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Turn.14『往年の勇姿』

 永遠のスターかもしれません。
 突然こうして始まるのも違和感になってくるのでしょうけれど。
 さて、今回の話は富山地方鉄道10030形、元・京阪3000系テレビカーです。晩年には中之島線開業に伴って同時投入された車両の影響で、頭に(旧)が付いたりしましたが自分は気に入ってないので『テレビカー3000系』と呼ぶようにしています。
 写真撮影時期は高校3年生。
 3年生と言っても、受験勉強らしい身の振り方や就活に暮れたという事情は一切なく、鉄道を追っかけて普通に暮らしてました。大学とか就職とか、正直そんな事を全く考えてなかったです。単位制の高校に推薦されて進学したのは良いのですが、実際
『自分の事は自分でやりなさい』
タイプの学校に進学してしまうと限界まで自分は徹底的に遊んでしまったので、そこだけは良くないものでした。
 おおっと、今回の車両の話をしなくては。
 写真の10030形は富山地方鉄道の越中荏原付近にあります、常願寺川橋梁で撮影した1枚です。というのは先述しましたが、この車両と自分の出会いの話を。
 テレビカーに出会ったのは…この顔の京阪特急とはじめて出会ったのは、小学生の時代でした。
 夏休みの陶芸体験で宇治市に向かう際、祇園四条のホームで待っている最中にやってきたのが、この車両との出会いでした。
 8000系投入後は、3055Fの1編成を残存させて輸送力の維持を図った京阪。
 最終的には8000系30番台と編入されて活躍し、クラシック仕様として導入当初の頃に戻されつつも活躍を継続します。
 自分が確か小学5年生か6年生の頃に引退しました。
 その時は真ん中の二階建て車両…は既に切り離されてしまいましたが、富山地方鉄道への譲渡。
 サハ31形…として形式を改番し、京都で鮮烈な出会いをした後に富山県で再会します。
 真ん中の車両だけしか…ですが、やはりこの色の車両が再び走行している姿を楽しめるのが自分にとっては何よりの感動です。
 現在は富山地方鉄道にて『ダブルデッカーエキスプレス』の称号を与えられ活躍…しているようですが、サハ31形に関しては現在稲荷町の車庫で休車しているようで再びの復帰を見計らっている状況になります。
 二階建て車両、赤と黄色の塗り分け。
 3両編成になっても、特急としての凛々しさは変わっていないのでした。

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