毎日10時間、、、ゲームばかりの大学生が社会起業になった理由
「別に、やりたいことなんてないよなぁ」
「あー、受験勉強したくないなぁ」
「あー、就活したくないなぁ」
僕は、大学生までのあらゆるキャリアの選択で、そう思ってました。
自分で考えるのが面倒で、
何が正解かわからなくて、
挑戦して失敗するのが怖くて、、、
そんな状態でしたが"あるきっかけで”、
流されるままに辿り着いた先が今の仕事です。
今でも「経営者」という肩書きを名乗るたびに、
「どうしてこうなった…?」と自分でも驚いています。笑
まさに、想像していなかった未来です。
数年前の自分に「将来、お前は会社の経営者になる」と教えたら、きっと
「断固して、絶対にやりたくない!!」
と嫌がっていただろうと思います。 笑
でも、これは冗談ではなく、リアルな現実なんです。
今、僕は「ゲームで未来をつくる!」と大きなことを言いながら、
社会課題解決型ビジネスに挑戦しています。
ただし、ラノベ・アニメの主人公のように、
ご都合主義で最初からチートで俺TUEEEなわけではなく、
最強を目指している途中です。
むしろ、ここまでは行き当たりばったりで周りに流されながら、
創業するに至りました。
ゲーム好き男子の平凡な日常
まず、僕のルーツからお話しします。
僕は生まれは富山ですが、実は5歳までは千葉で暮らしていました。
両親が離婚してからすぐ富山に引っ越してきたので、千葉での記憶はほとんどありませんが、アルバムを見返すとなんとなく楽しそうでした。
富山に引っ越してからは、とにかくのびのびと育ちました。一人っ子なので、家では一人で遊び、外では保育所の友達と走り回ったり、泥団子を作ったりしていました。
どこにでもいる普通の子供でしたね。この頃はまだゲームなんて全く知らず、「ゲームって何それ?おいしいの?」状態でした。
しかし、僕の人生が変わったのは、小学校に入ってからです。デュエル・マスターズというカードゲームに出会ったんです。初めてこのゲームに触れた時には、
「この世にこんなにワクワクして楽しいことがあるのか!?」
と子どもながらに思っていました。
カードを眺めてるだけでもワクワクするし、自分だけのデッキ構築とかロマンだらけで最高でした。
これが僕の「ゲーム好き人生」の始まりでした。そこからは、デジタルもアナログも問わず、いろんなゲームに手を出し、ゲームのことばかり考えるようになるのに時間はかかりませんでした。
大学入試を受けないって選択肢はナシ?
中学・高校に進んでも、僕のゲーム熱は冷めるどころかさらにヒートアップしていきました。
授業中も常に「早く家に帰ってゲームやりたいなぁ」と考えていましたし、親に「勉強してるの?」と聞かれれば、「うん、してるよ!」と答えつつ、実はこっそりPSPを握りしめていました。あれは、親にバレていたのでしょうか。
そんな風にゲームばかりしていた僕ですが、高校に入るとさすがに「将来どうするんだろう?」という不安が少しずつ湧いてきました。勉強は嫌いですし、やりたい仕事も特にない。大学に行く意味があるのかもわからない。
「それなら、すぐに就職しちゃえばいいんじゃない?」
という軽い考えが頭をよぎっていました。
でも、今振り返ると、その選択肢は逃げ道だったんですよね。現実逃避というやつです。将来のことを真剣に考えるのが怖かっただけなんだと思います。
大学生、夢のゲームし放題生活スタート!でも……?
