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寒いから暑い時期の思い出残す

 既に1月も終盤に向かって進行している今日この頃。もう早いですね。365日のうち、30日近くが終了したって事なんですから。
 さて、長期連載の間にも残された事を書いていかなきゃ写真が成仏できないよ!(そんな事はないだろう)ってな事で、昨年。しかも夏の時期に撮影に向かったとあるネタの話をしていきましょう。
 ちなみに画像が、その夏のネタに関わってくるお話。令和5年の話ですよもう。
 冒頭に掲載した画像が、今回の主役の車両様。近鉄6600系です。近鉄の中では唯一の狭軌路線である南大阪線系での活躍をしており、4編成存在。
 電算記号は『FT』となっており、6601から6604までの編成が全て古市検車区に在籍しております。
 んで、この画像の解説にようやくなるんですがこの写真は古市検車区にて休息の時間を越しているFT02編成。既に前照灯がLEDになっており、車両としてはかなりの見た目の変化が印象に残り、関西私鉄クオリティの『まだまだ使える』を体現したような車両。
 ちなみに標準軌路線の名古屋線にも似たような車両(どちらかと言えばこちらが本家)、1201系が在籍しており、今回の主役。6600系はそんな1201系の姉妹車両のような存在。ある意味では1201系の狭軌版と言った方が正しいのやら。

※近鉄6600系の標準軌版になる存在、近鉄1201系。車両としては2両編成を組成し、主に名古屋線系で活躍をする。志摩線のローカル運用、名古屋線での急行増結などその役目は多岐に広がっている、まさに名古屋線に欠かせない存在。車両としての特徴は、拡幅していないスラッとした角張る車体。

 さて。北海道から帰ってきた折の話。少し経過してから、X(この時はまだ鳥の支配するTwitter)を眺めていると南大阪線系統の路線で軽いツアーを実施するとの情報を入手。そのまま駅で配布しているチラシをべたっと貼り付けたモノがTLに乱入し、
「まぁそんなに南大阪線系も撮ってないしな、最近」
と思いつつの追っかけを決定。同時に家族から週末フリーの配給もあれば、そのまま三重県への逃避行も考えたわけですが。結局は関西で終了し、京都に残っております。
 実施日は、8月27日。この記事に着手している頃であれば、
「あぁ^、あの暖かかった時に戻りたいなぁ」
なんてボヤキにもなりそうな時期でございます。
 ちなみにこのツアーの売りどころは、南大阪線系の乗務員が企画したという鉄オタ…乗り鉄向けのツアーという事で、鉄分はたっぷり過ぎる勢い。
 自分は結局参加せずに追っかけだけを宣言し、日程を記録していくのですが詳細はこんな感じに。(あと時間は忘れているとこや有耶無耶なヶ所が多いので基本伏せ)

※近鉄で唯一の狭軌路線となっている、南大阪線系。その中には吉野線・長野線・御所線・道明寺線が存在する。今回は道明寺線以外の大半の線に入線する経路が組まれた。

 さて。チラシを見て経路が判明。
 経路に関しては、大阪阿部野橋の駅に9時台に集合との記述が。そのまま南大阪線を突き抜けていくようである。その先…と経路は以下の通りに。
『大阪阿部野橋→尺土→(到着後入換線に入線)→吉野口→(到着後入換線に入線)→橿原神宮前→1時間休憩→尺土→(到着後入換線に入線)→御所→藤井寺→(到着後入換線に入線)→古市→(到着後入換線に入線)→富田林→(到着後入換線に入線)→大阪阿部野橋』
 このようになっており、南大阪線系の支線である御所線。そして南大阪線と直通運転を実施している吉野線と長野線にも入線する異経路の電車旅なのである。途中、列車の方向転換に非常時の場合しか使用しない入換線に、しかも乗車したまま突入できるというのもコレまた魅力なもの。
 しかし。最近の鉄道有料イベントに対する値上げの嵐。そして参加者は狭き門。また、決済もクレジットに営業所からの申込の難しさなども考えているうちに、カレンダーに記入した日が到来。神様が日付を進めるのは早いよね。

