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【魔戒ノ花】第9話~第12話


第9話「飼育」

 大学生のミキモトが見つけたのは、全裸で倒れていた美しい女性。ミキモトは彼女を生物研究部(おそらく)の部室へ連れていくと、男にひどいことをされたのか、などと気づかわしげに彼女の身体を拭いてやり、落ちていた女もののカーディガンを甲斐甲斐しくかけてやる。彼女は虚ろな瞳で一切の意思表示をせず、肌は冷たく滑らかで、しかし肉感的な身体を持っている。そして「好き嫌い」なく、部室で飼育されていた生き物たちをオスばかり生食する。
 いきなり水槽の魚を手づかみで食べる彼女の奇行に、しかしミキモトはあまり驚いた様子を見せない。それどころか、飼育ケースから掘り出した甲虫の幼虫を手ずから口に運んでやり、自分もカマキリのように彼女に食われたいと切望する。ポラロイドで何枚も写真を撮っては、虫ピンでコルクボードに留めていくミキモト。写真には日数と時刻が記載され、まるで標本のようである。
 やがて部室へやってきた男性(水槽へ無造作に吸殻を投げ込むあたり、特に生物好きではなさそう。名ばかりの幽霊部員なのだろうか)が彼女を見つけ、彼女はためらいなくその「オス」を捕食する。一度ミキモトの前で脱皮していた彼女はそのまま白い繭に包まれ、まるで蛹のような光沢のある姿になる。自分が食ってもらえなかったことに絶望しながらも、ミキモトは彼女の蛹を連れ、ひと気のない屋根裏へと向かう。周りに他の生命が何もいない環境なら、今度こそ自分が選ばれ、彼女の血肉となれるはずだから――果たして羽化した彼女はミキモトだけを見つめ、ミキモトはまるでカマキリのつがいのように捕食前の交尾を果たそうとする。

 ……というのが、今回のホラー・リザリーがミキモトに見せていた幻の一部始終である。クロウが女の腹を貫き、雷牙が言葉で断ずることにより、ミキモト=リザリーはすべての記憶を取り戻す。「ひどいこと」をしていたのも、オスではなくメスばかりを「捕食」かつ撮影していたのも、幽霊部員を殺したのも、全てミキモト=リザリーであった。なぜか都合よく部室にあったカーディガンは、過去の被害者の着衣だったというわけである。ミキモトが匂いを嗅いでいたのは、被害者や自分の残り香がこびりついていたからかもしれない。
 ミキモトがホラーの女を飼っているように見えていたのが、実はホラーによってミキモトが飼われ、知らず知らずのうちに人間を食い散らかしていたというどんでん返し。シリアルキラーの猟奇殺人をホラーが助長した例は前にもあったが(指を集める彼女とか)、今回のリザリーはミキモトの意識と行動を完全に切り離し、身体には餌をとるための猟奇殺人を犯させながらも、精神の方にはまるで死に至るような甘美な夢を見せている。ザルバたち曰くリザリーは覚醒の準備をしている段階とのことだったので、ミキモトが羽化した女と交わり一つになる(という幻想を見る)ことが本覚醒の合図、すなわち精神が死んで肉体を完全に乗っ取る条件ということなのかも。

 さて、今回のゴンザは庭で見つけたクワガタにご満悦である。立派な一匹を大切に持ち帰り、マユリに魂について教えながら一緒に世話をしようとする。が、生憎その個体はすでに弱っていたらしく、一仕事終えた雷牙とマユリが帰ってきた時にはもう動かなくなってしまっていた。
 ひっくり返ったクワガタを手のひらに乗せ、空っぽだと呟くマユリ。自らを器と称する彼女だから、やはり思うところもあるのだろう。だが、青空に向かってクワガタの魂が飛んでいくラストカットには哀しみよりもどこか救いを感じる。狭い部室に押し込められていた大量の被害者たちを見た後だからでもあろうが……。
 エンディングは鎮魂のやけ酒ゴンザと、こっそりひと口舐めて卒倒するマユリ(好奇心旺盛でかわいい)。食事もできるし酒にも酔うし、やはり人形・魔道具と称するにはあまりにも人間らしいよなあ。


