアの人のホスピタリティは素晴らしいものである。
19歳の長女
お姉ちゃんもシラクの村が大好きだった。優しく気の利く、素晴らしい女性だった。家族が食事を出してくれた際に、筆者がナフキンやナイフが必要になるとすぐに気がついて渡してくれた。もの凄い気遣いのできる娘だ。通訳とネイルの話で盛り上がったり、普通の日本の若い女性と同じでおしゃれが好きな若者だ。将来の夢は幼稚園の先生。SNSにも子供の写真をアップしたり、子供が大好きなのだろう。優しくて気が利く彼女は幼稚園の先生が天職だろうと個人的に思う。それに、子供達も彼女のような優しい先生を望むだろう。夢を叶えてほしいものだ。
16歳の次女
妹は前向きな今時の少女だ。取材中もよく笑っていた。友達と電話しては笑ったり、怒ったり感情豊かな娘だ。”彼女は前向きだから、今も新しい友達が沢山いるから前の生活に未練がないのよ。”そう昔から次女を知る通訳は笑って語っていた。難民生活も性格次第な部分があるらしい。写真を撮る前も髪の毛を必死にセットしたり、あとで一人だけでSNS映えする写真を撮ってくれと頼んできたり、本当に明るい娘だった。冗談もよくいうので絡みやすかった。”辛い経験を乗り越えて人は強くなれる。だから、虐殺や戦争、悲劇を沢山経験してきたアルメニア人は強いの。”そう語っていた。日本の女子高生が彼女と同じセリフを言っても、若い娘がなんか自分に酔っているなとしか思わないが、彼女は辛い経験を乗り越えて笑っている。彼女も全てを、大事な人さえ44日間戦争で亡くしているというのに。ある彼女の言葉に、この国の人の考え方と強さを感じて筆者は衝撃を受けた。
強い瞳をした家族の母
Q”未来に望むことは何ですか?”
”未来のことを考えると悲しくなるわ、、アゼルバイジャンはもう村を返さないでしょうから、、、いいことは考えられない。現実的に考えて、村を取り戻すには戦争しかない、、、でも、戦って取り戻すくらいなら、、もう村も前の生活も要らないわ、、今のままでいい。”そう彼女は切なそうな表情で語ってくれた。その言葉を聞いて筆者は彼女が本当の意味でとても強い人だと思った。そして、平和のためには力や気が強い人でなく彼女のように忍耐強くて優しい、本当の意味で強い人が必要なんだと思った。それに、彼女は知っているのだろう本当の平和の意味を。戦争をするということの意味を。
Q”戦争と平和をどう思う?”
その質問を投げかけると明るい次女の表情は儚げになった。”戦争は大変よ、、何故なら、戦争をする時人は強くならなければならないから、、だから平和な時のほうがいい、、、けど、、”そこまで語ると彼女の雰囲気は再び変わった。その表情は穏やかだったが、その瞳の力強さに筆者は思わず彼女から目が離せなくなった。
”けど、、戦う覚悟はできている。もし村や平和が奪われるくらいなら私は戦う。”
彼女のその力強いセリフ、瞳に筆者は唖然としていた。さっきまで冗談を言ったり、写真を撮る前に髪をとかしていた今時の少女と”私は戦う”と覚悟を決めている彼女が同一人物だと思えなかった。、、、、これが、ナゴルノ=カラバフで係争地で生活するということ、、、戦争を経験するということ、、彼女の力強いセリフ、瞳、そして平和を守るための覚悟を筆者は一生忘れないだろう。
彼女は最も尊敬している、彼女に4年間学校で教えていた大事な先生を戦争で亡くした。彼女の先生は志願兵として44日間戦争に参加した、彼女達の暮らしていたシラクの村を守るためだ。そして、アゼルバイジャンの攻撃で帰らぬ人となった。”彼は偉大な英雄として亡くなった”と彼女は言っていた。”、、、彼は偉大な英雄だったんだろうね、、、何と言っていいか、、、”こういう時に俺なんかに言えることは何もない。”偉大な英雄になんかなって欲しくなかった、、、ずっと私達の先生でいて欲しかった。”戦争は素晴らしい先生を、偉大な英雄に、帰らぬ人にしてしまうのだ。彼女のその言葉は、彼女、いや彼女達の悲痛な叫びだ。