 当日…
 え〜、皆さん。私はアホです。(いきなりどうした)
 実はツアー開催日。この日、大きな寝坊をしくじって大阪阿倍野橋発車に間に合わず、急遽途中参戦。んで、知人と
「どこですれ違いそう?」
みたいな話をしながら半信半疑で追撃。早い人に関しては河内天美の車庫を出庫した段階の大阪阿部野橋までの回送列車から追跡しているわけですから、自分は完全に遅れまくり。
 と、大阪阿部野橋に昼前何とか駆け込みで到着。そしてそこから区間急行に乗車し、尺土から先各駅なのを利用して地点を駅周辺に絞る事に。
 ちなみに近鉄アプリも同時に活用し、灰色の矢印がカクカクと進んでいくのを必死に見ていると…橿原神宮前で矢印が消失。
「え?どうしよ?」
余計に怖さが増している状況。ま、多分ここで休憩でしょう。
 と、進む場所まで進んでしまい、とうとう橿原神宮西口。もうすぐそこで、電車は1時間休憩中なんですけどね。
 で到着して撮影したのがこの6620系区間急行。もう何もかも忘れて一心不乱な中の撮影でして、
「あ…あれ?まぁいいか…」
といった感想の残る1枚。
 んでこの区間急行の通過後、近鉄アプリを確認すると灰色の矢印出現!もう来ますかね。

 んで、通過。
 ホンマに間一髪。時間を更に誤ったり、到着時間がズレようもんなら一貫の終わりで、捉えた瞬間にはもう安堵。
 というかその気持ちは少なめで、画面越しに6600系が目に入って『貸切』の2文字が見えた瞬間は
「えぇ!?もう来た!早くないか?」
が半分近くを支配。辛うじて6600系・FT04編成による貸切列車が橿原神宮前での1時間休憩を終えて尺土に向かい、カッ飛ばしていったのでした。
 ちなみに終了し、もう既に情報が上がっているのでついでに。
 間に合わせたかった橿原神宮前での1時間休憩は、昼食時間として弁当を車内で食すだけかと思っていたところ。どうやら台車振替場の近くのホームである0番線に送り込んで撮影会を実施したそうな。
 しかもその中の撮影会では、幕回しを実施し往年の『準急/橿原神宮前・富田林』に『普通/道明寺』を掲出し更には幕の1回転もあるなど、サービスも満点だったのだとか。
 しかも位置が位置だったので、撮影会には一般のお客も参加可能な状態であり非常に羨ましい思いをしたのでした。

 そのまま橿原神宮西口で撮影をしたFT04編成。
 予告通りに尺土の入換線に入線し、しばらくそのままの姿で留置中。
 当然、普段の入換と異なるのはツアー列車として参加者を乗せている状態である事。南大阪線でこんな列車が走るのって久しぶりですよね?
 そして同じ事を考えている人も多かったのか、ここで追っかけの撮影者に何人か遭遇。自分の撮影しているこのアングルの周辺にも多くのカメラを持った鉄道ファンが集い、尺土駅の駅端は活気を見せたのでした。
 てゆーか写真見たらホンマに夏ですよね。夏。もうどんだけ記事放置してたんだよって感覚にしかならんです。さっさと次の記録出せ

 ちなみに留置線に滞在中の時間南大阪線の他の列車との共演も見られる特別な時間に。
 青の交響曲の登場でスッカリその姿が影に隠れ。そしてリニューアルによってようやく本来の名称らしき姿になった26000系『さくらライナー』と共演。普段は場所として駅に本線上で並ぶ仕事の盟友ですが、こうして留置線に入って共演するとやはり特別に感じるものですね〜。
 そしてこの先、列車は御所線に入る為に準備を。普段、御所線と南大阪線を直通して走行する列車は春季に運転の(夏季もだった?)臨時急行・葛城高原号だけであり、滅多にない入線。
 ホームにも営業列車の『普通/御所』に混じって『貸切』を冠した他所行きの表示がなされている状況に。

 そして、夏空の中を6600系・FT04編成が御所へ向かう為に入換線から出発。
 普段は御所線の車両が方向転換の為に使用している場所を、こうして客扱いしている状態のまま入線は本当にレアです。
 あ、ちなみに撮影場所は移動。
 あまりにも長い停車時間だったので横っ飛びするように横の橿原神宮前・吉野方面のホームに移動して撮影する事に。
 そのまま貸切表示のホームに入り、6600系・FT04編成はドアをオープン。
 最初っから感想を述べてしまうとなんだかなぁ…になるかもなんですけど、自分にとってはこの日
ツートップを狙うくらいで撮影条件を楽しめた場所だったような。