結局、母親と高校の先生に「大学には行っておいたほうがいい」と説得され、僕は大学進学を決意しました。第一志望の地元国公立大学は、枠を貰えば、ほぼ受かるみたいな受験方式だったのですが、僕の悪い癖である爪の甘さで面接の準備を怠り、あっさり落ちてしまいました。
センターでは得意科目の点数だけはそこそこだったので、それを利用してなんとか石川県の私立大学に入学することができました。
「まぁ、大学に入れたならそれでいいか」くらいの軽い気持ちでした。
そして、始まった一人暮らし。最初は自分に、1人で生きていく生活力があるのかとかなり怖かったのですが、生活している内にあることに気づきました。「あれ?これって親の監視がないじゃん……!」
つまり、ゲームし放題生活のスタートです。
そうです、これは夢の大学生活。1日8〜10時間、朝から晩までひたすらゲームをしていました。課題は最低限こなせばいい。僕にとっては最高の時間でした。
しかし、そんな”ゲームパラダイス”にも次第に陰りが差し始めました。学部3年に上がる頃、「あれ?俺、就職どうするの?」という現実が急に迫ってきたんです。大学入試の時の不安がまた到来しました。
「あれ?ずっとゲームしてる場合じゃないかも?」
と思い始めたものの、何をすればいいのかは全く思いつきませんでした。
進路を考える?いや、ガクチカ風でその場しのぎ
そんな不安を抱えている時に、ずっと面倒を見てくれていた教授が追い討ちをかけるように面談で声をかけてきました。「そろそろ就職活動のために、何か課外活動をやった方がいいんじゃない?」と。
「え?いわゆるガクチカ?」そんなこと全然考えていませんでした。就職に向けて何かやらないとまずいことはわかっていましたが、具体的に何をすればいいのか全く見当がつかなかったんです。
「うーん、何かしないとなぁ……」とぼんやり考えていた時に、突然、授業でしか関わったことない、島田という同級生から電話がかかってきました。
なんだろうと思いつつ電話に出ると、「インドに若者を連れて行く研修プログラムを作りたいんだけど、一緒にやらへん?」と誘ってきたんです。
「ちょ、待て。インド?俺がインドに行くのか?辛いもの苦手なんだけどいけるのか…?」
頭の中が完全にパニックになりました。でも、何かしないとヤバいという気持ちもあったので、「まぁ、企画だけなら手伝うよ!でもインドには行かないからね!」と軽く返事をしました。
島田は、非常に優秀な学生で、なんかあったら島田に全部責任押し付ければ良いかと思い、 そんな返事をしてしまいました。
インド研修?行かないはずだったのに、流されて……
インド研修の企画は、なんかすごいやってる感もあるし、みんな真剣に考えてるので楽しかったです。島田が、メンバーもどんどん集めていくので、インドに行くメンバーも気づいたら10人くらいになってました。
ただし、準備が進む中でも、当時の僕は本当に「行かないつもり」でした。本気でインドには行かないと決めていたんです。
でも、流されるのが僕の悪い?癖で、島田や他のメンバーから「一緒に行こうぜ!」と強く押され続けているうちに、最終的には
「……まぁ、ガクチカになるかもだしいっとくか」
といく決意を固めていました。
そして迎えたインド。自分で企画に参加しておきながら、実際に行くことを考えていなかったのでめちゃくちゃハードなスケジュールになっていました。自分も行くって分かっていたら、もっと楽な企画にしてたかもしれません。
具体的な活動は、現地の学生や、企業の方たちと異文化交流しつつ、現地でビジネスプランを考え、プロトタイピングし、最後には、英語でビジネスプランを発表する機会まであったんです。
もう、「俺がなぜこんなに追い詰められることに…」と思っていましたが、やるしかありませんでした。
でも、やってみると意外とできるもんなんですよね。
なんと、チームリーダーとしてすべてのプログラムを無事にやり遂げました。その時に、「あれ?俺って、挑戦すれば意外とできるんじゃない?」と思い始めました。これが自信の芽生えの瞬間でした。
インドで目覚める「やればできる!」精神
日本しか知らなくて辛いものが苦手な僕からすると、毎日をサバイブするのに必死でしたが、インドで関わった人たちは、限られたリソースの中でも、ものすごいパワーを発揮して生きています。もう、生活の全てにハングリー精神が詰まっている感じでした。
