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【シンケンジャー】第40話〜第43話
第四十幕「御大将出陣」
シンケン40話見た ドウコク現世に現るの巻。しかし、その目的はこの世を攻め滅ぼすことでも、三途の川を溢れさせることでもない。志葉家当主に手ひどい傷を負わせたのだって物のついでだ。彼がひどい水切れを起こしてまでわざわざ出向いたのは、自分と太夫を謀ったアクマロを制裁するためだ。
— 望戸 (@seamoon15) January 14, 2024
三途の者は人間の苦しみや悲しみに引き寄せられる。隙間から漏れ聞こえる「人の世の涙をかき集めたような音色」の薄雪の三味線に、いつも耳を傾けていたというかつてのドウコク。やがて薄雪が外道に落ちた時、彼は自ら彼女を出迎える「手前は外道に落ちた。もう二度と戻れねえ。……待ってたぜ、太夫」
— 望戸 (@seamoon15) January 14, 2024
シタリはドウコクの感情を、人間でいうところの執着であるとみている。外道の姿となった太夫を賽の河原で見つけた時、ドウコクが薄暗い喜びの念を抱いたであろうことは容易に想像される。その感情は彼の気性のように烈しく、そして太夫をわが手中に収めた征服感も宿していたことだろう。
— 望戸 (@seamoon15) January 14, 2024
太夫を害そうとしたアクマロを追い払い、ドウコクは乾きかけた体で太夫の前に立つ。己の身体の一部を剥がし、取り返した三味の胴になじませれば、あっという間にその痛々しい傷は消え、三味は元の通りになる。三味を抱き、安堵のあまり声もない太夫。
— 望戸 (@seamoon15) January 14, 2024
三味は太夫の因縁、新左と太夫を繋ぐ忌まわしき絆である。それをドウコクが手ずから直してやった、というのが興味深い。ドウコクが執着しているのはただの薄雪ではなく、逃れられぬ業を抱えた存在としての太夫なのだ。だから彼は新左に嫉妬したりはしない。その悲哀を背負ってこそ太夫は魅力的になる。
— 望戸 (@seamoon15) January 14, 2024
ドウコクは薄雪=薄皮太夫を愛している。自らの辛苦を厭わず太夫を助け、文字通り身を削って彼女の大切な三味を直してやった行動からも、それは紛れもないことである。
だが、外道である彼の「愛」は、人間が同じ人間に抱くような(あるいははぐれ外道がはぐれ外道に抱くような)それとは趣を異にしている。薄雪が新左からの愛を求めたように、人間はしばしば愛に愛を求めがちである。だが、ドウコクは新左を思って爪弾かれる太夫の三味をことさらに好み、彼女にドウコク自身を愛させようとはしない。
生前の薄雪が奏でた三味の音は、三途の川の船上に揺蕩うドウコクの心を安らがせた。彼女が外道に落ちてなお、太夫が三味を弾き、酌をしてやることでドウコクは機嫌を良くする。とはいえ、太夫はドウコクにおべっかなど使わないし、一時は腑破十臓へあからさまに親しみを覚えたりもした。人斬りにしか興味のない十臓のほうでは、とりたててなんということもなかったようだが。
ドウコクが手元に置きたいと願ったのは、ただの恋に破れた女ではない。恋に破れ、愛が成就しないことを骨身にしみて理解しながらも、なお燃え盛るような情熱で叶わぬ幸福を求め、絶対に手に入らないその心に執着を抱く女だ。ドウコクの求めに応じ、太夫は好いた男で出来た三味を奏でる。新左の恨みとも謝罪ともつかない叫び声が、太夫の怨念によって形作られた細指に爪弾かれ、絶対に混じり合わない不協和音がドウコクの耳を楽しませる。
ドウコクは薄皮太夫の不幸を愛している。まさに、外道の御大将である。
一方の殿も前回の戦いを引きずり、どこかぎくしゃくしている。流ノ介たちに近づきすぎたことを後悔し、強さを取り戻すために焦っているような印象だ。それゆえに力量の差も顧みず、彼はひとりドウコクへと向かっていく。が、モウギュウバズーカをもってしても手傷ひとつ負わせることすら敵わない。
— 望戸 (@seamoon15) January 14, 2024
殿の心中を知っているのは茉子と彦馬だけだ。彦馬は「当主ならすべて飲み込まねば」と殿を励ます。ことはも殿の様子を心配しているが、茉子はあえて何も明かさない。殿が「皆といること」を悔いているなどと伝えたら、きっとことはも傷つくからだ。このままでいいとも思わないが、こればかりは→
— 望戸 (@seamoon15) January 14, 2024
殿自身が解決するほかない……といった感じか。踏み込み過ぎないのも茉子なりの思いやりであろう。さきに殿に思い出させた通り、彼女は「命を預け、命を預かる」という大原則の約束をただ守っていくだけだ。
— 望戸 (@seamoon15) January 14, 2024
「家臣」として茉子ができるのは、きっとそれだけなのだ。それ以上を踏み込むためには、立場を超えた「仲間」「友人」のカテゴリにまでそれぞれの距離が接近しないといけない。殿が殿であることを自らに任じている以上、家臣である茉子も出すぎた真似はできないのである。
第四十一幕「贈言葉」
