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躁鬱職探し日記

はじめに

これからお話しすることは事実を基にしています。
ですが全てが事実というわけではありません。ありのままに全てをさらけ出すことに私自身が耐えられないかもしれないからです。
主人公である私は事実、双極性障害Ⅱ型という精神疾患を抱えています。
ご存じのように精神疾患の症状は人により様々な形で発現します。
ですから私がここでお話しすることもほんの一例だと思ってください。

前提条件として今の私の状態を簡単にお話ししておきます。
59歳無職、男性です。
双極性障害Ⅱ型に罹患したのは今から20年以上も前のことです。
当初は鬱病と診断されましたが、今のクリニックで双極性障害Ⅱ型と診断を変えられてそろそろ15年ほどになります。
確かに自分でも制御が難しいくらいハイになったりもしたので、俗にいう「躁鬱病」のほうがピッタリなんだろうと思います。

2021年8月末までは正社員として学習塾で教室長をしていました。
転職はかなり重ねましたが学習塾の業界では約15年ほど働いたことになります。今回こそは熟慮を重ね納得して退職したつもりでした。
でも、いつも通り辞めてしばらくすると後悔に襲われました。
私が退職を会社に告げるのはたいてい鬱期の後半の夜中、メールを使ってです。
そのくらいの時期、時間になると何もかもどうでもよくなりこの場から消えたくなるのです。
そして衝動的に退職届メールを送信します。

躁と鬱の波があるように、こんな風に就職と退職を繰り返してきました。
逆にこれだけたくさんの職場を転々とできたことが奇跡に近いのかもしれません。
女々しく後悔をし、会社を逆恨みし、自分の境遇を呪い。
再就職を半ばあきらめていたのですが、またしても奇跡が起きて11月からアルバイト扱いでしたが学習塾の教室長代理として採用されたのです。
その上、社長からは数か月様子を見たうえで正社員として雇用するとまで言ってもらえました。
躁期の私は人当りもよく自信にあふれているので面接受けはそこそこ良いのでしょう。

このような感じで日記風に「職探し」の現状をお話ししていきたいと思います。基本は毎日更新ですが更新できない日は「ああ、鬱がひどいのかな?」くらいに思っておいてください。
では物語を始めていきますね。

2022年4・5月

とにかく退屈でした。
塾のシステム上、仕方がないのですが生徒たちがパソコンやタブレットを使って独自に授業を進めるので授業が始まるとやることがありません。
なおかつ、11月にスタートした教室なので生徒も少なく質問もほとんどゼロです。保護者対応もほとんどやることがない状態。
一方、面倒なことに本部主催の研修をほぼ毎日Zoomを使って受講しなければなりません。研修の内容はいかに生徒を入れるかというロープレです。
私以外に参加されている方は殆ど塾以外の異業種の方のようでした。
また、研修内容は完全に営業のロープレで昔々私が普通のサラリーマンとして入社した当時にやらされていたようなものでした。
簡単に言ってしまうと非常に鬱陶しい研修でした。

個別塾の場合、普通は正社員が教室長を務め大学生のアルバイト数名が授業を担当します。
今回はアルバイトの代わりにパソコンやパッドが授業を担当するので就業時間中、大人は私一人でした。
寂しさなどありませんでしたが、暇で仕方ありません。
生徒の手前、本を読んだりするわけにはいきません。何とか仕事をするふりを数時間続けなければなりません。
結局、辞める直前は開きなってネットニュースなどを見て時間をつぶしておりましたが。
暇というのはいいようで無駄なことを考えてしまうという悪い点もあります。私の場合は「このままで俺の人生はいいのだろうか?」といったことを考えておりました。
今回、鬱ではなかったと思います。
でも、軽い鬱状態だったのかもしれません。事実、辞めてしまったわけですから。就業規則通り退職の1ヶ月まえにその旨を社長に告げ受理されました。
まあ、アルバイト扱いですからそれほど大げさに考える必要はないのですが
契約書にのっとってその通りの手続きを踏んだわけです。
このように正式に退職するのは久しぶりでした。
社長もやる気のないバイトを一人で置いておくことに不安を感じたのかもしれません。退職を告げてから2週間ほどで辞めることになりました。
「来なくてもいいですよ。」ということでしたからクビということでしょうね。

忘れていた会社

本来であれば5月の転職活動についてお話したいのだが、今日ハローワークに行って気づかされた事実につて急遽話を差し込ませていただきたいと思う。
確か9月末ごろに1週間だけ勤めていた会社があったのだ。
本当に失礼しました。いろいろな意味でご迷惑をおかけしました。

