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ACT.124『陰陽を攻めて』

都市と郊外の狭間

 早朝から乗り続けた青春18きっぷの旅路は、ここからが本番だ。
 山陽本線、姫路駅。
 この駅には他にも山陽本線に並行する山陽新幹線。津山方面に向かう姫新線。そして江原・和田山の方に向かって線路を伸ばす播但線も入線している。
 駅は高架駅で、晴れていると白鷺城…こと姫路城がよく見えるのがこの駅の特徴だ。
 そんな姫路駅に、朝早い新快速で下車した。
 ここから5分の乗り継ぎ時間で、岡山行きの普通電車に連絡する。
 時間は朝の通勤時間帯と被ってしまった事もあり、急いでエスカレーターを上下し必死に駆け上がったがどうにか着席まで到達した。
 普段の西へ向かう青春18きっぷの旅路であればそのまま岡山まで着席したまま向かうのだが、今回は途中駅で下車する。
 山陰方面に向かうにあたって、ある鉄道に乗車する道を挟むからだ。
 いつもの西へ向かう手順と同じ道を踏み、岡山に向かう黄色い電車に乗車する。
 こちらも多くの乗客でごった返し、中には立ち客もいた。
 勢いよく、「プシュっ!」と独特な空気の抜ける音を残して電車のドアが閉まる。
 そのまま息を吐くようにブレーキの空気を抜く音が車内に響き、鈍い加速音が車内を満たしていった。
 姫路駅の高架を背にし、『アーバンネットワーク』として反映した都市圏を後にする。
 姫路を後にし、乗車する列車は英賀保・はりま勝原と駅に停車し乗客を乗せて下ろしていく。
 途中の網干はJR西日本の車両基地を抱えている大きな駅だ。
 ここで主に新快速で使用する近郊電車や各駅停車として使用する7両の電車の整備を行う…他、岡山方面で使用している電車などの整備・点検を実施している。
 網干を過ぎると大阪近郊で見る車両たちとは本格的にお別れだ。しばらくは長い道のり、ここで本格的に自分は都心を離れて長い旅路に向かっているのだと悟った。
 そして列車が到着したのは、上郡である。
 ここで下車し、次の手段に乗り換える。

 駅に降り立ち、列車の姿が一先ず過ぎ去っていく所を見届ける。
 一つ、深呼吸をするような空気を抜くブレーキの音も高らかに列車は朝の光の中に消えていった。
 そういえば、この黄色い電車の立ち位置はもう既にかなり追いやられているのだったっけ。
 新型車両の本格的な到来を前に、あと何回の乗車になるだろうと脳裏で数えながら次の手段に向かって歩み出した。

三角屋根から

 上郡の駅ホームを歩いていると、このような三角屋根の目立つ場所に差し掛かる。
 この三角屋根を構える鉄道こそ、次の手段だ。
 ここで一旦JRから離れ、『智頭急行』に乗車する。
 京阪神に住んでいる方なら、一度この会社の名前を耳にした事があるかもしれない。
 そう。大阪駅・京都駅に乗り入れる特急列車『スーパーはくと』を運行している会社である。
 今回はその『スーパーはくと』には乗車せず、共に鉄道会社を支える普通列車に乗車してそのまま鳥取に向かう。
 列車によっては鳥取県側の会社境界駅である智頭駅までの運転である場合もあるのだが今回は運が良く、そのままJR因美線内に到達して鳥取まで行ける直通列車を引き当てる事に成功した。

