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波打ち際のオト

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何が起きるかは分からないですが、今ここに紡ぐ言葉・間を共有していきます(^○^)
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2021年1月の記事一覧

禅問答は二人いて初めて可能になるが、実際には一人でも可能だ。 "わたし"が湧き起こってくる前に何が在るかを問うてみる。 そこには静寂がある筈だ。 一者は二人にも三人にもなれる。 "本来の私"は一人ではない。

自立とは自分で立つと書くけど、もっと正確に言うと「中心に在る」ことである。 他人に寄りかかるのではなくて、私の中心(今ここ)に戻ってくる。私が立つべき場所はそこで、過去ではない。 経済的自立・精神的自立ってあるけど、それらはここに戻って来るためのターニングポイントに過ぎない。

想像してみて!

昔、 「自分が存在していない世界を想像してごらん。 ......................想像できないでしょ? 人は自分が存在しない世界を想像出来ないんだよ。」 って、一時期流行ったのを思い出した。 これは真理だ。 なぜならあなたは観る者であり、あなた無しには世界は存在し得ないからだ。 この体験はあなたは身体ではないと教えている。 ってつぶやきに書き切れなかったので、こちらに書きました。 ので、終わり。

美しさに命が宿る

ぼくたちが観ているものって変化していきますよね。 変化は常に起きているし、ぼくたちが観ているもので変化しないものはない。 命とは何?って考えたときに、植物は命あるもの。 彼らは変化する。種から芽が出て、茎・枝が伸び、葉がつく。 彼らは生きている。 変化の中に命がある。 ならこういう言い方も出来るんではないか? 「変化しているもの全てに命は宿っている。」 植物や動物・人だけに限らず、目の前に見えている全てに、今観えている全てに命が宿っているんじゃないか。 そし

今日も暖かい部屋で過ごせて、 今日もご飯を食べられて、 今日も温泉に入れて、 今日も水が飲めて、 今日も大切な人と一緒にいれて、 今日もお酒が飲めて、 今日もアッタカイ布団で寝れて、 ありがとう。

ぼくのほしかったもの。

ぼくの欲しかったもの。 それはこれらの景色じゃない。 これらを見た時に感じるココロ。 それは鮮やかで鮮明で、ただただ晴れ渡っているココロ。 それが透明になった時、ぼくはこれらの景色を映し出している。 これらの景色を見るから、心が晴れ渡っている訳じゃない。 心が透明になっているから、これらの景色を映し出している。 ぼくが欲しかったものはこれらじゃない。 これらはぼくが映し出したかったもの。 ぼくが欲しかったものは、ここにあるもの。 あなたの中にもあるもの。

一瞥体験ってみんな体験してるよね。 この瞬間を強烈に体験した事を一瞥体験って呼んでるんだと思う。 それはいつか訪れるものではなくて、今この瞬間を強烈に体験すること。 だからみんな一瞥体験の真っ只中で、エゴもその一部。 あ、あけましておめでとうございます🙏🎉🎊🎍