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【シンケンジャー】第21話~第26話


第二十一幕「親子熊」

 ちゃらんぽらんなおじさんだが実は強者、千明パパ。侍の家系の方なので、武芸をたしなんでいるのはまあ当然と言えば当然であるが、全くその気配をうかがわせないというのも達人の技だよなあと思う。気配や殺気を消す的な……。


第二十二幕「殿執事」

「あくまで執事」ならぬ「ダウトの執事」である(ちょっと苦しい)。普段は傅かれる側の人間である殿が、執事らしい振る舞いが出来ないゆえに御曹司のばあやにビシビシやられるこの状況、千明や茉子なら笑い飛ばしそうなものであるが、優しいことはではそうもいかないようだ。
 それでも御曹司を救うため、ことはは心を鬼にして、執事(殿)に八つ当たりのような暴言を吐く。けなされることには慣れている、なんて寂しいことをかつて言っていたことはだが、逆に誰かをけなしたり、嫌われようと振る舞うのもまたひどくストレスのかかる行為であろう。それでも私情より侍の責務を優先して、彼女はその小芝居をやり遂げる。
 そんなしんどい仕事の後でもことはがいつも通り笑っていられるのは、心を開ける仲間がいつもそばにいてくれるからだ。「殿さまは殿さま」であるように、「ことははことは」であり、みんながそれをちゃんとわかっている。そのことは、彼女の自尊心にとって大きな救いになるだろう。


第二十三幕「暴走外道衆」

 外道に落ちても旨いものを旨いと感じることはできるのか。確かにドウコクはいつも浴びるほど酒を飲んでいるものなあ。


第二十四幕「真侍合体」

 人間だったころに腑破十臓の抱いていた願いはとてもシンプルで、それゆえに強度がある。彼が三途の川においてブレずに一匹狼を貫いてこれたのも、その思いの強さゆえであろうなあ。


第二十五幕「夢世界」

 夢の世界に侵入し、やりたい放題しながらアヤカシ・ユメバクラを追い詰めていく千明たち。夢を見させられている人々は、源太をはじめ皆一様に楽しそうな様子だ。悪夢を見せるアヤカシでないだけ、なんだか良心的な気すらしてくる。
 一方、茉子はユメバクラの力で薄皮太夫の夢の世界へ迷い込む。過去視ではなく、あれはあくまでも薄皮太夫の見る夢なのだ。外道に身を堕とし、ドウコクのもとで日がな三味をつま弾きながら揺蕩うように生きている彼女だが、燃え盛るあの日の炎は常に太夫を苛み続けている。太夫にとって、これは現在進行形の地獄なのである。


第二十六話「決戦大一番」

 死者をこの世とあの世の狭間に引き留めるのは、その者の無念であり、思い残したなにがしかのものであろう。強者との死合を望んだ腑破十臓は、丈瑠との一騎打ちによりその願いを満たされてしまった。三途の赤い水ではなく、荒れながらも青い海へ落ちていく十臓の姿が印象的だ。シタリの毒は聖なる人間界の水で浄化された。外道に染みついた三途の匂いも、大いなる海のうねりに揉まれれば、いつか洗い流せるのかもしれない。
 薄皮太夫も船を降りたが、さりとて彼女には満たしたい欲も行きたい場所もない。十臓は裏正と切り結ぶ相手を常に求めていたが、太夫の唯一求めた者はすでに彼女の手の中で日夜悲鳴を上げている。人間にも交われず、外道衆にも身を置けず、まさに「はぐれ」の肩書がふさわしいような状態。悪夢のような過去をさまよい続ける限り、彼女に安息の地はないのかもしれない。

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