 三角屋根の下に行き、智頭線内の乗車券を購入する。
 上郡から智頭の間の運賃は別途扱い。
 1,320円の追加料金を支払って切符を購入する。
 窓口で申告し、出てきたのは買い物のレシートなどで見かける感熱紙に印刷された簡易的な乗車券であった。
 他にも自分と同じように、追加料金で智頭急行に乗車する客がいるようで同じように窓口で申告し、1,320円を支払って列車に乗り込んでいる乗客が確認できた。
 切符を手にホームを進んでいくと、そこには1両のディーゼルカーがエンジンを唸らせ停車している。
 智頭急行の自社線内を主に走行する普通列車用の車両、HOT3500形だ。
 智頭急行所有の車両には漏れなく、全ての車両にこの『HOT』の呼称が付属している。
 実際の読みが定義されている訳ではないが、この『HOT』という言葉には智頭急行のカバーする都道府県である
・H…兵庫
・O…岡山
・T…鳥取
の意味が込められている。
 皆さんが多く実際に目にするのは流線形の車両であると思うが、裏方の普通で活躍する車両はかなり大人しい設計の単純な車両だ。
 乗車すると車内には向かい合わせのボックスシートが広がっている。
 しかし、多くの乗客が腰掛けており既に空いている座席はなかった。
 と思いきや1区画だけ空いているボックスシートを発見し、そこに腰掛ける。
 丁度、エンジンの鼓動が直接伝わってくる座席だったようで「ゴロゴロゴロ」とエンジンが唸る音が振動も伝って身体に刺さる。
 程なくして、向かいの座席に別の乗客が腰掛けてきた。
 2人掛けのボックスシートに対面で2人、という状況の中で発車を待つ。
 そして定刻通り、列車は動き出した。
 電子音のドアチャイムが車内に響き、ドアが閉まる。
 エンジンの鼓動は力強く振動し、鳥取への道を走り出した。
 ここから先は智頭急行が設計した高架橋を中心とした高規格路線。
 いくら普通列車とはいえ、鍛えられた線路の上では高速も高速の速さを叩き出し特急列車顔負けの速度で沿線に存在感を見せつける。

※智頭急行の路線は大半を高架・トンネルで占めている。その為、踏切などの設備は極限まで減らされ高速化に全力を尽くした格好となっているのだ

高規格の真骨頂

 上郡を発車すると、JR山陽本線と分岐して列車は長いトンネルに入った。そして最初の停車駅、苔縄。
 その後、山の中を貫いて河野原円心に停車する。
 ここまで、速度の緩みは殆どなく全速力で走行しているイメージだ。
 乗車していても非常に気持ちが良く、速く走る為。そして陰陽連絡の使命を背負った鉄道として線路を鍛え上げたその強さを乗車して強く感じる。
 途中、佐用で姫新線と接続。
 姫新線とはそのまま分かれ、石井を過ぎたトンネルで兵庫県から岡山県への県境を突破して岡山県に入る。
 だが。ここで肝心な事を書かせて頂こう。
 河野原円心を過ぎて少ししたところで自分は早くも熟睡の域に突入しており、路線の大半を記憶していなかったのである。
 というわけで、ここからメインに登場するのは過去写真。誤魔化そうとしないで、そこ
 代わりにこの路線の力強い歴史を記して時間を繋ごう。

※平成8年より智頭急行の本社を置いている鳥取県の智頭駅。ここから上郡まで続くのが第三セクターの智頭急行であり、JR因美線を実質強化した高架橋主体の鉄道が続いている。

挫折から陰陽連絡の主役へ

 智頭急行の担う役割は、現在の交通に於いて非常に大きなモノである。
 特急『スーパーはくと』が大阪へ。同じくJRから乗り入れる特急『スーパーいなば』が岡山へ到達し、現在では陰陽連絡の主役の座を勝ち得たと言っても過言ではないだろう。
 しかし、智頭急行が過去に味わったのは大きな挫折である。
 現在の智頭急行の線路が着工されたのは昭和41年の事である。そこから10年間。工事は国鉄経営再建の中で突如凍結されてしまったのであった。
 そんな凍結された工事の動きを再び復活させる動きが出てきたのが、昭和59年。智頭線の区間を
・第三セクターによる智頭線経営の可能性
によって復活させる動きが出た。
 本格的に動いたのは昭和61年の
・智頭鉄道株式会社設立
である。この智頭鉄道株式会社は、鳥取県・岡山県・兵庫県の各都道府県とその他民間企業や団体が中心となって決起したモノであり本格的な路線の誕生と陰陽連絡鉄道の可能性が大きく前に進展した瞬間でもあった。

※智頭急行の役目は、第三セクター線として地域の輸送に貢献する事だけではない。路線を高規格にして走りやすい条件。速度を目一杯出せる路線を設計して特急列車で大阪・岡山を結ぶ架け橋としての役割も持つのだ。

 昭和62年。ようやく、凍結された工事が再び動き出したのである。
 時は丁度、国鉄の分割民営化によってJRが全国各地に発足し鉄道は新時代を本格的に迎えようとしていた。
 平成に入って、智頭急行は陰陽連絡の本格的な主役となるべく平成3年に路線の高規格化を決議した。
 高規格化…即ち『なるべく無駄な曲線や速度の足枷になる部分は作らず、高架橋を主体にして列車を高速で運転出来るようにする線路で路線を設計する』事にしたのである。
 これによって、関西や岡山といった主要な都市から高速で特急列車を貫き所要時間の大幅な短縮にも貢献したのである。
 そうして、平成6年。智頭急行線として現在自分が乗車する線路が完成したのだ。

