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【ニンニンジャー】第28話~第33話

忍びの28「激走!牙鬼ニンジャ軍団」

 天晴は朝に弱いという新情報。闇に忍ぶ忍者たるもの、やはり宵っ張りで朝には弱いのだろうか。一番朝練とか好きそうなタイプに見えるのだが。
 幼稚園に張られた大人除けの結界。下手人の十六夜流忍者ハヤブサにとっては高校生も大人判定の御様子。戦国価値観だと元服が済んでいればNGくらいの感じだろうか?
 幼稚園バスでのカーアクションはサブタイトルの「激走」のあやかりか。ソフビと化したアカニンジャーはきっちり園児に捕まってお名前を書かれてしまうが、その甲斐あって子どもに忍者の存在を信じさせることに成功する。近所のあんちゃんがヒーローに変身するよりも、かっこいいおもちゃがヒーローに変身するほうが、子ども的には納得できるのかもしれぬ。

 夏休みからこの方めっきり愛されキャラの風花である。年上勢が妹かわいがりするせいで、凪までうっかりそのテンションに当てられている可能性もある。
 ハヤブサ殿は頭にどかんと一羽猛禽類を乗せている。ひどく肩が凝りそうだが、同時に体幹も鍛えられそうだ。ニンニンジャーよりよっぽど歌舞いているようにも見える。それだけ派手な格好をしても忍びの使命を果たすことが出来るという自信の表れだろう。


忍びの29「忍者すごろく決定版!」

 いくら「忍びなれども暴れる」とは言っても、最低限の忍者としての節度というものがある。忍者であることを秘密にしなかったことよりも、自身の体力をはかるテストで裏技を使ってしまう根性の方がよろしくないというわけであろう。ただまあ、忍術を使いたくなる気持ちはよくわかる。

 旋風の人生すごろくは途中で必ず行き詰まるようにできている。それは旋風がラストニンジャになることを諦めたシーンで、旋風のみならず作者のイッカクサイや雇用主の九衛門にとっても「忍びでなくなる事」が何よりも痛いのではないかと想像させられる。
 人生の行き詰まりを打破するためには、現にその先の時間を生きている当人を連れてくるしかない。未来に何が起こるか分かれば、その先のマス目の内容が分かり、駒を進めることが出来るからだ。
 ということですごろく世界へ連れてこられた旋風だが、彼はその後の自分における平凡な、だがささやかな幸せのある人生を、子どもたちになぞらせようとはしない。むしろ同じ道を歩まないようにと活を入れる。ラストニンジャの夢を諦めたことは、旋風の中でずっと残り続けるしこりなのである。その無念さは旋風を構成する大切な要素の一つではあるが、敢えて後進に引き継がせたいものでもないのだろう。
 八雲の目論見とは少し違ったかもしれないが、こうして一行はすごろくから脱出することに成功するのであった。「忍者すごろく」というか「旋風すごろく」であったが、これから忍者として生きていく者たちにはなにがしかの影響を与えたことであろう。


忍びの30「ねらわれた忍者塾!」

 みんなお年頃なのでね、仕方ないね。視聴者も興味津々だからね。代弁者だね。
 今回のサブタイトルの元ネタはもちろん「ねらわれた学園」であろう。あいにく未履修だが、なにか本編とも絡めてあったりするのだろうか。

 いつも大人びて一歩引いている八雲なので、たまに見せる若者らしいムーブが新鮮かつかわいらしい。これがギャップか。

 忍シュリケンを用いるのが伊賀崎流だけの特徴なのか、それともほかの流派にも広く用いられているのかはわからないが(先輩たちもシュリケンを見た時、特に驚いてはいなかった)、少なくともキキョウと天晴はシュリケンなしでも術を使うことが出来る様子。何か他の仕込みがあるのだろう。地の利のあるキキョウはともかく、久しぶりに一緒に戦うキキョウとすぐに息を合わせてすぐにコンビ技を出せるあたり、天晴の戦闘センスの良さが窺える。忍者塾に来るにあたって、念のためシュリケンを用いないかつての仕込みもしておいたのかもしれぬ。


忍びの31「ニンジャ逃走中!」

ムジナはタヌキ、アナグマ、タヌキでもアナグマでもない生き物を指す言葉として使われている

ムジナとタヌキの違いは?同じ穴のムジナはアナグマのことなの?

 ムジナ、ややこしすぎる。そのミステリアスさが忍びに適しているとも言えるか。

ムジナの使う「いいとこ取りの術」は相手のアイデンティティを奪ってしまう恐ろしい忍術である。ここでバク回の天晴のように忍術そのものが奪われてしまったら詰みであったが、そうではないのでセーフ。ただ忍者であるというだけでなく、忍者になる前の成育歴や個性も大切にして、二本柱でやっていくのが現代の忍びのありようである。

 ずっと巨大化した妖怪とばかり戦ってきたので、相手が分かりやすくからくりであるという状況がまずかなりレアである。カラクリキュウビの見た目は持ち主と同じく狐面をモチーフにしていて美しくかっこよいのだが、倒された十六夜流忍者たちのシュリケンを材料に組み上げられたことを思うとなかなかえぐみもある。


忍びの32「ゲキアツ忍者!アチャー!」

 ドンドラゴクウ回ではなく、ムジナ回その2である。
 オトモ忍たちが使えないというピンチに追い込まれた天晴達は、自分でオトモ忍を作る、どころか自分がオトモ忍になるという斜め上の選択肢でこれを回避。凪がアヒルボートに乗り移っていたのが布石であった。仲間の見せたちょっとユニークな忍術をすぐに思い出して実行できる、行動力とセンスが素晴らしい。

 久々登場ロデオマルちゃん。ほどほどに見せ場を作って活躍させてあげないと、また変な契約詐欺に引っ掛かってしまうかもしれない。オトモだいじに。

 ライオンハオー搭乗時もコックピットから抜け出して生身のまま刀を振るったりしていたし、大型の敵を人間サイズのまま倒すのが忍者界のトレンドなのかもしれぬ。斬撃などではなく自分自身を飛ばしていくのは想定外だったが……。


忍びの33「八雲を愛したくノ一」

 忍者塾回で天晴の色恋を散々いじったと思ったら、今度は八雲にお鉢が回ってきた。鈍感主人公の天晴とちがって八雲はスマートな英国紳士であるので、自分に向けられた好意には敏感なのである。そして紳士たるもの誠意には誠意で応えるのがマナーだ。
 ロミオとジュリエットの戯曲になぞらえてスズメバチを騙し、血清を奪い取る八雲。まったくシェイクスピア様々である。なおwikiによるとロミジュリの初演は1595年前後とのこと。牙鬼幻月が封印されたのは2015年の444年前なので1571年あたりとなり、ロミジュリ以前である。当然、スズメバチがロミオとジュリエットの悲劇を知る由もない。スズメバチが話の大筋を少しでも知っていたら、急に手のひらを返した八雲を怪しむことも出来たかもしれないが、年代的にそれは不可能だったというわけだ。
 そもそもスズメバチもスズメバチで、壁中にアオニンジャーの写真を貼ったりとなかなか情熱的な性格をしている。オタクの祭壇を通り越してもはやストーカーの域だが、晦には宿敵を研究しているように映ったようだ。444年前にはそんな歪んだ愛情表現はなかったのだろうか。牙鬼軍団、案外素朴で平和なのでは?

 そうなのである。今までの妖怪たちと違い、九衛門はあくまでからくりをやられただけなのだ。すばしこい彼の事なので、カラクリキュウビと心中したとは考えづらいところ。

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