なぜ、自分はまだこのnoteという場所で書き続けるのか。(2019年版)
「好きなことで生きていく」に必死になりそして敗れた人間の、その後。
人生は死なない限り続いていくのだ。
「好きなことで生きていく」をやりたかった、本当の理由
なぜ「好きなことで生きていく」をやりたかったのか。
それは、自分という人間が
ただ生きていることを肯定されたかった
からなのかもしれない、と思っている。
過酷でつまらない労働に耐えなければ生きていけないのなら、それは人間の存在価値が否定されているように感じられる。
ただ稼ぎたいだけではなく、稼ぎ方が問題となっていた。
今となっては、好きなことやってそれで生きていけるなんて甘い考えだと思うし、それが実現できるのはほんの一握りの傑出した才能を持つ人間だけだということが、身体感覚のレベルでよく理解できた。
Youtuberでもブロガーでも何でも、表に出てこない部分での地道な作業が山ほどあるということを、自分でもやってみて嫌というほど思い知った。
そしてその地道な作業をやったところで、99%以上の人間は成功しないということもよく理解できた。
甘い言葉に騙されると後で痛い目を見ることになる。
しかしだからといって、他の道が正解ということにもならない。
ここがたちの悪い所だ。
もう労働者はみんな、限界を超えている
自分もそうだし、自分の周りの労働者を見ていても、
もうみんな壊れそうになってる。とうに限界を超えている。
いや、すでに壊れて姿を消していった者も珍しくない。
よくある話だ。
ほら、そこのあなたも、なるべく世間から身を隠すように生きてるんじゃないですか。そうでもないですか。
この国で生きていくということは、まるで、
絶望的に難解な方程式を手渡されている
かのよう。
結構、自分も頑張ってきたつもりだったんだけどなぁ。
世間的に真っ当な努力も、
それ以外の創造的な努力も(エピソード1、エピソード2+そのつづき)、
両方を。
でも、結局のところ、幸せになれてないなぁ。苦しい。
綺麗ごとなんてもう、侮辱でしかない。
そんな状況の抜け道は……
「明るい未来」を信じることで現在から目を背けようとする。
今はうまくいってないけど、未来は違うはず。
ひたすら努力すれば、道は開けるはず。
うまく行ってない奴は、途中で諦めたからだ。がんばってないからだ。
そんな物語を信じる。信じ込む。
そんな信仰を武器として手に取り、
好きなことで生きていく派と堅実に働く派に分かれて、宗教戦争をする。
そして陶酔感を味わって、現実を忘れようとする。
人間の理性というものは、脆いものだ。
都合のいいことを信じてしまう。都合の悪いことを忘れてしまう。
脳内の原始的な根っこのところには、利害関係がある。誰しも彼しも。
聖人君主じゃない。
でも実際には、どちらの立場も苦しい。
本当に満たされているならば、そんな争いに加担する必要は無い。
他人を馬鹿にしたり、見下して笑う必要は無い。
心の底から笑えないからこそ、そんなことをしている。
じゃあどうすればいいのかは、自分にはわからない。
それでも、なぜ、自分はまだこのnoteという場所で書き続けるのか
それでもやる。
もう前に進んでいけなくなった側の人間、壊れてしまった側の人間の味方であり続けたいと思っている。
これが自分の役割なんじゃないかと考えている。
面白くないと思われているかもしれないし、もちろんつまらない回も何度もあると思うけど、自分なりに少しでも面白く読めるように工夫しているつもりだ。
毒々しい内容も多々あるけど、真っ当な薬ではなく毒によってしか救われない人間もいる。かくいう自分自身がそうだしね。
気持ち悪い? みじめ? 間違っている?
それも、人間の本当の姿なんだよ。
お前が毎晩ベッドの中で考えていることを、俺が知らないとでも思っているのか。
上手に出来てないということが必要
この2019年にたどり着くまでに、たくさんのものを失ってきたし、親友がこの世を去ったりもしている。
この場で毒をコンテンツ化して消化しておくことで、残された人間関係を大切にしたい、なるべく優しくなれたらいいな、という意図もある。
みな抱えてきたものが多すぎて、踏みにじられてきたものが多すぎて、簡単にはうまくいかないんだけど。
上手には出来そうもないけど、上手に出来てないということが必要なんだよ。
完璧になってしまったら、成功者になってしまったら、この意味においてはもう「用済み」なんだよ。
それは過去の話になってしまっている。
もがき苦しんでいる人間の「現在」が必要で、それはまだまだ足りてない。オンライン上に。
だからやる。目の前の一つ一つの物事と丁寧に向き合いながら。
というわけで、2019年もよろしくお願いしまーす!
力入れて書いてます → 年末に、例のあの娘と5年ぶりに再会してきた話!
頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha