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ナゴルノ=カラバフ難民 勤勉な女性一家の場合 難民100人取材
勤勉な家族のお母さんは語る”平和はお金では買えない、世界中の人々は平和が如何に大事が知る必要があるわ”と
ナゴルノ=カラバフ難民ハイカジャン村出身 勤勉な女性一家 写真左お姉さん(22)写真右お母さん
本題に入る前に、この勤勉な一家のお母さんとお姉さんの写真に見覚えがある人もいるのではないだろうか?。彼女たちは以前筆者が記事に書いた”苦難を乗り越えた若い女性”の家族だ。
苦難を乗り越えた19歳の女性。2021年11月取材当時大学一年生。2020年44日間戦争時は高校3年生、大学受験直前だった。彼女は戦争を体験し、故郷を失い、難民になりながらも、一生懸命勉強を続け大学受験を合格した。そんな、戦争や難民になるという苦難を乗り越え大学に合格した彼女の物語に筆者は感動した。彼女は父親がいない。女手一つで立派に彼女を育てたあげたお母さんはどんな人なのか興味があり、アポを取り取材をすることにしたのだ。彼女たち勤勉な家族に筆者は人生において大事なことを沢山学ばせてもらった。では、本題の取材へ戻ろう。
2020年9月27日に44日間戦争が始まるまで彼女達はとても自然が美しいハイカジャンの村で暮らしていた。彼女達には一家の大国柱、娘達にとっての父、お母さんにとっての夫がいなかった。18年前彼女達はゴリスからナゴルノ=カラバフの未承認国家アルツァフ共和国、ハイカジャン村へ移った。何故なら、アルツァフ共和国は政府からの支援や補助金がアルメニア本土よりも手厚く、アパートに無料で住むことができたからだ。お姉さんは4歳、妹はまだ1歳だった。彼女達と同じように多くのシングルマザーがアルメニアからアルツァフ共和国へ移ったようだ。女手一つで子供達を守るために。しかし、アルツァフ共和国に移った後も彼女達は支援や補助金に頼るだけでなく、お母さんは馬車馬の如く働いた。子供達も小さい頃からそんなお母さんを手伝ってきた。そして、そんな立派なお母さんの背中を見て育った。
アルメニアの人が飼育している牛。牛はアルメニア人にとって財産でもある。
ハイカジャン村に移った当初は何も持っていなかった。ゼロからのスタート、いや一家の大黒柱がいないマイナスからのスタートだった。お母さんは一生懸命他の人の家畜の世話をする仕事をして、お金を必死に貯めた。いつも娘達はそんな家族のために無我夢中で働くお母さんを手伝った。やがて少しづつお金が貯まり、牛や豚など家畜を買った。家族の財産である家畜も丁寧に世話をし、2020年当時牛は10頭までに増えていた。そして念願のマイホームも購入した。そんな彼女達の長年の努力の結晶である家は最近リフォームしたばかりだった。ハイカジャン村は苦労話も笑い話も彼女達の全てが詰まった故郷なのだ。
2020年9月27日ナゴルノ=カラバフにてアルメニアとアゼルバイジャンによる44日間戦争が始まる。彼女達は戦争が始まり直ぐにゴリスへと避難した。時間が無く服以外は何も持ってくることはできなかった。2016年の四日間戦争のように数日で終わると思っていた戦争は終わらず、44日間にもわたる戦争がナゴルノカラバフで行われた。アルメニア、アゼルバイジャン含め6000人以上の人たちの命が失われた。11月10日停戦合意後、彼女達の暮らしていたハイカジャン村はアゼルバイジャンへの引き渡しが決まった。ハイカジャン村のように他の多くの村や地域もアゼルバイジャンに引き渡され。沢山の人々が全てを失った。
彼女達にとっては17年前と同じゼロからのスタートだった。牛も家も何もない、、しかし、多くのナゴルノ=カラバフ難民が失望し支援に頼りきる生活を始める中、彼女達は腐らず前を向いて歩き続けた。お母さんは再び他の人の牛を世話をする仕事を始めた。お姉さんは歯科助手をしながら夢を目指し、妹は戦争に巻き込まれながらも大学受験を合格した。”何もかも失っても、ゼロからのスタートで生活は厳しいわ、、でも、大丈夫よ”そうお母さんは語っていた。何故なら、尊敬できる立派なお母さんが、夢を諦めない強い娘達が、信頼できる家族がいつもそばにいたからだ。
勤勉な家族のお姉さん(22)
お姉さんは今現在、歯科助手として働きながらお金を貯めている。お金が貯まったら、歯科医の大学に通い、歯医者になるのが夢だ。今年(2021年)3月、戦争が終わったばかりの時期に歯科助手の学校をかなり優秀な成績で卒業している。姉妹揃って彼女達は強い。
Q”戦争により学業への影響はなかったのですか?”