4年ほど勤めていた塾を辞めた後、しばらくはおとなしくしていたが多分
躁期に突入していたのだろう。ネットを経由していろいろな会社に応募をした。ネットのクリック一つで応募はすぐに完了してしまう。気楽に何社でも応募できるのである。
そして躁期はやはり躁である。
なんでもできそうな気がするので冷静に考えたら絶対に採用もしてくれないし、採用されたとしても仕事できるの?といった会社にもバンバン、メールを送ってしまう。
冷静に考えれば迷惑な話である。だが、躁期の私はひたすら前を向いているのでなんでもできる気しかしない。
採用してくれたのはそんな勢いで応募した中の1社、中小の貿易を中心とした会社であった。
実は私は貿易業務は無難にこなせる。
新卒で入った会社が商社だったので貿易業務、海外での商談、英語などには全く抵抗感はない。
ただし、だいぶ古い経験ではあるのだが。
貿易でもそうだが法律関係は年々いろいろ改定されている、当時の知識がそのまま使えるはずはないのであるがそんなことは全く気にならなかった。
面接も躁期の私には、ある意味テンションが上がるので楽しくもある。
転職回数の多さを聞かれても上手い感じでかわしてしまう。
唯一気になったのは「中国語」の実力のことである。
一時期、半ば中国に駐在のような生活をしていたので初歩の中国語は何とか覚えているが商談となると100%不可能である。
もちろん、そこは嘘をつかずにきちんと伝えた。
ただ、1次面接で中国語のことを思いのほか聞かれたので2次面接の連絡を受けてから、一応と思い中国語を思い出す努力をした。
やはり無理だ。
YouTubeで中国語チャンネルを見たりもしたが泥縄もいいところである。
ただ、躁期である。私は中国語の自己紹介だけは完璧にしておいた。

当日、私が引き継ぐべき担当者も同席の上面接が始まった。
「では、中国語で会話してもらいましょうか」
そう言われて唐突にその担当者から中国語で話しかけられた
「・・・」
全くわからん。
それでも躁期の私は強引に自己紹介をさせてもらった。
私の自己紹介をその担当者が日本語に訳して社長以下に伝えている。

そして私は採用された。
作戦が勝ちか。

しかし初出勤の日から私はめげていた。
この15年午後からの始業時間に慣れてしまった体は早起きを受け付けない。
直近の15年は塾勤めだったので昼過ぎに家を出れば良かった。
鬱の人であればわかると思うが、鬱にとって朝はつらい。
この早起きをきっかけに私の中のスイッチは躁から鬱にカチリと変わってしまった。
面接時の自信は霧散し、何をするにも自信がなくおどおど。
中国語を聞けば鳥肌が立ち脂汗が出る。
本当に体調がわるくなった。鬱という意味ではなく。

出社して3日目には我慢できず、体調不良を理由に早退をさせてもらった。
会社を出て車に乗り込むと変に落ち着いてくる。
帰りのドラッグストアで缶チューハイを5,6本買いこみ家に着くなり飲み始める。
夜には酔いはさめてしまい逆に寝られない。寝不足のまま翌日、出社したがやはり体調はすぐれない。
またしても早退をさせていただき、帰りに酒を買い込んで明るいうちから酔い逃げ状態である。

こうして月曜から金曜日までやり過ごし、土日で絶望をし、例のごとく例の退職メールをした。
今回は夜中ではなく月曜日の早朝である。
月曜日は出社と同時に退職の手続きに入りそのまま会社から去った。

こうして文字にすると本当に恥ずかしい。
大人として最低である。
でも、その時はそうなのだ。ダメなものはダメなのである。
せっかく20年振りに一般企業に就職できたのに1週間で私は逃げた。
本当に病気なのかもしれないし、病気を理由にしたのかもしれない。
とにかく逃げたいから逃げたのだ。
そんな迷惑をかけた会社のことを忘れていたなんて。
ハローワークで失業手当の手続きをしているときに、職員の方からご指摘をいただき違った意味でハッとした。
申し訳ないという気持ちが少しでも湧いたことにある意味安心した。

