自己否定は解毒未満の延命措置だ。
自己否定=解毒にはならない、ということは理解している、つもりだけど、でも何が無くとも自己否定せねば息をすることすら困難に思う毎日だ。
自分を肯定できない、というのと、自分を否定したい、というのは、限りなく近いけど異質なもののように思う。普段の私は「肯定できない」だ。とてもじゃないが私なぞの何処を肯定していいのかさっぱり分かりはしない。他人に言わせれば「頑張りすぎ」で「頼らなすぎ」ならしいけれど、私からすればそんなことはない。一人で生きていけるような強い人間でありたかったのだ、私は。でもそうはなれなかった。誰かと寄り添う道を選択してしまった私は、それなら生活の中でくらい、自分の手の届く範囲でくらい、強くなくてはならないのだと、多分自己暗示しながら生きている。とても強力な刷り込みの思考。強迫に近い概念。それを突き付けているのは紛れもなく私だけど、根本にはきっといつも母がいるのだろう。心の中で延々と毒を垂れ流しているあの人を、私は拒絶する術を知らないし、知ったとて、追い出せやしないのだ。肯定できない自分、というのを客観的に考えた時、私は当たり前のように母のことを思い出して、わざわざ比べてしまうのだ。なんてチャチな自傷行為。それでも比べずにはいられない。そして「あんな人でもできていたことが私はできない」に至るのは一瞬で、私は自分の無力感に苛まれる。あの人は「母」という世間に向けた姿は完璧だった。家の中では台風よりも酷い嵐を巻き起こし続ける暴君だったけど、家事もスケジュール管理も家計も、自分の美容管理も、完璧だった。私は何一つあの人に敵うものを持たない。圧倒的な王者、下克上など夢見る隙間も与えてはくれない。そんな高圧的でエベレスト級のプライドを持っていて、それを振りかざしても決して嫌味には見えないほどの正論と、理想を手にする行動力、努力至上主義を自分にすら行使し、実行し、成し遂げる気高さ。そんな人から見たら私なんてただの愚図で鈍間で馬鹿に見えただろうな、と最近は納得している。私はあの人のコピーとして、あの人より優れてはいけなかったけど、それでも劣りすぎてはいけなかったのだろう。あの人が手にできなかった「ただひとつ」を掴み取るためだけに、在れば良かったのに、それすらできなかった私だ。あの人の夢を破り棄てた、私だ。そんな私が、何を成し遂げられるだろう。何を満足にこなせるだろう。誰を幸せにできるだろう。……誰に愛されるだろう。答えは全て、否。
これが普段の私、「肯定できない」の私。
ここに心身のダメージが溜まって、ストレス値が上限を超えて、それを更に刺激されて、爆発、暴発した、後、「否定したい」私が育ってゆく。すくすくと、ぶくぶくと、肥えて、腐って、落ちる。今がまさにそうだ。
「否定したい」の蓋が開くまでは自分が何に苛々しているのかも理解できず、言語化もできずの状態を数日〜数週間、酷い時は数ヶ月過ごす。とにかくずっとモヤモヤとした何かが思考を覆い隠す。全くクリアにならない頭の中に、沢山の予定や欲が存在することだけは知っている。けれど、それを払い退けることはできず、ずっとずっと燻ってしまう。とにかく苦痛で、けれど、それが「苦痛なんだ」と認識することもできない。何だか酸素が薄くなったみたいに、ただただ息が苦しくて頭が重くて時間だけが過ぎる。自分が無駄に時間を消費し、体力を削って、精神状態も悪くなっているような気はするけれど、でも、それを確かめる前に蜃気楼みたいに消えるものだから、気のせいだ、と私は私のSOSを無視することしかできないのだ。そして、ある日唐突に気付く。ああ、私は私を殺したいんだ。私は私を憎んでいる。私は私を嫌悪している。それが私の常識だったはずなのに、それまでは忘れているのだ、不思議なことに。思い出せなくて、そして嬉々として私は存分に私を嫌えるようになる。ああなんて醜くて悍しくて厚かましくて憎たらしくて愚図で鈍間で馬鹿で未熟で無力で無意味な存在なんだろう! それを思い出して、私はようやく本当の私になれる。本当の私はそんなに褒めてもらえるような存在じゃない。もっと雑に扱われたい。罵倒されたい。踏み躙られて、泣くことすら禁じられて、呼吸を辞めさせられたい。死を、望まれたい。
だって、それが「私の日常」だったはずなんだ。
幸せを感じる毎日に殺されそうだ。ふとした瞬間の、子供たちの笑顔や、突拍子もない言動に笑い転げたり、慌てふためいたり、お説教の途中でも膨らんでしまう「こんなに怒ってたら可哀想」「いやでも大事なことだからきちんと伝えないと」「でも」「いやいや」「でもやっぱりそろそろ許してあげなきゃ」みたいな慈愛の心とか、どれだけ怒られても懲りずにすぐにふざけ始めるタフさを苦笑するしかない時間とか、そういうものが私を殺す。殺したがる。
ぬるま湯の幸福が日常になってしまったことを、過去に何度も殺してきた私たちが指差して、「そんなの認めない」と睨んでいる。叫んでいる。
『お前だけ笑っているなんて、許されない』
肉体的な自傷行為は、家族を不安にさせてしまうから、今はしなくなった。その分、多分脳内で何度も飛び降りて首を吊って喉を切り裂いている。そんな妄想の類いでは亡霊の私たちは認めないけれど、でも、そうやって自分を否定して、殺してしまわないと、生きていくことさえ、できないから。
自己否定は解毒にはならないけれど、新たな呪いを産むだけだけど、延命措置にはなる。それで笑える人がいてくれる限り、私はこのぬるま湯で笑いながら何度でも自分を殺す。誰も知らないけれど。誰にも見えないけれど。脱皮するように、羽化するように、私は自分の死骸を踏み締めて、また、歩き出すんだ。そうするしか、ないんだ。
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