【感想】どきんちょ!ネムリン 第18話
『どきんちょ!ネムリン』第18話「さすらいの除夜の鐘」を見た。
正月を迎える準備が進められ、なんとなく和やかな雰囲気の年の瀬である。玉三郎はビビアンとモンローの元へアルバイトの口を持ってくる。それは、"家出した"お寺の鐘の代わりをモンローが務める、というものであった。棒で突かれるたびに「モンロ~」と鳴き声(?)をあげるモンローが律儀。
マコの手作り探偵コスに身を包み(鹿打ち帽と丸眼鏡がかわいい)、あまり乗り気ではないながらも調査に乗り出すネムリン。時を同じくして鐘撞き棒がへし折られる事件が発生し、恨みを持つものの犯行、すなわち犯人は棒に撞かれ続けた鐘であると推理したネムリンは、家出の理由も撞かれてばかりの人生(鐘生?)に嫌気がさした事ではないかと言い当てる。まして大晦日を目前に控えたこの時期、除夜の鐘で連続108回も撞かれると思えば、逃げ出したくなる鐘の気持ちもわからないではない。
そしてネムリンの予想通り、鐘の次なる標的は和尚その人であった。棒を使って鐘を撞いていたのは和尚なので、順当と言えば順当である。ふわふわと空中に姿を現した鐘は和尚とネムリンへ襲い掛かる。二人は命からがらその場を逃げ出し、寺は鐘に占拠されてしまう。
モンローを代役にしてみたり、ネムリンに頭を下げて鐘の居場所調査を依頼したり。なんとしても除夜の鐘を撞かねばならないという責任感から、和尚は当初すっかり困り果てていた。だが、撞き棒ともども鐘の恨みを浴びたことをきっかけとして、彼は却って鐘の気持ちに思いを馳せ、共感と同情を覚えるに至る。
ついに和尚は鐘を撞くのではなく、自分が代わりに鐘に撞かれることを決意し、立派な除夜の鐘となるべくボクシングジムに通って特訓を始めるのであった。和尚がこんなに鐘の事を思っているのに、鐘の方ではちっともそんなことなど知りやしない。それでいて和尚は自ら愛情をアピールするでもなく、淡々と自らを犠牲にし、ことを丸く収めようとしている。傷だらけになりながらもサンドバッグを頭で受け続ける和尚の姿を見て、こんな馬鹿なことがあっていいのか、とネムリンは涙を流す。そんなネムリンに、和尚は以下のように言い含める。
「ネムリン、人生とはこんなものよ。そこはかとなく馬鹿々々しいもの、名もなく、貧しく、美しくもなく」
ネムリンは鐘を連れてボクシングジムに舞い戻り、和尚の姿を鐘に見せる。馬鹿々々しく、美しくもなく、ひたすら愚直である和尚の行為は、それ故に鐘の心を打ち、深く響く。そこに和尚の人生の妙味が織り込まれているからこそ、いたずらに自分の頭を打ちつけているような和尚の姿がなぜかいじらしく、尊いものに見えてくる。
和尚の思いに感じ入った鐘は深く反省し、「叩かれる喜び」を思い出す。鐘とは撞かれて初めて音の出るものだ。和尚が棒で鐘を撞くのは、和尚と鐘との間で行われる唯一のコミュニケーションであるとも言えよう。「叩かれる喜び」とはすなわち、両者の間の絆が復活したことを意味する。
さきには空き缶が渓流から大移動し、バス停が神出鬼没に現れるなど、『ネムリン』世界の無機物はわりと簡単に意志を持って動き出す。とはいえ、空き缶がやってきたことはマコの夢オチとして処理されたし、バス停が消えたのは誰かのいたずらだと思われていた。人間たちの間にあっては、常識世界と不思議な世界は、緩くではあるがきちんと線引きされていたのだ。
対して此度の鐘消失事件では、鐘の管理者である和尚は最初から「家出」という言葉を使っている。普通、突然鐘楼から鐘が消えれば、まずは事故(留め具が壊れて転がって行ってしまった等)とか窃盗とかを想像するのではなかろうか。だが、和尚は当たり前のように鐘の出奔を認め、すっかり困り果てている。ネムリン達が本格的に関わり始める前から、和尚は自発的に鐘の自由意志を認めていたことになる。
空き缶やバス停と鐘との違いは何か。それは、空き缶らが不特定多数の人間を相手にして仕事をしているのに対し、鐘は和尚だけがビジネスパートナーであるという点だろう。大勢の人間が利用しているにもかかわらず、空き缶らは人間からは気にも留められていなかった(それ故に優しくしてくれたマコやネムリンに執着したのだ)。だが、和尚は鐘の事を「かわいい子どもみたいなもの」だとネムリンに言う。
大切な商売道具であり、お勤めの相棒でもある鐘に、和尚は自然と愛着を抱いていた。ましてこの街にはファンタジー生物ネムリンがおり、和尚という職業柄オカルトや霊魂への忌避感も少ないと思われる。八百万の神や付喪神は仏教の考え方ではないものの、近しいジャンルではある。和尚が鐘に宿る魂、あるいは神的な意志の発現をぱっと連想したとしても、そこまでおかしくはないだろう。常識世界と「そこはかとなく馬鹿々々し」い不思議な世界はシームレスに接続され、マコや玉三郎もそれを当然のこととして受け止めている。
大晦日を少しまわった夜中、マコとネムリンは寺の様子を確かめに行く。和尚と鐘は自分こそが撞かれようと微笑ましく言い争っているが、じきに厳かな鐘の音が新年の澄んだ夜空へ響き渡るのが聞こえてくる。豪華でも銘品でもないただの鐘から発せられた、平凡だがどこかほっとする余韻。そんな年明けから続いていく人生も、きっと悪くないはずだ。