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【感想】どきんちょ!ネムリン 第10話

『どきんちょ!ネムリン』第10話「バス停くん田舎に帰る」を見た。

 八万年の眠りから目覚めた妖精のような小さな生き物・ネムリンと、一本の古びたバス停との、絵本のような交流のお話である。そのバス停は、この頃なぜか決められた停留場所から姿を消しては、駅のホームや川を下るボートの中で発見されていた。バス会社の人は誰かのいたずらを疑っているが、実際にはそれはバス停の自発的な家出である。バス停は、都会を離れて田舎に向かおうとしていたのだ。

 バス停は「東京に馴染めない」と繰り返し口にしていたが、彼の勤務状況を見ているとなるほどそれも頷ける。朝からバス停には多くの人が並び、ひっきりなしにやってくるバスが彼らを目まぐるしく呑み込んでは走り去っていく。並んでいる人たちは老いも若きも様々だが、ひとつだけ共通点を上げるとすれば、誰もバス停に大した注意を向けていないことである。バス停の頭がネムリンにすげ変わっても、バス停がとんでもなくおかしな場所に立っていても、人々はそんな些細なことなど全く気にすることなく並んでいる。並ぶ順番で喧嘩をする主婦たちはバス停よりもバス停の細かな位置取り(つまり、自分の真ん前にバス停があるかどうか)のみを侃々諤々いがみ合っているし、翌朝バス停に並んでいた老若男女はおしゃべりしたり編み物や読書をしたり、誰もバス停の方向へ顔を向けている者などいない。喧嘩以外はよく見る光景ではあるが(ただし現代では皆スマホに夢中である)、その無関心さがきっとこのバス停には耐えがたかったのだろう。
 ゆえに、ネムリンが自分の声に気付いてくれたことが、バス停にはきっと縋りつきたくなるほど嬉しかったのだろう。バス停の三度目の家出先は、ネムリンが居候している大岩家の目の前であった。仲間のビビアンとモンローの力を借りて、ネムリンはバス停を元の場所へと返しに行く。だが、ビビアンたちを帰らせ、乗客たちが何巡もバスに乗って去って行っても、ネムリンはその場を動こうとしない。わざわざ家の前までやってきたバス停が、何か自分に言いたいのではないかと考えたからである。
 ネムリンの予想どおり、バス停はやっとのことで口を開く。「オレ汚いから今日中に壊される」――自らがお役御免になると知り、その最後の朝に、バス停はネムリンの元へやってきたのだ。しょぼくれたような声は、何もかもを諦めてしまったような雰囲気である。せめて最後に、自分に気付いてくれたネムリンに会いたかったのだろうか。

 だが、ネムリンはバス停を助けるべく動き出す。再びバス停を家へ連れ帰ったネムリンは、楽しそうに歌いながら洗剤でバス停を磨き上げていく(前にもおんなじ歌を歌っていた。適当な鼻歌なのだろうがかわいい)。すっかり綺麗になったバス停は自信を取り戻し、前向きな気持ちで己の職務に取り組もうとする。泡と一緒に流れていくホースの水は清々しく、希望に満ちて爽やかだ。長らく忘れていた他者の温かみに触れ、バス停は再び働くモチベーションを得る事が出来たのだ。
 翌朝、意気揚々と元居た場所に戻ったバス停とネムリンだが、そこにはすでに新型のバス停が立っていた。バス停は「壊される」と言っていたが、古びたバス停が一つ姿を消してもバスの停留所自体が無くなるわけではなく、つまりバス停が大岩家の庭で一晩明かしていたうちに、予定通り停留所は入れ替えられてしまったのである。

 一度立ち直りかけた心を完膚なきまでに叩きのめされ、バス停はふらりと居なくなってしまう。道路や川に身を投げ出し、果てには焚火の真ん中に立ち尽くして、自ら命を絶とうとするバス停。バス停を探し回るネムリンは、トラックの運転席に飛び込んでドライバーからハンドルを奪い、魔法の角笛で焚火に雨を降らせて、何とかその行いを食い止める。焚火跡からゆらゆらと立ちのぼり続ける白い煙、バス停をしたたってコンクリの台座へ落ちていく雨のしずく。同じ水でも、昨日のシャワーはあんなに明るい雰囲気だったのに、今日の水滴はまるでバス停が零した涙のようである。
 バス停を落ち着かせるためにジュースを取りに行ったネムリンだが、帰ってくるとバス停は再び姿を消していた。すっかり気落ちして帰宅するネムリン。だがその三日後、大岩家に思わぬ電話がかかってくる。

 ネムリンがバス停と話をしたことを、ヒロインのマコやその両親はちっとも信じようとしなかった。ふたりで電車に乗りながら、マコは「私、まだ信じられない」とネムリンを見上げる。身軽なネムリンは吊革にぶら下がりながら「信じなくてもいいよ」と応え、そのまま視線を窓の外へと動かす。つられてマコも外を眺める。車窓の向こうには青々とした田んぼが広がっている。
 皆が信じてくれなくても大丈夫。確かに信じてくれる相手が一人でもいれば、それだけで心の支えになる。ネムリンが半信半疑のマコと一緒に遠出をするのは、マコならきっと自分の見聞きしたものを信じて受け入れてくれるという確信があるからだ。小さな駅で電車を降りた二人は、田んぼの中のあぜ道を当てもなく歩いていく。すると、遠くから「ネームリーン!」と呼ぶ声がする。
 そこにいたのはあのバス停である。東京で居場所を失くした彼は田舎へIターンし、そこでかかしとして第2の人生を送り始めていたのだ。ネムリン曰く「田舎には田舎のバス停がいるから」、再び停留所の仕事ができるほど世の中は甘くない。だが、誰もかれもが通り過ぎていく停留所にぽつんと立ち尽くしているより、田んぼの中に一人で立っている方が、このバス停の性には合っているのかもしれない。なにせ、かかしは無視をされない。鳥避けのため、かかしは目立ってなんぼなのだ。帽子と手袋をつけたユーモラスな姿は田園風景の中でひときわ異彩を放っており、鳥ならずともついつい目を止めてにっこりしてしまうこと請け合いである。再会したネムリンとバス停、そしてマコは楽しそうに笑い合い、くるくる回って遊んでいる。
 バス停が新たな仕事を始めることが出来たのは、ネムリンがバス停の事を諦めずに信じてくれたからだ。汚れて処分されそうになった時には、自ら洗って綺麗にしてくれた。やけを起こしたバス停が命を絶とうとしたときには、身体を張ってそれを止めてくれた。ネムリンの信頼を有難く思うからこそ、バス停は自分から姿をくらませた。あるいは流れ落ちる雨水に、ネムリンから洗ってもらったときの水の感触を思い出したのかもしれない。温かな記憶を杖にして歩き出したバス停は、ネムリンに安心してもらえると思える居場所を見つけてから、やっと大岩家に電話を掛けてきたのだろう。

 自分を信じてくれる誰かがいれば、どこでだって、何度だってやり直すことは出来る。バス停なおもて再出発を遂ぐ、いわんや人間をや――なんだか心の温まる、ふんわりした元気をもらえるような一話であった。バス停、どうか新天地で元気にやっていてほしい。青々と伸びていく苗や、黄金色に垂れ下がった稲穂の海の中で、恵みの雨を全身に受けるたび、きっとバス停は大切な友達のことを思い出す。それは結構、幸せな日々ではなかろうか。

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