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ACT.31『九州グランドスラム 11 手は届かずとも』

限界へ向かってみる

 指宿から、列車にそのまま乗車した。引き続き、この先にも線路は通っており『指宿枕崎線』の名前を冠する通りに最終的には枕崎に通じているのがこの路線の最終の限界だ。路線の終端駅・枕崎駅は『本土最南端の鉄道終着駅』として知られている。
 しかし、自分の乗車している列車は指宿を出ても1駅先の山川までしか向かわず、実に歯切れが悪い状態で終了してしまうのだった。
 ちなみに、『本土最南端の駅』として枕崎駅が表記されている理由としてはこの先の沖縄に、『ゆいレール』の愛称で親しまれている沖縄都市モノレールが存在し、鉄道の駅や線路としてはまだまだ先がある事を示しているのだと考えられる。
 実にこの指宿〜山川に関しては山深い区間でありながらも、中身の濃い区間であり何駅か途中に停車場があっても変ではないくらいの乗車ボリュームであった。到着したのが呆気なかったくらいだった。

要所要所に

 山川に到着した。この山川の駅も。さり気ない感覚だが観光地としての宣伝に少し精を出している感じであった。しかし、当然の話だが指宿も山川も自動改札機は存在していない。改札というか、人が抜けた有人のラッチが寂しく存在しているのみだ。かつては栄えていたのだろう観光の栄枯盛衰を、列車と共に眺めてしまう。
 ここまで到達すると、流石に日本の南国というか感覚も違った印象になってくる。黄色い塗装をしたキハ200形の塗装はギラギラした暑い5月の日差しに映え、乗客は少ないが指宿の暑い空間と似合っている。

 しかし、なんとも歯がゆいものだった。
 列車で到達できたは良かったものの、この先に向かう事は出来ない。黄色いキハ200形はこの駅でアイドリングをしているばかりで、全く反応がない。折り返すのか、この先の枕崎に向かう列車になるのかすらわからなかった。
 運賃表を眺めてみると、指宿からは少し動いただけだった。この1駅に何の拘りがあったのか知らないが、全く列車の本数に恵まれていない環境がこの先は続いている状況だ。
 そして、山川から再び列車で枕崎方面に向かって進んでいくと17時頃までないと来た。
「今から待って夕方まで列車が来ないのもなぁ…」
と思い返してしまう。
 西大山は言わずもがなな駅である。『日本最南端の駅』として鉄道ファン・旅人にも知られている駅だ。
 しかし、列車を待っているのは何とも歯痒い。そのまま歩いて、駅周辺で時間をやり過ごした。西大山に後少し、日本最南端の鉄道区間にはあと少しで乗車が叶う所であったが、今回は悲しく見送った。

何とも素晴らしい…?

 この山川の駅も、実際に駅舎を見てみると素晴らしい記録を保持している駅なのだと知った。
 この駅は、『日本最南端の有人駅』なのだそうだ。なるほど。切符を販売する窓口を設置している駅としてはこの駅が最南端という結果になるのか。
 しかし、訪問した当日はGWの期間とあり、窓口の肝心な営業は実施していなかった。何とも悲しい結果…にはなってしまったが、この山川周辺の荒廃ぶり、衰退ぶりを見ていると致し方ないのかもしれない。
 そう考えてみると、現在の『日本最南端の有人駅』として暫定的になるのは、指宿になるのだろうか。自分の勝手な考えだが、そう思ってしまった。しかし、また営業の日に向かって検証したいがこの山川でも窓口の営業期間時には下車印や切符の特殊発券が可能なのだろうか?そういった面も非常に気になる疑問である。新たな土産を携え、自分は南国を去る事になった。

 今回は、駅周辺の道を歩いて『行けたら西大山を目指してみる』ようにしてみた。絶対に無理なのだが。
 と、指宿枕崎線を潜った場所でこんな看板発見。砂蒸し温泉の案内と、山●駅。そして指と記された古い看板だ。明らかに山川駅・指宿駅なのだろうが、看板の設置環境が自然に揉まれすぎて劣化しているのが非常に爆笑を誘ってくる。
 そして、今回は乗車できなかったが山川から先の枕崎に向かっていく鉄路も更に先になっていくとどんどん鉄路は弱くなっていくのだろうかと思い始めた。次こそは乗車して確認しなくては。