 古市・大阪阿部野橋方面のホームに入線。
 このまま列車は御所行きの列車に混じって走行し、一路葛城高原の麓である御所へ。
 ちなみにですが、数ある6600系の中でも
「なぜFT04編成で貸切を実行?」
との質問ですが、その答えがコレ。
 FT04編成。6600系で唯一となってしまった未更新編成・電球前照灯を光らせる編成であり、最も原形に近い6600系なのでございます。
 そこが鉄道ファンからも人気を呼び、今回の異経路走行夏イベントに直結した…という訳でして。
 ちなみにこの電球色の前照灯ですが、同じ仲間の6600系たちがLED前照灯に換装していく中で。そして姉妹形式の1201系にLED前照灯が波及していく中で今日も装備しており、一種のこの編成の特徴のようなものに。
 近鉄らしさが少しでも残っているの、ホンマに格好良いものです。

 入換を終えて、ホームへ。
 そして、再び束の間の停車時間。
 御所線の運行間隔に割り込んで侵入していく為、尺土で発車の機を伺うようにして待機。
 そんな間に撮影できた1コマがこの写真。
 今回のツアー名。『電車de夏さんぽ』を象徴するような夏空であり、この日の天気。そして令和5年の夏季を象徴するような気候が伝わる写真になりましたとさ。
 先に言っておきます。
 あまり撮影は『できません』でした。しかし、そんな中でもチマチマ拾った中ではお気に入りの1枚です。

 今回の異経路ツアーに伴って特別装着された団扇状のヘッドマーク。
 ツアー名を記して、主役の6600系。そして鉄道標識を織り交ぜた手書きの温かみのあるイラストで構成されたシンプルなものでした。
 乗務員さんの心遣いが伝わる1枚でございます。

 御所線の運転間隔にタイミングが付き、FT04編成(ここからは形式名略)の団体列車は御所線へ。普段はワンマン運転だけの長閑な路線に、今日だけは特別な装いのお客が入線します。
 あ。そうそう。
 この機会で、団体参加者に振る舞われた駅弁。『元祖特撰牛肉弁当』を製造・販売する三重県・松阪市の『駅弁のあら竹』から新竹浩子社長が出向かれました。
 一応l、後に判明したのですが橿原神宮前から尺土まで団体列車にも乗車。そして本社のある松阪市に、御所線へ行くタイミングを見届けて御帰還なさったそうで…
 この時に
『新竹社長がFT04編成団体列車を見送る写真』
を撮影し、撮影した写真が良かったものだったから調子に乗って
「社長、お疲れ様です。送る姿、撮れましたよ!」
と挨拶をしたところ、
「またメールで送ってね〜、あ、コレ名刺。ここに載ってるから。」
と名刺を頂戴する事に。
「…印刷してまた寄贈しようかな…」
と考えている自分にとっては、大きな不意打ちであった。
 御所線にFT04編成団体列車が出発し、尺土駅には静寂が戻ってきた。
 既に駅の放送パーツは新しいペア、樹&馬場のペアになってしまったものの、かつての妹尾&横田ペアによる駅放送が懐かしい。
 しかし、駅の風情はそんな構内放送の時代転換を感じさせないくらいに変わっていない。逆に懐かしさや安心感もそのままだ。

 列車を追跡する時、
『あまり調子に乗らない』
ようにするのは鉄則じゃないかと思ってしまう。
「んまぁ、いけるかもしれへんかなぁ」
と我慢を堪えきれず、自分は橿原神宮前・吉野方面に停車している御所線の普通列車に乗車した。
 すると、近鉄新庄あたりだったろうか。
 見慣れない電車と離合した。しかもツアー向けの号車札も掲出され、御所線ではあり得ない白幕に2文字の『貸切』表示。
「あ。しまった…」
結局、御所線に乗車するもすぐに離合のタイミングとかち合い、結局素直に下車して後方の去りゆく姿を撮影するのだった。
 FT04編成が尺土に向かって御所線をゆったり走る姿が、この1枚である。
 追っかけのファンたちは既に南大阪線を古市方面に向かって進んでおり、自分だけがポツンと御所線に残されたような格好になった。
 仕切り直して、再び向かおう。

