銀河の形成
人って銀河みたいなもの。
人の中には記憶の断片が散りじりに漂っていて、
その中の一つを掴んでみると、
その周りにあった記憶の断片がどんどん吸い寄せられていく。
それらはどんどん大きくなり、
更に周りにある小さな断片が吸い寄せられていく。
それが考えるとか思うって事。
それはまるで、銀河の誕生、星々の誕生に似ている。
思考が「わたし」を造り、人格や性格が出来上がる。
それじゃあ、思考が「わたし」を造っているということは、
「わたし」は思考なのか?
そうだとも言えるし、違うとも言える。
何故なら、それは「わたし」の定義によって変わってくるからだ。
たぶん、あなたが思っている「わたし」は思考だと思う。
あなたが思っている時点でそれは思考であると
言っているようなものだからだ。
じゃあ、この思考をしている者は誰か?
そんな者はいないと思う。
思考はそれ単体で独立していて、そして、何にでもなれる。
何故なら、思考もエネルギーだからだ。
じゃあ今、何が起こっているのか?
「わたし」は何なのか?
あなたが思っているような「わたし」は、存在していないと思う。
思考が起きていて、悲しいが起きていて、動きが起きている。
あなたは自分が動かしていると思っているかもしれない。
でも、もしかしたら空気が動いているだけかもしれない。
ぼくたちの体は粒子で出来ている。
そして、この地球はぼくたちの体を構成しているのと同じ粒子で
満たされている。
想像してごらん。
水槽が水で満たされていて、
その中に赤色のインクを一滴落としたとしよう。
そうするとその赤色のインクは「ポチャッ」っと軽やかな音をたて、
水の中に浸透していくだろう。
そして、なんとも言えない美しい模様を描き、
水の中を華麗に舞うだろう。
それは、インクが動いているのか、周りの水が動いているのか、
それは誰にも分からない。
外から観ると赤色が目立つので、
インクが動いているように見えるかもしれない。
でも、引いて見てみると水槽の中の全体の動きがあるだけだ。
赤色のインクをぼくたちの身体とすると、
水槽の中はこの宇宙だ。
全体が動いているのか、あなたが動いているのか?
この問いにはまだ答えられそうにない。
だってこれを書いているのは全体の動きだから。
そんな問いはどうだっていい。
だってそうでしょ?
全体の動きが書いているなら、
それは思考じゃないし、その問いさえも思考だからだ。
この事が腑に落ちてくると、だんだん現実味が無くなってくる。
そして、今が深くなってくる。
仕事に行くと、また現実に戻されたような感じもするが、
それはそれでいい。
まだ楽しむべき、何かがあるのだろう。
今が深くなってくると、「今を生きる」とか「悟る」とかが
どうでもよくなってくる。
それらも幻想で、本物はその背後にあるから。
自分を愛すってのは、
ただただただただ、自分を観てあげるって事だった。
どんな感情も、どんな思考も、どんな行動も、どんな感覚も、
良い悪いを超えて。
ありがとう。
これを読んでくださった方に、「ありがとう」じゃ足りない
「ありがとう」を。