 この山川周辺の建物は、妙に空き家が多くて歩いて行くのが大変に怖かった。多くの住民が都市部へと脱出し、更には少子高齢化となってしまった現代社会…という世の中だが、この山川周辺は特に空き家が異様な空気を放っていたような感覚が残る。
 急勾配で道を登って行くのがやっと、という感想も感想なのだが、自分の中にはこの『空き家ばかり』という不気味で薄気味悪いというちょっとだけ不安と恐怖心を煽ってくる感想が残ってしまう。
 そんな中。何故か商店の跡地に『リアルゴールド』の最初期の看板を発見した。100円で140mlという事で時代を感じる看板だが、少し躍った感じの宣伝文句も素晴らしい。

 限界はこの場所に到達してとなった。当然、もっともっと先の西大山になど行けるわけもなく、ここで自分の徒歩暇つぶしは頓挫してしまう。
 そしてこの時、制服姿だったのを忘れて涼んでいる…休憩しているとカブに乗った警察官に(と言ってもお巡りだ)
「兄ちゃん?大丈夫?」
「え?」
と急に道をUターンされ、職質が始まった。非常に動揺が隠せない。
 この時の様子は、後に京都に戻って『できるかな?』という小演劇を観覧した際に樽見萌香さんに一筆描いて頂いたが、実にシュールな絵になってしまった。
「制服…高校時代の?家出してるのかな?」
「いや、コレ私服なんですよ」
「あぁ、私服なのぉ」
「はい、親に服決められるの嫌だしコレなら中変えるだけで楽なんで」
「あぁそういう事ね」
「ん…まぁこれ自分で買ったんですよね」
「買ったの?何処で?」
「ヤフオクに売ってるんですわ…」
「売ってるんだねぇ…」
「お母さんはこの趣味知ってるの?」
「はい、もう全然…」
「あぁそうなんだ、良かった良かった」
「家出はしてないです、旅してるんですよ」
「今日はどうすんの?」
「もう帰りますよ。今日の夜に新幹線に乗車して博多の方に。」
「そうかぁ、じゃあタクシーとかも拾えんしねぇ、西大山はもう無理だよ、帰った方が早いわ」
記憶で鮮明に浮かぶ範囲でだが、こうしたやりとりが実施された。警察官にこうして職務質問されるようなキッカケを作ってしまった、というかこの周辺の住民にまた珍妙なネタを持ち込んでしまった。
 余談だが、この写真に映っているセブンイレブンには何故かソフトバンクの試合日程表やグッズカタログが配布されていた。

 そのまま、来た道を引き返して戻る事になった。呆気なく、自分の最南端への企みは失敗してしまった。宮崎もそうだったが、自分の事前計画の調査の曖昧さでこのような結果を引き起こす。
 こうなるのなら、鹿児島市内に戻って遊んでいれば楽しかったのだろうか。

夢置きたりて

 枕崎から戻ってきた列車に乗車して、そのまま鹿児島市内に戻る。山川の周辺は夏のように…そして熱気の蒸し暑い質感が孕んでいた。そろそろ、本格的に学ランが暑いと感じ始めてしまう。
 枕崎からの列車には、ボックスシートに何人かの旅人を乗せていた。きっと、最南端の光景を眺めてこれから戻って行くのだろう。
 無情にも自分はこの山川を最南端地点にして鉄道の旅を終結させる事になってしまったが、南九州のリベンジの際には再びこの場所から先の景色を見る事を誓って、この列車に乗車した。乗車するのは指宿市に入る際に乗車したキハ40形だ。