これは、実際に行ってみて体感しないとわかりずらいところもありますが、具体的には、
・大学の授業に行けば前の席から埋まってるし、講義の後は絶対に質問が上がってくるし、どの若者と話してもどこか熱を感じるし
・誰も交通ルールを守ってないので道路渡る時は手を大きく出して、「車よ、とまれ🖐️」と意思表示して無理やり渡らなければだし
・ちょっと油断して舐められたら、買い物や、タクシーに乗る時にぼったくられるし
・でも、道端で誰かに質問したらワラワラと人がよってきて、みんなで考えてくれるくらい優しさとフレンドリーさがあるし
そんな環境でした。
そんな彼らと接する中で、「自分ってぬるいな」と思わざるを得ませんでした。日本では、なんだかんだで安全で快適な生活が保障されています。だからこそ、僕はこれまで「挑戦」することから逃げていたんだなと痛感したんです。
インドの人々のパワーに触れて、「自分ももっとチャレンジしてみよう」という気持ちが生まれました。
インドからの帰国後、エネルギー爆発!学生団体立ち上げへ
インド研修を終えて帰国した後は、とにかくエネルギーが有り余っていました。「もう何でもやってやる!」という感じで、新しいことに挑戦したくて仕方がなかったんです。本当に調子乗りですよね。笑
でも、何をやればいいのかわからなかった僕は、とりあえず、何か大きな環境の変化をつくりたいという発想で、大好きだったゲームを売って、時間をつくりました。
自分が1番好きなゲームを売るという決断は、意外にもスッキリした気持ちになりました。(と言いつつ、今は、もう買い直して遊んじゃっています
。APEXが好きです。)
そして、 何か挑戦するための時間ができたところで、ちょうどよく教授から再び声がかかりました。
「ゲームが好きなんだから、SDGsとゲームを掛け合わせて学生団体を立ち上げてみたら?」
という提案です。
ゲームを売りたての僕でしたが、確かに学生団体としてゲームをつくってみるという新しいゲームとの関わり方は面白そうだと思い、2つ返事で引き受けました。
SDGsについては、教授の専門領域だったので、講義では軽く触れてはいましたが、正直、採択されたてで認知度も高くなかったので、最初は僕も「SDGsって何?」という状態で、右も左もわかりませんでした。
しかし、いろいろと自分でも調べていく内に、とても共感できる部分が多く、「これは、人類みんなやるべきなのでは…?」と直感的に感じました。
そこからは、ノリと勢いで島田や、他の学生メンバーと連携してほぼ徹夜状態で、2日でゲームのプロトタイプを作り上げました。
ついに誕生!人生で初めてのゲーム開発
こうして生まれたのが、僕が初めて開発に携わったゲームである「THE SDGs アクションカードゲーム X(クロス)」です。このゲームのコンセプトは、SDGsにおいて重要な「トレードオフ」の概念と、それを解決するためのイノベーション創出手法を学べるというものでした。
コンセプトは、SDGsや社会課題解決型のビジネスを専門としてきた教授から提案されたもので、僕と仲間たちはそのコンセプトが、誰でもわかりやすく楽しく学べるようなゲームシステムやゲーム内のテキストを考えました。
開発したプロトタイプは、最初は小さなイベントや、ワークショップで活用していましたが、少しずつ評判が広がり、「これ、製品化してほしい!」という声が増えていったんです。
この体験を通じて、僕たちは、
「学生でも、ゲームという自分たちの熱中できる領域では社会に価値を示せるのでは、、、?」
とという手応えを感じ始めました。
まさかのクラウドファンディング成功!「300万円超え!? 俺たちってすごくね?」
そして、声が高まっているタイミングで、教授が、「ニーズがあるのであれば、思い切ってクラウドファンディングをしてみよう」と提案してくれました。
「あ、あのなんか凄そうなクラファンを自分がやるのか、、、」と、正直、自分が開発に携わっているプロジェクトにどれくらいの人が興味を持ってくれるか不安でしたが、"結果は大成功!"なんと、300万円以上の資金を集めることができたんです。
もう、「本当に!?マジで!?」という感じでした。
