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10才でしつけを終了したのに

娘が10才のとき、私は「しつけ終了宣言」をした。

10才、つまり小学校4年生の途中〜6年生までこれはとてもうまくいっていた。娘は自立して、自分のタイミングで勉強や、遊びを取り組んでいた。

中学生になった途端、それはガラガラと崩れ落ちた。新しい生活になり、部活もはじまり、帰ってくる時間も遅くなった。

「何ページまでを何日に提出」という方式になれていなかった。後回しにしていた課題は、山のように溜まり、土日は課題でほぼつぶれた。

なかでも英語が困難だった。5.6年生で授業で英語があったはずの娘は、2年間、ただひたすら耳で聴いてカタカナで書いて丸暗記していた。読むことも書くことも学んでいなかった。
※スペルを書く授業はあります。娘の場合は、見て書いただけでは何も覚えられなかったのです。

「Apple」も「rabbit」も、「this」も「what」も読めない、書けない娘に教科書は「小学校ですでに習った単語」という括りで、はじめのページから、これでもかと単語を並べた文章をのせてくる。

読めないし、書けない。わからない。

親の「ほっとけない」スイッチが入ってしまった。サポートするしかないと思いこんでしまった。(我が家の方針だと塾や家庭教師という選択肢は今のところナシなので)

「課題は出てるの?」「今日はどこまでやったの?」「単元テストの勉強やった?」「今日はここまでやるんだよ?」
とにかく誘導、確認しまくった。

うちの娘の中学校は、置き勉OKなので、何も言わないと教科書さえも持って帰らない。教科書もワークもないのに勉強できない。英語は教科書ガイドを買った。課題については「今日は国語の教科書とワークは必ず持って帰ってきてね」などと伝えた。スタディサプリに加入した。

「これやってね」「やったの?」を繰り返すうちに、いつのまにか、娘はまた受け身になってしまった気がする。勉強の時間だけでなくお風呂の時間も、朝起きる時間も、寝る時間も私が口酸っぱく言わないと動かなくなっていた。

今思えば、せめて半年くらい見守っていてもよかったのだ。課題をたくさん溜めたり、ひどい点数を採ることで自分で気づけたこともあったはずだ。

トライアンドエラーを繰り返す絶好のチャンスだったかもしれない。

だけども私は「心配」が勝ってしまった。このまま英語がまったくわからなかったら・・勉強についていけなくなったら・・授業がつまらなくなったら・・受験で行きたい高校を選べないくらいの学力になったら・・学校がつらくなってしまったら・・

それと、もう1つ理由があって、娘と一緒に久しぶりにみる英語の教科書は、私にとって楽しかったのだ。「昔はこうだったけど今はこうなんだ」とか、単語を書いてみたりとか。なのでつい余計にお節介を焼いてしまっていた。

パパも教えるのが好きなので、聞かれると色々と説明していた。

1学期は、毎日私が英語1時間、パパが他教科1時間を娘と勉強した。娘は、分からなすぎて泣いた。泣いた。あんなに娘が癇癪を起こしながら勉強したのは、小1、小2のとき以来?

その横でサラッと宿題をする小1息子。

大変だ!と中学校という新生活の荒波に夢中になって乗っていた私とパパ。

口うるさいのは嫌だけど、勉強というツールで、親にかまってもらえてすこし嬉しそうな娘。
(そう思ってるのは私だけ?)

半年たった時点でどうにか英語も自分で勉強できるようになってきた。ほっとした。

そして、1年生が終わろうとしている今、少し反省もしつつ、娘の成長も信じつつ、もう一度、しつけを終了しようかと考えはじめた。

なんとなく、私が口うるさく言うことが、娘の意欲を削いでしまってる気がするのだ。

もう一度、終了するには、やっぱり私の覚悟が必要だ。

「口は出さないよ。でもそばで見守ってるよ」が、
「口は出さないよ。でもそばで見張ってるよ」では意味がない。

娘が失敗しても「ほら、ママが言わないとこうなる」とか言わないように。

しつけ、第二期、終了??なるか!?

なんとか模索して、覚悟して、実行して、またこのnoteに綴りたい。

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