第10話「食卓」

 出現場所は分かるがタイミングは分からない、というホラーを張り込むため、朝食のサンドイッチを頬張って出かける雷牙とマユリ。四角く小さ目に切りそろえられたゴンザのサンドイッチは見るからに美しく、雷牙は美味しそうにそれを食べるが、無表情のマユリは「おいしい」がわからないのだという。「おいしい」どころかサンドイッチという食べ物の構成もあまり理解していないようで、パン・具・パン・隣のパンと具の一部まで一気に掴んで口に運んでいる。哀れサンドイッチ。
 雷牙から休みをもらったゴンザは旧知の女性・アンナと待ち合わせをし、張り切ってデートとしゃれ込む。やたら絵の上手い似顔絵描きに似顔絵を描いてもらったり(一つ後の回ではなくあえてこの回にご出演というサラッと加減)、買い物に付き合ってランチをしたり。だがある意味では魔戒騎士たちと同じくらいワーカホリックであるゴンザの頭の中は、どうしたらマユリを笑顔にしてやれるかということでいっぱいだ。
 いくら上手に特製スープを作っても、「おいしい」という概念が分からないマユリを笑顔にすることはできない。苦悩するゴンザがひらめいたのは、スープ皿に動くイラストを付けることであった。冴島家のダイニングに飾られていた、世にも珍しい動く絵画。絵の中の生き物が可愛らしく動くさまを眺めるマユリは、確かに笑みを浮かべていた。幸運なことに、その絵画は元魔戒法師であるアンナが描いたものらしい。
 ゴンザの作戦は功を奏し、スープを口に運んだマユリは微笑んでくれた。冴島家の家族だけが飲める特別なスープ、という説明にも耳を傾けていたので、そこにも感じるものがあったのかもしれない。
 結局ゴンザは味だけで「おいしさ」を理解させることはできず、アンナの法術やスープの歴史に頼ることになってしまった。だが、忘れてはいけない。ゴンザのやりたかったのは「おいしさをわからせること」ではなく、「マユリを笑顔にすること」なのだ。楽しい、嬉しい気持ちと共に口にしたスープの味が、マユリの心と体に沁み込んでいって、いずれ彼女の中でポジティブな「おいしい」という概念に育っていく。冴島家特製スープの味を彼女がしっかり覚えるころには、きっと「おいしい」についても少しは納得を示してくれるのではないかなあと思う。


第11話「漫画」

 今回のホラーは落ち目の漫画家に取り憑いた。アシスタントにプライドを傷つけられ、その才能を妬んだカワバタは、ホラー・カリカジュアンと一体化することによって他者の才能を自分の物にする能力を得る。カワバタがペンを振るうとアシスタントのタナカはまるで紙に描かれたキャラクターのようにその姿を変え、くしゃくしゃと丸まってカワバタの口の中へ吸い込まれて行ってしまう。読んで字のごとく、「才能は私が”いただきます”」されてしまったわけだ。
 子どもたちの立ち読みからたまたまカワバタの漫画を見かけ、そこに刻まれた魔戒文字に気づいた雷牙たちは、カワバタのアトリエへと踏み込む。どうやらクロウはすでにカワバタの件を知っていたようだが、教えるつもりも手伝うつもりもないようだ。石板に関わるホラー以外には無頓着なのか。ある意味職務に忠実ではある。

 カリカジュアンの名前はカリカチュアから来ているのだろう。単に漫画をさす「コミック」ではなく風刺・誇張の意味を含む「カリカチュア」が用いられているのは、カワバタの膨れ上がる功名心を現しているようで興味深い。
 孤独だった子ども時代、カワバタの心を救ったのは自作の漫画であった。クラスメートがそれを読んで喜んでくれることが、彼自身の嬉しさにもつながった。ひとりの人間が漫画家を志すには十分すぎるきっかけのエピソードだ。
 だが、原点であるはずの手書き漫画「ニンジャリン」をカワバタ=カリカジュアンは乱暴に踏みつける。今の彼の頭にあるのは、如何にして売れる漫画を描くかということのみである。そのためには人間の嫌な部分ばかりを取り上げて作劇し、画風の全く異なるライバル作家たちの「才能」を食べて吸収することも厭わない。それに、1位の「ぺろぺろキャンディーズ」が作者失踪により休載すれば、2位の「マカイキング」は当然繰り上げ1位に躍り出ることができるわけだし。

 紙に書いた武器を実体化したり、描いた戦車やキャラクターを使役して戦わせたり、カワバタの戦い方はなかなかトリッキーである。コエカタマリンのような攻撃は漫画ネタのお約束であるが、投げつけられたふきだしをポンポンと飛んでいく雷牙はやっぱり軽やか。
 本性を現したカリカジュアンは、漫画「黄金騎士の最期」の展開に合わせて戦局をコントロールする。となれば、原稿を汚してピンチを脱するのもまたお約束。ラストの大ゴマにたどり着く寸前、ガロは牙狼剣の切っ先にへばりついたインクを振るい飛ばすことで原稿を汚し、ストーリーの結末を変えることに成功する。キメゴマ再現アングルはよいものだ……。
 黄金騎士に倒されたカワバタが消える直前、「ニンジャリン」を手に現れたマユリは「この漫画、私は嫌いじゃない」と彼に告げる。その一言を聞いたカワバタは、泣き笑いのような歪んだ表情を浮かべて消えていく。売れ線を意識したわけでもない、ペン入れもされていない、鉛筆書きの素人漫画。シンプルな描線のキャラクターが織りなすのは、おそらくギャグの入ったヒーロー物語であろう。カワバタは強いて否定しようとしていたが、それでもやはり「ニンジャリン」は彼の原点なのである。ホラーに取りつかれたカワバタは常に猫なで声でしゃべっていたが、「ニンジャリン」について語っている時の声は少し趣が違い、過去を慈しむような優しい雰囲気であった。

 週刊ビクトリー編集部、阿鼻叫喚になっていそう。休刊に追い込まれでもしたらカリカジュアンの罪は重いぞ……。
 EDで週刊ビクトリーを読んでいるマユリ(立ち読みではなく買ってきたのが偉い)だが、ゴンザに雑誌を渡したあと苦しげに胸を抑え、缶に入った薄焼きのビスケットのようなものを齧って、荒い息を必死に押さえようとしている。マ号ユリ型、もしかして活動限界があるのか? 石板のホラーを集める旅路はまだ道半ばのはずだし、邪気の許容量に達したわけではないだろう。となれば、雷牙が仕事にのんびり取り掛かり過ぎているのが理由なのではないかと想像してしまうところ。うーむ。


第12話「言霊」

 今回の雷牙たちのお仕事はホラーを狩ることではなく、霊獣の雛をあるべきところへ帰しに行くことである。
 祖父から引き継いだと思しきレトロな田舎家にひとりで住んでいる女性・カリナは、そのほわほわを道端で偶然拾い、持ち帰る。彼女の家は一人暮らしには少し広い二階建て、玄関付近には使われていない足踏みミシンや杖がそのままになっている。古めかしいブラウン管のテレビがインテリアのように置かれた居間にはこまごました小物が並べられており、ほわほわも棚のガラス瓶の中に大切そうに仕舞われる。机には祖父の写真と、祖父から貰った木彫りの人形。大きな家のはずなのに、居心地の良い居室にだけギュッと物が詰まっている。その部屋が主な彼女のテリトリーで、他の部屋は祖父が遺したままの手つかずになっているのではないかと想像させられる。
 時間経過とともにどんどん大きくなったほわほわは、ついに瓶を割って外の世界に飛び出す。突然活発に動き出したほわほわを、驚きながらも嬉しそうに受け入れるカリナ。ほわほわもコガモのようにカリナについて回る。
 在宅で翻訳の仕事をしているカリナは、同居者と言えば金魚を数匹飼っているくらいで、基本的にはいつも一人で過ごしていた。外出から帰宅しても、無言で家に入るだけ。だが、ほわほわと暮らすようになった彼女は、帰宅を待ちかねていたほわほわに笑顔で「ただいま」と声をかける。時にはお気に入りのバスケットに入れ、一緒に散歩にも出かける。ブラシをかけてやろうとするカリナに対し、ほわほわはブラシに軽く火をつけるようないたずらまでする。
 時間の止まったようなその家にあって、ほわほわの存在は新鮮な喜びに満ちている。だが、幸せな時間は長くは続かない。ある夜、突如としてカリナは怪奇現象に襲われる。耳をつんざくような轟音と眩しい明滅、背後から迫ってくる真っ黒な女の影。キーキーと鳴き声をあげて呼応するほわほわ。
 駆け付けた雷牙たちが刀を振るうことによって怪奇現象は収まった。詳しく語られることは無かったが、あんなに懐いていたほわほわがカリナに害を与えるとは考えづらく、また雷牙たちが何かを斬った後もほわほわはほわほわのままであったことから、おそらくはほわほわに引き寄せられた何かの仕業であったのだろう。雷牙たちが言うには、ほわほわは霊獣の雛なのだそうだ。「だからこいつを返さなくちゃいけない」と言う雷牙に、カリナは「名前つけなくてよかったぁ」とうつむきがちに微笑む。そして、自分も雛の巣立ちに同行したいと申し出る。
 カリナの申し出を雷牙は快諾する。二人を見送った後、「雷牙さんは優しいですね」と皮肉交じりに冷たく述べるクロウに、「優しすぎる」と応えるマユリ。同じ「優しい」でも、実直なマユリの言葉には温かな呆れのニュアンスがあるのが少し嬉しい。