自分たちが開発したものが、こんなに多くの人に支持されるなんて思ってもいませんでしたからね。クラウドファンディングが成功したのは、もちろん私の力ではなく、教授や連携企業たちとの協力があったから、そして、当時のSDGsへの注目度の割に、コンテンツをつくってる人が少なかったのもあると思います。
それでもやっぱり、達成感はすごかったですし、当時は、
「あれ、俺ってすごい?」
と少し天狗になってました。笑
ゲームの製品化をきっかけとした「挑戦ってクソ楽しい!」
こうしてゲームの製品化に成功し、無敵感を得た私たちは、さらに活動を広げていきました。ゲームを通じてSDGsを学び、社会課題に取り組む人を増やすプロジェクト活動に情熱を注ぎ続けました。
SDGsのビジネスコンテストの運営をしたり、文部科学省と連携した事業として新たなゲーミフィケーション教材を開発したり、コロナ禍で学びを止めないためのオンラインSDGs学習支援を実施したり、SDGs未来都市のまちづくり推進をしたり、国連主催の海外イベントで出展したり、多くの活動の機会を教授や、教授と関わりのある方にいただきました。
僕はそれらの取り組みが社会に評価されているように感じ、
「挑戦ってクソ楽しい!」
とめちゃくちゃに活動していました。 今でも、ゲームは多くのイベントやワークショップで使われ、たくさんの人にプレイしてもらっています。 これは、僕にとって本当に大きな経験でした。
一方で、その頃には、大学生活は終わりが近づいてきて、
「あれ…就活どうすんだ?」
という時期でした。
最初は、なんとなくガクチカになるかなあというキッカケで始まった活動でしたが、そんな目的すっかり忘れてしまっていました。
しかし、僕は、
「まだここで終わりたくない、もっと挑戦を続けたいし、これからもゲームを通じて社会にポジティブな影響を与えていきたい」
と強く思うようになってしまいました。
創業の決意 「すべての人が幸せでサステナブルな生き方を探究できる世界をつくる」
こうして勢いに乗っていた私たちは、ついに
「起業しよう!」
という話になりました。最初のきっかけは、教授に「そういう選択肢もあるよ」と提案されたことでした。
「え?起業?」と最初は自分でもおっかなびっくりでしたが、これまでの活動を続けることが仕事になるなら、こんなに幸せなことはないと考え、起業を決意しました。
そして、「今しかこの選択はできないし、このチャンスを逃すと一生後悔するんじゃないか」という思いもありました。
話し合いの末に決まった社名は「LODU(ロデュ)」。
情熱や偏愛を育てていくことでサステナブルな社会を実現する企業を目指して、LOVEとEDUCATEからそれぞれ「LO」と「DU」抜き出し、組み合わせた名前をつけました。
名前の由来は、もともと、僕たちの活動そのものが、「僕の偏愛であるゲームとサステナビリティを掛け合わせたもの」ということもあったし、サステナブルな社会とは、経済・社会・環境のバランスを考えるだけでなく、その中でいかに人々が自分たちの好きや、楽しいことを尊重しあえるかが重要であるという思いがあったからです。
そして、その思いはミッションにも込められています。「すべての人が幸せでサステナブルな生き方を探究できる世界をつくる」というものです。
ゲームを通じてサステナビリティを探究し、楽しみながら持続可能な未来を築いていく。
そのミッションを掲げ、特に学生時代に活動にコミットしていて、リスクをを恐れない?見通しのなさ?がある5人で起業しました。
まさかの小さな集落での共同生活からのスタート
とはいえ、「起業してすぐに急成長!」というわけではありませんでした。大学院を卒業してからも、最初は売り上げが全然立たず、かなり苦労しました。
なんと、1年目の僕の役員報酬は1年で100万円です。
つまり、年間総収入100万です。
あんまり、夢がないこと言いたくないですが、大学生でかなり頑張ってアルバイトしてる人の方が稼いでますよね。笑
それも、5人分(従業員は労基法で守られるので正確にはもっと)支払う必要があるので、それすら会社として払えない時には、お金に余裕のある個人から会社に借入するということをしていました。
そんな現実もあり、どうにかそれぞれの支出を抑えなければと、学生時代にまちづくりの活動で縁があった山の麓の小さな集落で、格安の空き家を借りて共同生活を始めました。