シンケン41話見た 殿とことは、思いを新たにの巻。姉の代用品ではなく自分自身の選ぶ道として、シンケンイエローを頑張ろうと心に決め直したことは。姉上のお手紙をそっと取り、シワを伸ばしてくれる彦馬さんの優しさ温かさよ……。対等な関係の侍仲間ではなく、それを見守る彦馬さんの言葉だから→
— 望戸 (@seamoon15) January 21, 2024
ことはも素直に受け入れられたのかもなあ。心がいじけているときには、近くにいる人の言葉ほど耳に入りづらいものだ。/ことはの本音を偶然耳にした殿は、自分の半端な覚悟が皆を心配させていたと気づく。ことはは茉子にのみ言及していたが、ラストの台詞を聞くにどうやら流ノ介たちも違和感を→
— 望戸 (@seamoon15) January 21, 2024
覚えていたようだ。志葉家当主として「すべてを飲み込む」ことを改めて心に決め、一見普段通りの態度に戻る殿。先々を薄っすら知ってから見ているので、ことはとは真逆の決意がなんとも切なく思えてしまうな……。
— 望戸 (@seamoon15) January 21, 2024
上記でも言及しているが、ことはがくしゃくしゃにしてしまった姉からの手紙をそっと手に取り、元通りシワを伸ばしてやる彦馬さんがただただ温かい。ことはの気持ちも汲みつつ、しかしそっと諌めて励ましてくれる優しい手付きである。
第四十二幕「二百年野望」
シンケン42話見た フォッサマグナか〜???(雑な地理認識)アクマロの狙いは列島を両断し、人間の世界とあの世の地獄とをひっくり返すこと。三途の川に生まれしアヤカシは三途の川の向こうには行くことが出来ない、それが故の好奇心と渇望。裏を返せば、十臓や太夫にはまだ成仏する余地があるのか?
— 望戸 (@seamoon15) January 21, 2024
幼少時より侍としての教育を受けていた千明たちと、そうではなく生まれつき寿司屋の源太。戦の場面ならばともかく、戦略や分析の段となるとどうしても差が出てくるか……
— 望戸 (@seamoon15) January 21, 2024
これが学力の格差社会か……という笑えない冗談はともかく、やはり侍にはそれ相応の手習いがあるようである。モヂカラを扱う志葉家の侍ならなおのこと、古文書の文字なども読めなくてはならないのだろう。
対する源太はたまたま近所に住んでいた寿司屋の倅というだけなので、当然侍の素養など持ち合わせていない。とはいえ、そのハンデをはねのけるだけの新しいモヂカラ「電子モヂカラ」を自ら開発、実装する才覚は素晴らしいものであり、なんなら志葉の侍や黒子たちにも出来なかったことだ。源太がいなければいくつかの装備は実戦投入に至らなかっただろう。源太の生い立ちや今までの努力は誇りこそすれ、卑下するものではない。
だがまあ、この戦闘準備の段においてどこか仲間はずれのような、寂しい気持ちを抱いてしまう源太の心情は大変理解できるものだ。いくら電子モヂカラが使えたって、それは本来の侍戦隊の歴史からすれば紛い物に過ぎない。積み重ねられた歴史の重みを見せつけられては、心も折れようというものである。
第四十三幕「最後一太刀」
シンケン43話見た 十臓を見逃し、さらに膝を付いて行かぬように頼み込む源太の人情は「侍らしさ」には欠けるが、千明と流ノ介は「そんな侍も自分たちには必要」と源太の個性を尊重する。築き上げてきた関係性の重み……!
— 望戸 (@seamoon15) January 28, 2024
侍の血筋でもない、古文書も読めない、全て我流な「自称侍」にすぎない源太。だが、彼だからこそできることもある。仲間たちに代わって十臓に頭を下げるという選択肢は、やはり彼の柔らかい頭と自由な立場でしか取れないものである。そして、当の仲間たちもそれをちゃんと理解し、受け入れているのがありがたい。最初からアウトロー気味な千明と最初からガチガチの流ノ介、両極端の二人からのお墨付きがあれば、もう怖いものなしだ。
対する十臓とも皆そこそこ長い付き合いのはずではあったが、まさか彼が裏正の正体を知ったうえで二百年それを振るい続けてきたとは。作り手のアクマロすら気付かなかったが、十臓は最初から半端者などではなく、完全なる外道となっていたわけだ。白黒のオッドアイがど迫力……!
— 望戸 (@seamoon15) January 28, 2024
自らの死期を見つめ、家族を殺め、数え切れぬほどの人間を斬って斬って斬りまくってきた十臓。死と生のあわいを踏み抜く覚悟などとっくに出来ていたというわけである。
これは完全に余談だが、先日見た『ウルトラマンブレーザー』ザンギル氏は善落ちしたマイルドな腑破十臓といった感じで、あれはあれで良いものであった。いいお話であった。
十臓の一太刀により長年の夢も潰えて、アクマロは二の目により巨大化。結局シンケンジャーたちはアクマロの一の目には負け越しみたいな形になってしまったが、巨大戦で撃破できたので幸い。恐竜折神も揃っての全員攻撃は年末感マシマシでよいものだ……!
— 望戸 (@seamoon15) January 28, 2024
十臓に斬られたことによりアクマロは1つ目の命を失う。かつてだいぶ翻弄されたまま、結局意趣返しは出来なかったシンケンジャーたちである。だが、二の目の巨大戦でようやくお鉢が回ってきた。総力戦により無事に撃破! 2009年最後のテレビ放送、良い年越しであった。いやあ、年明けが怖い怖い。