 そのまま、FT04編成の貸切はアプリ上での追跡で藤井寺まで向かった事を確認。ん〜、南大阪線の列車としてはホンマに逃げ足早いっすね…。
 さて、そんな中でギリギリ間に合ったのが道明寺。ここで下車して、そのまま駅構内から狙って行くのも悪くはない…のだけれど、折角だからと奮発して駅の外に向かってみた。
 と言っても、駅からたった目と鼻の先のような場所なんだけれども…。ま、回り道で歩かされた分、良い沿線の視察になったと思えば儲けのようなもの。駅と比較しての変化っていえば、目線の高さだけみたいなもんなんだけどねっ!!(ツンツンすな)
 道明寺線の電車も、こうして撮影していると横に姿を表している。チラッと見える銀色のパーツがそのヶ所になる。
 そして、踏切が鳴って定期列車…が通過。観光特急、16200系『青の交響曲』の通過。車両自体は改造された車両とあって改造前の6200系と遜色ない非常に安価なドケチにドケチを尽くしたような見た目の変わらない車両なのだが、車内の演出は非常に贅を尽くした装いになっている。
 良い夏の日差しの中を、通過していく。ゴテッとした観光特急は窮屈そうに通過し、大阪阿部野橋に向かって進んでいった。

 撮影地にて、構えた方向からの列車通過。狙っていくアングルはコチラ。
 当然、貸切列車としての走行…だとしても、通常の日常的な運用。そして営業の合間を縫う形で貸切列車は走行していく。その中で、列車を待機していると日常的な営業の仕事に就業する電車たちの姿も撮影できるのだ。
 んで、来た電車がコチラに。
 6020系のC39編成。南大阪線の最大勢力の電車で、近鉄がボロばかりを保有していると揶揄されてしまう1番の原因。車両としては6800系時代のラビットカーの親戚のようなもので、南大阪線の中で良くも悪くも?伝統に看板を背負った車両となっている。
 ちなみに6020系電車。近鉄の狭軌線の電車の中では最大勢力…であると同時にして、中には40〜50年の車齢を軽く突破してくる電車もいるオッサン非常に恐ろしい電車なのだ。
 通常の50年を目処にして車両の人生・寿命が決まる鉄道車両の中では非常に長寿な部類に突入している。
 こんな電車がまだまだ平然と検査に入れたら通過するのだから近鉄って怖い。
 撮影時は曇った中を通過し、一抹の不安を覗かせる形となってしまったが本命・FT04編成の貸切列車はどうなるだろうか。

 すぐに踏切が鳴動し、そのまま通過。どうやら先ほどの準急のろのろおじさんの後方を走行し、その影響で詰まっていた様子だった。
 のっそりのっそりと通過。この周辺は古墳だったりなんだったりの古の事情で列車に速度制限を設けねばならない急曲線に悩まされ、貸切も当然その影響を食う。
 結論、撮影に関してはどうも釈然としない先っぽでの切り位置に。
「ん〜、これじゃアカンなぁ」
っと内心でボヤキを噛ませた後に撮影アングルを背に向けて、撮影を続行するなど。久しぶりの訪問、やはり難しい。

 そのまま後打ちにして撮影。よっぽど未練あったんでしょうかね。あまりにも自虐的
 しかも綺麗に決まってやがるし。
 そのまま駅にいる撮影者と共に、道明寺でFT04編成の貸切を見送った。このままFT04編成は古市に向かって進み、そしてそのまま古市の入換線に入線していた。
 結局、その古市の入換線ってなんだったんだろう。自分の中では釈然としない状態になっていた。
 FT04編成の貸切はそのまま古市方面に進んで、続いては長野線の先端、富田林に向かう。PL教団の聖地へと、2両の電車は夏空の中をゆったり走るのだった。

