Vol.66 物語上のアクセル役とブレーキ役。
今回は「映画を観て ” 良い所もあるけど、惜しい! ” と思う事ありますよね?」というお話。
それは、映画館で「十一人の賊軍」を観た時の話。
(ちなみに、こんなあらすじです…
江戸時代から明治時代への移行期の慶応4年(1868年)、越後の国では薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍(自称: ” 官軍 ” )と、長岡藩を始めとする ” 奥羽列列藩同盟軍 ” が戦火を交えていた。
そんな中、列藩同盟に名を連ねていた越後の小藩 ” 新発田藩 ” の重臣たちは出兵を先送りにしつつ、ひそかに新政府軍への恭順をもくろんでいたが、新政府軍の使者が訪れるよりも先に、出兵を促す列藩同盟の軍勢が到着してしまう。
そこで家老の溝口内匠は、列藩同盟の軍勢が引き払うまでの時間稼ぎとして、罪人たちに ” 城から、のろしが上がるまでの間、新政府軍から砦を守り切れば無罪放免 ” の約束と ” 列藩同盟軍の旗印 ” を与え、国境の砦に送り込むのだった…)
※下記は約1分間の予告編です。
前述のあらすじは「俯瞰視点」というか「支配者階級視点」で書きましたが、本作においては、新発田藩の家老に殿様、列藩同盟の軍使、新政府軍の山県狂介(のちの山県有朋)に至るまで、 ” 大義 ” を振りかざす支配者階級のキャラクターに、ことごとく「悪」の雰囲気をまとわせているが印象的で、それによって「砦を守る ” 末端の者たち ” 」の ” 悲哀 ” や ” 怒りの爆発 ” が更に味わい深くなる1本でした。
そして、事実上の ” 主役 ” として据えられているのは、罪人たちのお目付け役として砦に送り込まれる侍 ” 鷲尾兵士郎 ” と、罪人の一人である ” 政 ” 。
ただし同じ主役でも ” 兵士郎 ” は、物語の進行に向けて「アクセルを踏む役」だったのに対して、もう一人の主役の ” 政 ” は、成り行きで砦に送り込まれた事もあって、物語の進行に「ブレーキを踏む役」だったので、観ている側としては感情移入の持って行き方が定まらず、なんとなくモヤモヤしながら観るハメになったのが残念でした。
(確かに、群像劇を描く上で『「ブレーキを踏む役」によって ” 思わぬ展開 ” が導き出されるという作劇』は分かるのですが、それを主役面したキャラクターが2回以上繰り返すと さすがにウンザリ。もしかすると「重ねて、重ねて、終盤の爆発的展開へ持って行く…」という意図だったのかもしれませんが。)
せめて(とってもベタな展開ですが)、『「志や立場が異なる両者が友誼を結ぶ、劇的な瞬間」が描かれていたら…』と思います。
ちなみに、「アクセルを踏む役」「ブレーキを踏む役」で言えば、前回の「Vol.66 罠!罠!罠!」で取り上げた映画「トラップ」(注1)も、観客が感情移入するキャラクターがコロコロと変わる映画でしたが、「トラップ」ではモヤモヤしたものは感じませんでした。
『この違いはなんだろう?』と、秋の夜長に ぼんやり考える、今日この頃です。
では、今週の締めの吃音短歌(注2)を…
しゃべれども 中途半端な このザマに 地団駄を踏む 自分見つめる
※自分自身の行動を俯瞰視点で見る瞬間ってありますよね?「誰も見向きもしないようなエッセイもどきを、夜更けに書いててバカみたいとか…(涙)」
【注釈】
注1)映画「トラップ」
M・ナイト・シャマラン監督による、2024年劇場公開作品。
あらすじは…
(注:予告編で開示される程度のネタバレは含みます。)
子煩悩な中年男性 ” クーパー ” は、思春期に差し掛かった娘 ” ライリー ” へのご褒美として、人気歌手 ” レディ・レイブン ” のアリーナライブのチケットを入手し、娘と共に会場に向かうが、会場入りした ” クーパー ” の目に映ったのは、異様な人数で編成された警護担当の警官たち。
異変を覚えた ” クーパー ” が、さりげなく 売店スタッフに探りを入れると、『実は、このライブ会場全体が「連続殺人鬼 ” ブッチャー ” を捕らえる為の罠(トラップ)」』なのだという。
思いがけない話に肩をすくめてみせる ” クーパー ” だったが、実は「彼こそが ” ブッチャー ” の正体」だったのだ…
…というもの。
※下記は約1分間の予告編です。
注2)吃音短歌
筆者が抱える障害でもある、吃音{きつおん}(注3)を題材にして詠んだ短歌。
この中では『「吃音」「どもり」の単語は使用しない』という自分ルールを適用中。
注3)吃音(きつおん)
かつては「吃り(どもり)」とも呼ばれた発話障害の一種。症状としては連発、伸発、難発があり、日本国内では人口の1%程度が吃音とのこと。