もちろん、お金だけではなく、
・自然に囲まれた小さな集落で暮らすことで、多様な社会課題と実際に向き合いたい
・これまでの活動で接した集落の方が本当に良い人ばかりで、もっと一緒にいろんな活動をしたい
という理由もありましました。
外から見ると大変そうな生活に見えるかもしれませんが、意外にも共同生活はとても楽しかったです。
5人で一緒に住み、毎日協力しながら生活しました。最低限の隙間風、床の穴、断熱などはなんとか自分たちでリノベーションしたのですが、クーラーも買えなかったので、夏は非常に暑く、冬は凍えるように寒かったです。
空き家の様子は、更新が止まってしまったYouTubeでなんとなくご覧いただけます。笑
大変だったけど、仲間と一緒に仕事や、生活の困難を乗り越える毎日は絆を深めてくれました。
どうやって売り上げをあげる?友達や知り合いからの信頼を失った苦い記憶
共同生活は楽しかったし、チームワークも強まりました。でも、それで会社経営がうまくいくかというと……そんなに甘くはありませんでした。
私たちが開発したゲームには自信があり、「これで社会に価値を提供できる!」という確信もありましたが、それをどう売るかが全くわからなかったんですね。 あの頃は、必死すぎて友達や知り合いに無理やりゲームを買ってもらうという強引な営業もしていました。今も、めちゃくちゃ反省しています……。
SDGs自体にかなり胡散臭さを感じる人もいるし、実際に社会全体ではSDGsウォッシュとしての取り組みも少なくはないので、
「なんか怪しいこと始めたの?大丈夫?笑」
と言われることもありました。当然、それで疎遠になった友達もいました。
ゲームの内容や、事業の意義に自信があって、実際に一定の人に評価されていても、「売り方や、ターゲットを間違えると、こんなにも悪い印象を与えてしまうんだ」と痛感しました。
しかも、今までの信頼・関係性を利用して販売したにも関わらず、少しゲームを売っただけでは大きな売り上げにはなりませんでした。ゲーム単体を売るだけでは、自分たちが食べていくのは難しいのでは?という思いも募っていきました。
ゲームは楽しいだけじゃダメ!ビジネスモデルを真剣に考える
そういった経験を通して、ただ楽しくて学べるゲームをつくるというだけでなく、ゲームコンセプトを設計する段階から、ゲームをどうやって社会実装し、ビジネスとして成り立たせるか?を考えることも同じくらい重要だということに気づきました。
また、考えるだけでなく、考えた戦略を地道にこなしていく努力も必要です。逆にいうと、開発したあとに、「このゲームは絶対に社会に必要だから広めていくべき!」と思い続けることができて、人に自信を持って説明したり、社会に対して発信したりできるものでないといけません。
そこから僕たちは、「どうすればゲームを通じて社会にポジティブな変化を与えられるか?」をより真剣に考えるようになりました。
「ゲームで未来をつくる」という可能性
まず、始めに取り組んだのは、ゲームを単体として売るというだけでなく、ゲーム体験と研修をセットでサービスとして提供するというものです。
学生時代も、「ゲームとSDGsを組み合わせたら面白いかも!」という感じで漠然と研修を実施していましたが、より本気で諦めずにビジネスとして活動を続けることで、改めてゲームがどれだけ大きな可能性を持っているかを実感しました。
SDGsや社会課題解決は、本来は全ての人が向き合わなければならないテーマですが、どうしても「意識高い系」とか「真面目な人向け」と思われがちです。
とはいえ、それをただ説教くさく教えるだけでは、誰もやる気が出ませんし、聞いてもらえません。僕もそういうのはあまり好きではありません。だからこそ、ゲームという誰もが楽しめるポジティブな入り口が有効なんです。
普通だったら嫌で、退屈な講義や研修の時間が、ゲームになったら嬉しいですよね。笑
ゲームを使えば、楽しく始めることができるし、講義とは違って体験型なので、複雑な概念や構造を理解しやすくなります。
ゲーム体験がゴールじゃない、その先の行動変容を目指す
もちろん、研修によるゲーム体験だけで満足してはいけません。僕は、ゲームを通じて人々にSDGsや社会課題への理解を深めてもらうだけでなく、その後の行動変容を促すためのフォローアップも重要だと考えています。