”昔からの友達が居なくなったくらいかな。元々戦争のリスクがあるナゴルノ=カラバフで働く気はなく、ゴリスで働くつもりでいたから。”そうサラッと語る彼女は本当に強いと思った。正直ナゴルノ=カラバフに支援目当てで住む人達も少なくない中で、若くして戦争のリスクを考慮している。前向きなだけでなく、現実的だ。強さと賢さを兼ね備えている彼女を素直に凄いと思った。
Q”平和と戦争をどう思いますか?”
”母は戦争を何度も経験しているわ。母は何度も戦争の話をしてくれたけど、正直去年までピンとこなかったわ。でも、去年の戦争を経験した今なら戦争がどれだけ酷いことかわかるわ。だからこそ、今は私が勉強した医療の知識で人を助けたいと思うわ。”そうお姉さんは語ってくれた。
勤勉な家族のお母さん
Q”子供の未来へ何か願いはありますか?”
”真面目に一生懸命働くことを願うわ。家族を守るために。それぞれの夢を叶えるために。”と凛とした表情でお母さんは語る。正直、予想だにしていなかった答えだった。平和や幸せになって欲しいという答えが出てくるかと思っていたが、何という堅実な望み。このお母さんは本当に考え方がしっかりしている。
Q”姉妹二人含めて、みなさん、何故素晴らしいほどに勤勉なのですか?”
お母さんにそう質問をしたが、答えはお姉さんから帰ってきた。”小さい頃から女手一つで家計を支えてきた母を皆んなで手伝ってきたから。母はいつもいい人生は知恵を磨いて、いい仕事を手にする事で得られるものよ、って仕事をしながら私たちに言い聞かせてきたのよ”そうお姉さんは語ってくれた。本当に立派な考え方のお母さんだ。そんな立派なお母さんの背中を見てきたからこそ、姉妹は真面目で強いのだ。こんなに堅実でしっかりした家族見た事がない。あまりの堅実な考え方に感動した。堅実な考え方に感動したのは人生初めてだ。あまりにも立派だ。
Q”平和と戦争についてどう思いますか?”
今度はお母さんに戦争と平和について尋ねた。”戦争は全てを奪う。沢山の兵士の命が戦争で奪われたわ。平和、それはドローンや兵士による爆撃に合わないこと。平和はお金では買えないもの。前ほど豊かではないけど、私も娘達も仕事があり、何とかやっていける。あんなに危ない目に遭う可能性があるならナゴルノ =カラバフには戻りたくないわ。”そう彼女は語る。17年前ゼロからスタートし、家族皆んなで協力して得た家や家畜。それらは資産的価値以上の価値がある彼女達にとってとてもとても大切なものだった。しかし、そんな大切なもの、17年間の苦労を取り戻すよりも、平和な方がいいと誰よりも苦労してきたお母さんは語る。平和とはそれほどの価値があるものなのか。正直平和ボケした国に生まれた筆者には分からない。しかし、ただ一つ筆者に分かることは、17年間誰よりも苦労してきた彼女達の幸せな生活を奪うものがあるのならば、それらは絶対に許されてはならないということである。彼女達の生活を破壊するような権利は誰にもない。
俺はあの日シリアの国境の近くで感じた世界の歪み正体が知りたくて、奪われた人たちの苦しみを伝えたくて、世話になった恩を彼らに返したくて、果たせなかった子供達との約束を果たしたくて、人の命を奪う悪意が許せなくて、何かがしたくてこの100人取材を始めたのだろう。しかし、強い彼女達、難民の人々の生き方、考え方から気付いたら沢山のものを学んでいた。彼女達、難民の人々の物語は本当に美しい。その物語を沢山の人が知るべきだ。いや知って欲しいと個人的に思う。