シェア
この何でもない日常に光を持ってくる。 そうすると、全てのモノ・コトが明るみに出てきて、今までは感じていなかった美しさを感じる。 ぼくたちが欲しかったものってそんなもの。 ヒーローになりたいんじゃなく、ヒーローになった後の世界の素晴らしさを見たいだけ。 ヒーローにならなくても、それは叶う。 ”今”叶う。 世界の素晴らしさを見てほしいだけ。 この混沌とした世の中(のように見える)でも、世界は変わらず素晴らしいということに気づいてほしいだけ。 それは何気ない日常から
禅問答は二人いて初めて可能になるが、実際には一人でも可能だ。 "わたし"が湧き起こってくる前に何が在るかを問うてみる。 そこには静寂がある筈だ。 一者は二人にも三人にもなれる。 "本来の私"は一人ではない。
身体の感覚を研ぎ澄ましていると、"気づき"がやってくる。 なんでこんなことをやるのかというと、ここが好きだからかな〜 頭の中も好きだけど、そこはジェットコースター並みにスリル満点だからね。 ぼくは安心を求める。 というより、安心になるのを好むかな。 昔から胸の内にあるものに酔っていて、感情をだだ流しにしていた。 その感覚は今でも好きだけど、"気づき"が深くなっていくと、その強烈さも穏やかになっていく。 "気づき"が"愛"を育てているよう。 昔は"愛"を求めてい