そのためには、単発の研修というだけではなく、
・多様なテーマを学ぶ連続講座
・組織全体で自分ごと化していくためのオリジナルゲーム教材開発と自走して普及するための仕組み化
・サステナブルスキルの習得ワークショップ
・SDGs推進チームコンサル
…
等の組織の状況・課題に合わせたソリューションの提供が重要です。
(それぞれの具体事例の説明をし始めると、さらに文量が増えてしまうのでまた別のnoteで紹介させてください!笑)
僕たちの強みは、ゲームを開発することだけではありません。多様な専門家たちとのコラボレーションを通じて、本質的な意識変容や行動変容を促す仕組みをつくっています。
単に「楽しいゲーム」で終わらせるのではなく、楽しみながらも学びを深め、社会を変える力・エネルギーを養ってもらう…
そのための取り組みを、私たちは今も続けています。
ともに未来をつくる仲間と出会いたい
正直なところ、これまでの僕はサービス・プロダクトの開発・オペレーションに精一杯で、自分の思いや経験を発信することを後回しにしていましたが、それでは多くの人に僕たちのサービスを知ってもらうことはできません。 ただ、精一杯やってきた分、自分たちが提供しているサービス、プロダクトには自信があります。
それを踏まえて、noteを始めた理由は大きく2つあります。
①僕自身も、これまでの活動を振り返り、しっかりと整理するためです。振り返ることで、過去の経験を再確認し、次のステップへ進むための土台を築けると考えています。
②僕たちの取り組みや思いをもっと多くの人に届けたいからです。ゲームが好きな人、サステナビリティやSDGsに興味がある人、さらには社会課題解決に挑戦したいと思っている人たちと繋がり、一緒に未来をつくっていける仲間と出会いたいです。
今後は、未来をつくるゲーム開発手法や、今までの取り組み事例について発信していこうと考えています。
ただのゲーム好きの学生が周りに流され、いつの間にか社会起業家になっていた件
自分が起業し、今やりがいのある仕事ができているのは、
・大学に行く気がなかった私を大学に送り出してくれた母
・僕が通った大学を勧めてくれた高校の先生
・今もなお、多くの機会・視点を提供してくれる恩師である教授
・大学の職員の皆様
・「何か一緒にやろう!」と誘ってくれた島田
・ずっと一緒に活動してくれている学生団体時代からの仲間
・インド研修をコーディネートしてくれた磯貝さん・かずこさん
・LODUと取引・協業していただいている皆様……
ここには書ききれないくらい本当に多くの方々のおかげです。
すべての関わってくださった人々の影響を受けて、ある意味流されてきて、今の僕があります。
これからも、僕は「ゲームで未来をつくる」という野望に向けて、楽しみながら挑戦を続けます。それが、僕に関わってくれたすべての方々への恩返しにもなると思っています。
このnoteを通じて、一緒に新しい未来をつくっていける仲間が、もっと増えたら嬉しいです。
そして、今、関わっていただいている方々は、どうか見捨てずに今後もよろしくお願いします! 笑
あとがき
僕は、株式会社LODUの経営をしつつも、大学の研究員という立場もあるので、学生と関わりながらいろんな活動をすることも多いです。
そんな中で、とある学生と話している時に、相談を受けました。
「本当のやりたいことがわからない」
「自分の情熱が持てること、没頭できることがわからない」
「どんな進路に進めば良いのだろう」
まさに、僕が大学2年生の時に、
抱えていたような感情をその学生も抱いていました。
僕は、情熱は、最初から完全に備わっているわけではなく、
「育て、進化させていくもの」だと、これまでの人生を通じて感じています。
そして、その情熱は、自分のコンフォートゾーンから出て、
いろんなチャレンジをすることによって育ち、進化してきました。
チャレンジのきっかけは、必ずしも自分で見つける必要はありません。
僕のように誰かに背中を押されることもあると思います。
もし、どんなに少しでも「やってみたい」「興味がある」という感情を
抱けるような新たなチャレンジの機会があれば、
"流されてなんとなくでも良いので行動して欲しいです。"
僕もその初心を忘れず、
LODUという社名に恥じぬよう自分の情熱を育てていきます。