※智頭急行はJR因美線JR山陽本線に挟まれるようにして開業した。その為、JRからの直通列車も入線可能な設計になっている。この構造を利用して、智頭急行は鳥取県と都心とのアクセスを担っているのである。

 平成9年からはJRの特急『いなば』が智頭急行経由で鳥取と岡山を結ぶようになった。
 特急『いなば』は平成15年に写真の車両であるキハ187系に置き換わり、現在は『スーパーいなば』として岡山側のアクセスを担っている。
 智頭急行開業以来、関西方面のアクセスを担っている特急『スーパーはくと』と共に路線の基盤となっているのだ。

※初代社長、西尾邑次にはある思いがあった。それは智頭急行の工事再開を後押しし現在の基盤となっている。

後世に残したい言葉

 智頭鉄道の初代社長になった西尾邑次という男がいる。
 彼は昭和58年に鳥取県知事に就任し、智頭鉄道の創設時には自らトップの座に就いた。実は彼の祖父というのがまた運命的な人物なのだ。
 それは、100年近く前。
 陰陽連絡鉄道の構想を提起した人物。西尾繁太郎だったのである。
 そんな西尾家の1人として、西尾邑次はある言葉を工事再開前に残している。
「智頭町内の橋梁を見ても分かるように見た目はほとんど出来ている。先祖伝来の土地を提供してくださった地元の人の気持ちを考えると何も使わないで終わるというのは本当に苦しい。」
この言葉が智頭急行線の工事再開を後押しする大きな言葉となったのだ。
 何としてでも線路を先に伸ばしたい、という気持ち。そして西尾たち鳥取県の人々の思いが重なって、今の鉄路がここにある。
 その感謝を、忘れてはならないと智頭急行に乗車する度思うのだった。

眼に落ちた景色

 さて、ここからは話を戻して現在の旅路へ。
 智頭急行…西尾家の悲願成就を叶えた高規格の鉄道路線は既に終了し、眠りに落ちた先に目が覚めると既に因美線に突入していた。
 起きた瞬間に自分の眼に飛び込んできた景色がコレ。
 智頭急行を過ぎ、因美線の因幡社駅に停車している間だった。
 この時点で乗車中の列車内には多くの乗客が乗込み、鉄道がしっかりと役目を果たしている様子を見届ける事が出来た。
 そして、この因幡社を発車してから次の駅。
 次の駅が実に難読で、この駅は『用瀬』と記して
・もちがせ
と読むのである。何と難しいのだろう。
 ディーゼルエンジンの心地よいサウンドに耳を打たれてボンヤリしていると、丁度用瀬からお婆さんが1人乗車してきた。
 後ろの扉から乗車し、座席を探して車内を歩いた先に…
 ボックスシート、自分の横に着席した。
 用瀬からは、横に座ったお婆さんとの話をしながら鳥取までの時間を過ごす。
 様々な話をしたのは今でも忘れられない。
 流し雛が用瀬では有名だ、と地域の事を教えてくれたり。
 日舞を習得していて、息子の結婚式で披露したとの話だったり。
 他愛なき話で盛り上がってそのまま列車は進んでいった。
 気がつくと高架橋を上がっていた。
 山陰本線と合流し、列車の速度が低下していく。
 高架橋の中。2面の大きなホームが広がっているのが見えた。
 鳥取県の中心、鳥取駅に到着だ。

時間ぶり

 鳥取から乗車していくのは、山陰本線だ。
 山陰本線と言っても一口には表現できない。
 それは山陰本線が京都を出て福知山に向い、そして日本海側に沿って線路を伸ばし最終的には本州の端である下関に到達する日本一長いJR本線であるからだ。
 そんな山陰本線、恐らく関西地区の方々は
・嵯峨野線
として園部から先の都市アクセスを担う部分をよく知っているかと思う。
 ここから先、いくつかの駅を経て出雲市に向かうがここから登場する路線、出雲市までの道であるが実はその『嵯峨野線』とは同一の路線なのだ。
 丁度、上郡から直通で乗車した智頭急行の列車を下車するとマンガテイストのイラストをあしらったカラフルな車両が停車していた。
 ここから乗車する山陰本線の車両、朝5時に地元を出発して以来の山陰本線でまさかこの車両を引き当ててしまうとは自分も運が良いものだと思ったのである。

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