 指宿で、少しの停車時間があったので車両の撮影をした。
 そういえば、自分が小学生〜中学生の時期に指宿枕崎線という鉄路を知った時の車両もこの塗装のキハ40形だったような気がする。
 しかし、この土地のキハ40形は出迎えに眺めた田川方面の同じ塗装の気動車、そして原田方面に向かう同じ塗装の気動車とはまた違った風情というか空気感を出している。…これが、南九州の味というのだろうか。南国のよくわからない空気感を感じながら、列車の撮影を淡々とこなしていく。
 この指宿からやはり乗客の入りが多く、路線の結節点である事を感じさせられたものだった。

 少し強気に?こんな場所からも撮影してみる。方向幕を頑なに使用していない今でも、この場所は意地でも使用していないようだが『サボ』をかける場所だ。
 昔は、この浮いた場所に『東京⇄静岡』『京都⇄鳥取』など、列車の行き先や種別、愛称などを記した長方形の板を刺し込んでその板によって鉄道を支えていた。
 しかし、方向幕やLEDの表示器などに譲ってしまい…現在は車両の個性を示す部品として大事に飾られている状態となっている。時々使用しているかどうかは定かではないが、現在では役目を終了してしまった貴重な遺産だ。
 そして、昔はこのサボを使用する為の倉庫が各駅に多く配置され、鉄道の主要な場所を支えるのに欠かせなかったようだ。
 今回の写真は、列車が停車中にドアの横から撮影できた記録である。

 指宿市内で撮影した、最後の写真だった。この写真を最後に自分は南国の鉄路・指宿枕崎線との別れをし、再会を誓ったのだった。
 それからは…というと、自分は観光客や地元の乗客に揉まれ、鹿児島中央までずっと寝ている状態での乗車となった。そりゃあ夕方だし、あんな急坂を登って運動した後だから十分に体力は使い果たしていただろう。国鉄型車両!!と騒ぐ余裕すらなく終了した。

 鹿児島中央にて、駅を去る前に撮影した写真だ。
 今回世話になった車両、キハ200形である。黄色い車両の本業は、何度も記しているように指宿枕崎線の快速列車・なのはな号に就業する事だ。
 しかし、それ以外の普通列車でも通常通り営業している。折角なので、車両を調査してみた。
 キハ200形は平成3年に登場した九州地区の地方線区向け気動車だ。電車並みの加速性能を目指して投入され、エンジンはDMF13HZAを電子ガバナー付きにて1台搭載している。液体変速機にはJR総研開発の爪クラッチ機構付き・直結2段のR-DW4 Aを搭載している。この2つの新基軸で、気動車としては当時の高性能に上り詰める事が出来、電車同等の力を得る事に成功したのだった。
 台車はボルスタレス式の台車を搭載している。ブレーキには排気ブレーキを備えた電気指令式。そして、連結器も密着式連結器を採用し、従来の国鉄形気動車との併結を考慮しない設計とした。
 九州の地方線区に少しずつ投入され、地方近代化を担った存在だったが今回の路線。指宿枕崎線の黄色車両が登場したのは平成4年の事である。
 後にトイレ付き車両や単行の車両、セミクロス式の座席配置の車両などが誕生したが、現在でも九州の至る場所でこの車両には遭遇する事が出来る。
 また、冷房装置にはバス用のエンジン機関を採用している事も大きな特徴となるだろう。
 そして、予備的知識になるが北海道発旅バラエティ、『水曜どうでしょう』にてミスターこと鈴井貴之氏が鹿児島県名物、しろくま…を口いっぱいに頬張って吐き出す事故を起こしたのもこの列車の車中である。

 最後になるが。
 いよいよ、鹿児島の大地を離れる時がやって来た。正式には、『近づいてきた』かもしれないのだが。
 指宿を飾る名列車に手を振って、自分はまた来る事を誓った。さて、次は何処まで自分の距離を伸ばせるのだろうか。
 鹿児島中央STATIONのように、都通りでカレーライスを食べるでもなく観覧車でコーヒーを飲むでもなく。天文館に行くでもなく、だったが。
 自分の初・鹿児島の幕が閉じようとしていた。

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