 見えないものを見えるようにする薬を飲んで、雷牙とカリナは幻想的な世界の中を歩いていく。きらきらと輝き、鮮やかに彩られた道程。いつもの世界から一歩隣にはみ出したような、少しだけふしぎな光景の数々。ともすれば不気味にも思えてしまいそうだが、小舟に乗ってすれ違う新郎新婦の姿などを見ると、そこまで恐ろしいとも見えない。雷牙曰く(母の受け売りだそうだが)、その薬を飲んで見える光景は人によって違うのだそうだ。カリナにはノスタルジックな景色が見えているが、雷牙にはまた違ったものが見えているのかもしれない。あるいは同じ景色でも、捉え方によっては別の意味が見えてくるということなのか。
 普段は目には見えなくて、人によっては違って見えるもの。まるで心や言葉のようだ。

 今回のサブタイトルは「言霊」である。だが、雛とカリナの間に言葉によるコミュニケーションは存在しない。雛は言葉を喋れないし、カリナも積極的に雛に話しかけていたわけではない。そもそも彼女は、呼びかけるための名前すら雛へ与えていなかった。常に一緒にいたから名前を呼ぶ必要も無かったのだろうが、「やっぱり普通の動物じゃなかったんだ」と呟くカリナの複雑そうな表情を見るに、いつか訪れるだろう別れに備えて深入りを避けたのだとも考えられる。名前を付ければ、それは自分にとって特別な、忘れがたい存在になってしまう。
 かつてカリナと祖父は霊獣の姿を目にし、祖父はそれを「ツキトンボ」と呼んだ。「あれはね、えーっと、ツキトンボかな」。もしかすると咄嗟にでっちあげた、架空の名前だったのかもしれない。雷牙たちも霊獣は霊獣としか呼んでおらず、個体名には言及していない。
 名前を与えられたことで、カリナの中でツキトンボは特別な存在になる。だが、カリナの描いている鳥のようなツキトンボの絵と、祖父の作った竜のようなツキトンボの木彫りは、まるで別の生き物かというくらい全くそのフォルムを異にしている。一緒に見たはずなのに、その思い出を共有できない。日ごろ忙しい祖父に寂しさを募らせていたカリナは、この看過できないすれ違いに癇癪を起し、木彫りを「いらない」と投げ捨ててしまった。
 雛と暮らすようになってから祖父の夢を見るようになったというカリナは、幼少時のこの体験を未だに引きずっている。祖父の言葉で気持ちを聞きたかった、と。カリナも、そして恐らく祖父も、文字を扱う仕事を生業としているようだ。もしかすると、同じ翻訳の仕事をしているのかもしれない。あちらの言葉をこちらの言葉に変換し、その内容を相互に伝える。カリナたちはいわば言葉のプロフェッショナルである。思いを言葉にすることにこだわるのは、言ってみれば彼女の職業病かもしれない。
 だが、そんな彼女に雷牙は一つの言い伝えを教える。自分の目で見た霊獣の姿をかたどり、大切な人に贈ると、贈られた人間は幸せになれるのだそうだ。だから祖父がカリナに贈った木彫りは、祖父の見たままの姿でなければならなかった。面と向かって言葉にはせずとも、その似ても似つかぬツキトンボこそが祖父の愛情の証である。

 辿り着いた川で、雷牙たちは雛を親元へと返す。悠然と頭上を飛ぶ霊獣の光に、雷牙は父母と触れ合う幼い自分の姿を幻視し、カリナは木彫りのツキトンボの姿を見る。雛を連れてきたご褒美に、二人の見たいものを見せてくれたのだろうか。
 霊獣の幻の中、眠る幼いカリナを見つめた祖父は、「おじいちゃんの、大切な大切な宝物なんだよ」と優しく告げる。口から発せられた言葉はあたたかな光となって、カリナの小さな耳に届く。カリナが気づいていなかっただけで、祖父の気持ちの言霊はとっくに彼女の元にあったのだ。

 家で目覚めた彼女は、予告通りふわふわに関するすべての記憶を消されている。だが、木彫りのツキトンボに、彼女は小さな羽を幻視する。言葉が無くても、記憶になくても、言霊は確かにカリナの中に息づいている。抜け殻のような家に住みながらカリナが求めていた祖父の愛情は、見えないだけできちんとそこに存在していたのだ。障子は柔らかな虹色の光に染まり、薄暗かった部屋に差す彩りはまるで彼女を慈しむかのようである。

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