 道明寺から、再び追っかけ開始。フリーパス購入は間に合いませんでしたとさ。仕方なく各駅で磁気券を購入して、そのまま乗車して追跡をしている状態。
 んで、富田林に向かっての運賃を見ていたら
「え?高い?」
と意外な気付きを発見。近鉄、近いとこはやたらと高く見えるんですが遠い場所は安くなるんやとか。
 ほんでもって、大阪阿部野橋からは直通で長野線に入っていけるもんですから追っかけの道に乗換は必要がないのです。待機して到着した列車に乗車。
 そしてこの時、駅の自販機でサイダー購入。流石に『夏さんぽ』な団体臨時列車を追跡するだけあって、夏日真っ盛りの時期だったのでした。
 そして古市で抜かしたのか富田林には先に到着。喜志を出てすぐ先のPL教団の聖地。
「中川圭太も、この町を見て育ったんかなぁ…」
など自分独特のPL感で到着。考えていたらあの日本シリーズ進出を決めた、ソフトバンク守護神・モイネロからのサヨナラヒットまで浮かんでしまった。あの時の中川圭太、人生1番の緊張だったのだとか。そこは一旦置いておこう。
 光線はそこまで良いわけでもなかった。
「ま、記録には記録としてかなぁ…」
で、撮影できたのがこの1枚。半面の光に、暗くなった側面。
 ま、半面光になった影響で6600系独特のスラッとした車体が目立ってるからOKにしますか。パンタグラフも架線にそこまで目立ってないし。
 てゆーか標識。空気読め。

 富田林では、古市方面のホームに入線。
「ま、珍しいかな?」
の気力にて、駅員とのコラボレーションも撮影し、富田林の駅名標を混ぜてこの駅に特別来訪した記録を残す事に。
 てゆーか下車してから気づいたんですけど、駅の構内放送が妹尾&横田の2人組から樹&馬場の2人組に変わってますやん。
『トンダバヤシぃ、トンダバヤシでェ、ございます。』
のあの曇った放送、もう聴けないんですね。
 確か妹尾さんのパーツはココでしか聴けない、関西私鉄の文化遺産レベルに貴重なモノだったはず。もうないのは非常に寂しい思いに駆らるのであった。
 そして、この富田林では何人かがFT04編成から下車。参加者を乗せたまま、入換をする…のがこの
イベント最大の魅力なのだが、撮影に回りながら参加するツアー客も居るのだと知る。
 そして、そのまま入換線に引き上げていった。

※踏切開扉中に撮影しています※

 ここでは、入換線に引き上げた後に近鉄アプリから『貸切』の表示が消えた。営業で使用する線路ではないし、当然といえば当然なのだけど。
 そのまま、停車時間がかなりあったので入換線に滞在中の姿を外から撮影していく事に。
 この時、富田林もう1つの光景として頭に刻んでいた、『ロータリーに佇む金剛バス』の姿を撮影するのを完全に忘れていた。ま、撮影時期には金剛バスの廃業も完全に予定の範囲だったのだけど。
 見慣れた緑色の西日本車体工業のバスをそのまま掠めて、暑い空気の中を入換線に向かって歩いた。
 で撮影したのがこの写真。
 逆光なので、このイベントでの注目ポイントである標識灯の全てが点灯するヶ所。また、貸切の方向幕を掲げて特製のヘッドマークを携えるよそゆきの魅力的な姿が映える。
 ズームを使用してしまったので、多少の機材的なボケというかそうしたものはご了承頂けると…なのだが、踏切の開扉中に安全を確保しての撮影時間を楽しんだ。

※踏切開扉中に撮影しています※

 多分、自分くらいしか撮影していないだろうアングル。
 富田林まで入線したのだから、折角だしPLの塔と共演する姿を撮影したいと思って撮影したのがこの記録だ。
 入換線滞在時に撮影している鉄道ファンは多かったものの、自分のようにPLの塔を意識して撮影しているファンの姿は少なかった。というか、自分だけだった。
「この塔の周辺で、あの数々の鉄拳的な野球部の日々があったり病院での隠蔽とかがあったのか…」
そう思いながらの撮影。何故か様々なプロ野球選手のOBの話なども脳裏に過っている状態だった。
 そして夏の花火大会の象徴でもあった場所だ。そもそも現在は教団の隆盛も影響しているのか、コロナ禍の中に消えてPLの花火大会は自然消滅したような格好になった。あの活気ある夏の時代は帰ってくるのだろうか。
 様々な思いを一筋の白い塔に思いを寄せ、カメラを向けたのであった。
 気持ち、ここは尺土並みに撮影量が多かったような気がする。

