グッバイ、彗星(Short Story)
スイちゃん。
きみに直接言えなかったこと、伝えきれなかったこと、
たくさんあるから、こうして文字にしてみます。
こんな私に、というと、きみは呆れた顔をしそうだけど、
それでも、こんな私に、
たくさんやさしくしてくれてありがとう。
私のことを知ろうとしてくれて、
手を握ってくれて、抱きしめてくれて、ありがとう。
こんなめちゃくちゃな関係に、
何も言わずに付き合ってくれてありがとう。
例え、嘘っぱちの愛情だったとしても、うれしかった。
スイちゃん。
私はあなたのことが、とても好きでした。
好きにならないでねって言われていたのに、ごめんね。
来世では、私を選んでくれたらうれしいです。
どうか、素敵な人生を送ってね。
グッバイ、彗星
引っ越しの日が近づいてきた。
もうすぐ私はこの街からいなくなる。
あと1週間。
時間の猶予はそれだけしかないのに、私は未だにスイちゃんに連絡ができないでいた。
連絡をしたら、それが永遠のさよならだということが分かっていたから。
だったらこのまま、何も終わらせないまま、黙っていなくなった方がいいんじゃないか。
何度もそう思った。
けれど、私はどうしてもスイちゃんにもう一度会いたくて、
「もうすぐ引っ越すから、最後に会いたいな」と、
おそらく、私のちっぽけな人生の中で、一番悲しいメッセージを送った。
スイちゃんに対してはっきり会いたいと言ったのは、これが最初で最後。
私はスイちゃんの彼女でも友達でもないから、「会いたい」なんて言っちゃいけないと思っていた。それが、私なりの線引きだった。
スイちゃんからは、すぐに返事が来た。
「それは寂しくなるね」
それは、寂しくなるね。
スイちゃんの言葉が頭の中で何度も繰り返される。
どうしてそんなことを言うのかなあ。
どうして、少し寂しそうなのかなあ。
ポタポタとこぼれ落ちる涙を拭って、私は「そうだね」と返す。泣いている絵文字付き。
「それじゃあ、明日会おう」
スイちゃんのその一言で、私たちの「永遠のさよならの日」はあっさりと決まった。
明日、スイちゃんの前で平静を保っていられるかなあ。
急に取り乱したり、好きだと泣きついたりして、スイちゃんを困らせるようなことだけはしたくなかった。
今までと同じように楽しいまま、明るい私の表情をスイちゃんの記憶の中に残したかった。
大丈夫、これだけ会う前に泣いたのだから。
意外とこういうとき、私はあっさりとしているのだ。
自分のことは自分が一番わかってる。
きっと私は、スイちゃんの前では泣かない。
_
次の日、いつもより念入りにお化粧をして、自分が持っている服の中で一番お気に入りのものを着た。
これで最後だと思うと、なぜだか緊張した。心臓はバクバクするし、手汗はひどいし、指先が冷える。戦闘態勢に入ったメスライオンみたいだ。と思ったら、ちょっと笑えた。
待ち合わせ場所へ向かうと、スイちゃんの車が見えた。
さいご。
そう呟いて、車のドアを開ける。
「久しぶり」
「うん」
「じゃあ、いこっか」
永遠の最後のはじまり。
その日、私とスイちゃんはよく笑った。
特段面白くもないことで大袈裟に。
抱き合って、キスをして、一緒にお風呂に入って、何時間もお喋りをした。お喋りの合間にセックスをして、終わるとまたお喋りに戻る。セックスをしにきているのか、お喋りをしにきているのか、わからなくなるほどに、私たちは今まで何度も確かめ合ってきた「恋人への条件」や「結婚で譲れないこと」なんてことを真剣に話し合った。
眠る前、スイちゃんが眠たそうな声で、「もう会えなくなっちゃうね」と言った。
私はきゅっと目頭が熱くなるのを感じて、「そうだね、寂しいね」とスイちゃんの首筋に顔を埋めた。
その日、スイちゃんと私は恋人のようにぴったりとくっついて眠りについた。お互いにそこに相手がいるのを確かめるように。
ずっと背中に回されていたスイちゃんの腕が暖かくて、その温もりが嬉しかった。
明け方、目が覚めると、眠りについた時と同じ体勢で、スイちゃんが私を抱きしめていた。
その腕をそっと外して、スイちゃんの頭を抱え込むように抱きしめてみた。
朝日が登って少し明るくなった部屋で、スイちゃんのいびきを聞きながら、私の腕の中で寝息を立てているこの人のことが、本気で愛おしいと思った。
これが愛じゃなかったら、なんだろう。
私たちの関係は、胸を張って周りの人に言えるようなものではないし、
私が感じた愛情も、もしかしたら錯覚だったのかもしれない。
でも、今はそれでもいいと思う。
一緒にお風呂に入ったこととか、浴槽から溢れる水を見て2人で笑ったことは消えないから。いいの。
朝、スイちゃんはまた「もうすぐバイバイだね」と言った。
私は下手くそな笑顔を作った。今度は、うまく笑えなかった。
「幸ちゃん、困ったら電話して」
「うん」
「幸ちゃんの人生を応援してる」
「うん」
「体に気をつけてね」
別れ際、全ての言葉を飲み込んで、「ありがとう」と言った。
私の情けない表情を見たスイちゃんは、「泣かないの!」と笑った。
私はちゃんと、泣かなかった。
_
スイちゃん。
この街にきたら、私を思い出して。
笑い声を、くりんとした瞳を、小さいとあなたが言ってキスしてくれた唇を、思い出して。
神様。
どうか、この気持ちが安らかなものになりますように。
今日が一番悲しい日でありますように。
そして、スイちゃんに素敵な女性が見つかって、スイちゃんの周りでは楽しいことがたくさん起こって、悲しむことは少なくて、スイちゃんが幸せになりますように。
他の人に想う何十倍もの気持ちで、そう思う。
私なんかが祈らなくたって、きっとスイちゃんは自力で幸せになるけれど、それでも。
スイちゃん。スイちゃん。
今まで本当に、どうもありがとう。
またいつか、どこかで会おうね。
2021/4/8
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