 踏切が閉まっている時間は、河内長野に向かって走る電車の撮影時間に費やす。
 6020系同士による行き違いだ。
 長野線は単線の為、この富田林で行き違いをする。また、駅の中には単線の中にホームがポツリと佇むだけ…のような駅も多い。近鉄の中でも、全体的にローカルな空気を残した路線だ。
 しかしそうした中でも大阪の大都市、大阪阿部野橋との接続は怠らない堅実な都市間アクセスを担う路線でもある。最後はこの路線を各駅停車で軽快に走って、河内長野で長野線の旅路は終わる。
 写真でも分かるように、走行する列車の大半は準急電車だ。一部時間帯には普通・急行も乗り入れてくる。

 再び駅に戻って、列車の追跡を開始。
 参加者も構内にはおり、少し装いが普段とは異なる状況で、再び戻るようにして大阪阿部野橋行きの準急に乗車していく。
 写真の準急電車に乗車する。
 先ほど、このイベントのメインとして(撮影者的に)、
『標識灯が全部点灯するのが魅力』
という項を記したと思う。その標識(この電車で言えば黄色く光っている角張った車体下部の場所)の違いが、この写真ではよく分かる。
 左側。FT04編成の貸切列車。
 貸切である…事を示す為、標識は全て点灯させている。
 片方。右側の準急電車。
 準急である…事を示す為、標識は左側のみを点灯させている。
 この標識、実は
『遠方からでも識別可能なように』
と点灯方式が区分分けされている。
 標識灯が全て消灯であれば、『各駅停車』に。
 標識灯が右側だけであれば、『急行』に。
 そして写真の『準急』…と区別が存在する。
 ちなみに『全て光らせている状態』というのは、あまりない状態であり全て光らせた状態は
『回送・試運転列車』
を表すのだ。ちなみに『全て光らせる』場合は営業列車でも適用され、『急行以上の種別に充当される場合』は全ての標識が点灯する。
 標識灯の解説だけで大半の項を埋まらせてしまったが、入換線に停車するFT04編成の貸切列車を追い抜くような1枚を記録してから乗車。
 しかし全く、次の撮影場所は考えていなかった。(早くしろよ)

 ズルズル悩んで、ここまで来てしまった。
「道明寺はさっき撮影したしな…」
「ん〜、ココでええんやろか?」
そんな有耶無耶な気持ちで乗車し、河内松原で普通に乗り換えた。
「この先行けるか分からんけどな…」
しかしそれが不運のツキだった。
 河内天美で停車中。車内放送が流れてくる。座席が少し埋まる程度の車内。冷房でグダっている頃に。
「この駅で、電車の通過待ちを致します。発車までしばらくお持ちください。」
もしや。
「あ…。」
目が点になってしまう。やはり予想したようにだった。
 遠くから、紅白の細くスラっとした見た目の2両編成が駆け抜けてくるのが見えた。
「しまった…」
完全に失策。設定に関しては完全に何も考える事なく、急遽の撮影だったので粗末な仕上がりになった。
「もう忘れとったも同然やな…松原とかにすれば良かったんか…」
虚無感のまま、河内天美でFT04編成を見送って終了。ありがとうございました。
 そのまま待避した普通に乗車。
「扉がぁ、閉まります…」
今の自分には、完全に煙のように切なく車掌の声が消えていくのだった。
 そのまま大阪阿部野橋で、イベントを全て終えて河内天美方面に戻るFT04編成とすれ違い。完全に終結し、夏の楽しい時間(?)は終了した。

 さて。そんな貸切の撮影終了後は河内松原へ移動して、食事を摂取。ここまで昼食も食さず、気力だけで追跡したので胃に一気に充填・
 で、ここからはオマケ。
 河内松原で仲良い友人と話し、南大阪線の見える喫茶店で昼時の時間を。毎回毎回ありがとうございます。ちなみにその喫茶店、閉店したんだとか。お疲れさまでした。
 様々な趣味がその友人とは交錯しているので、話も盛り上がる。自分はプロ野球チップス・ヤクルトの選手カードを2年分渡した。(被った分だけ)
 色んな話が盛り上がったが、何故か自分が記憶しているのは
『福岡ダイエーの話』

『ヤクルト・森岡コーチの話』
だ。特に森岡コーチの話に関しては長期間気になっており、嬉しいわだかまりの快勝だった。
 と、そんな時間を一通り越して別れ、大阪を去る事に。色々感謝も相まって、楽しい河内へのおでかけでした。

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