今回の職探しは長くなりそうな気がする。
これだけ多く退職を繰り返しているが失業手当の申請はそれこそ20数年ぶりであろう。
「落ち着け、自分」

2022年5月

4月はおとなしくしていたがGWが終わって調子が良かったせいかネット経由で応募をしまくった。
2社だけ面接に繋がった。
まず1社。ここは以前も応募して門前払いだった大手の個別塾。
今回面接をしてくれるということはよほど人が足らないのかもしれない。
正直も業種はどうでもよかったが経歴から一番受かりそうな学習塾を中心に応募をした。
1次面接はZoomで相手は責任者を含め3名出てきた。
やはり転職回数の多さは聞かれるが、これは慣れた質問である。
いつも通り無難になおかつ相手の同情を引くような答えをしておいた。
塾業界は慢性的に人手不足である。
なぜなら環境がブラックだからである。
だが、好き好んで定年前の男を雇うはずもないだろう。
半ば開き直って、できるだけ元気な感じでZoom面接を終えた。

予想外に2次面接の知らせが来た。
少しだけ、5%くらいは希望が持てた。
教室まで来てほしいということだったので指定の場所に行ったのだがそこで面接は行われず、その場でスマホを使って改めてのZoom面接である。
文句を言っても仕方ないが半笑い状態で面接を終えた。
その後が筆記試験だ。
久しぶりに問題を解いた。以前からそうであったが試験問題を解くのは大変というよりも面倒くさい。
英語はほぼ斜め読みでさっと終わらせ、数学は考えても解法がすぐに浮かばないものは潔く白紙にした。
担当者が「試験の結果で合否は決めない」と言っていたことも大きい。
それから1週間後、「お祈りメール」が来て終了した。
落胆もないし感慨もない。
やはりという感じとどうせなら1次面接で落とせよと言いたかった。

もう1社は登録している人材会社から「お勧めの求人」メールが来たので、それならばと応募した。ここも学習塾だ。
比較的家からも近いし以前の職場にも近いのでその塾名は知っていた。
これまた意外なことに折り返しのメールで早速会いたいとの連絡が入った。どこも人手が足らないのか?
深く考えずに翌日、面接の場所に行った。
全く期待していない塾だったのでまあ話くらい聞いてみようという感じだ。
40代後半と思われる社長が出てきた。まともな人には見える。
思いのほか話が盛り上がり最後には
「正直期待していなかったのですが、非常に良い人が来てくれてうれしいです。是非ともうちで働いていただけませんか」と内々定のような言葉をもらった。
正直、そんな乗りで決めていいのかよと思ったが、私のほうも塾の内容が思ったより好ましかったのですっかりその気になってしまった。
職場は面接の場所ではないが、自宅から近くの新しい教室とのことだった。

新しい職場で働くイメージを膨らましていると、その晩、その社長からメールが入った。
「話はなかったことにして欲しい」という内容だった。
その理由として、以前から話を持ち掛けていた彼の甥が急にその仕事をしたいと言い出したとのこと。
無茶苦茶無理やりな理由だ。嘘というのは明白だった。その証拠に、別の媒体で新たに募集をかけている。
嫌味で応募してやろうかと思ったが時間の無駄なのでやめた。

すぐに悟った「私の前職の退職理由:精神疾患がばれたのだろう」と
そういえば前職の会社の社長のことを知っていると言っていたので裏を取ったに違いない。
一瞬怒りに包まれたがすぐに冷静になった。
こちらも精神疾患のことは隠して求職活動をしているのだ。
いうなれば過去の悪事がばれたに過ぎない。
「天網恢恢疎にして漏らさず」ということだろうか。
精一杯の嫌味を込めた返信をしてこの話は終わった。

精神疾患はかかったことのない人にとっては訳が分からず不安どころか多少の恐怖を覚えるのかもしれない。

今回、スルリとラッキーが手元からこぼれた時に私は悟った。
「今回の職探しは時間がかかるかもしれない」
自分に向かって言ってみた。
「いい気味だ。今までのつけはどこかで払わされるんだよ。無傷で逃げ切れるなんて思うなよ。」

バイトもダメか…

5月の中盤から就職活動に加え、バイト生活も視野にいれて考えることにした。
年金、保険が払えるくらい稼げば当面は何とかなると考えたからだ。

探し始めてすぐにラッキーなことに近所に求人を発見した。
大学時代を含めバイト経験がほとんどないので一番慣れている塾講師で探していたのだ。
2社受けることにした。
どちらの塾も自宅から徒歩15分以内の距離である。
バイトということもあり、それほど深いことも聞かれずに2社とも合格をさせていただいた。
嬉しさはなかったが正直ホッとはした。
収入がゼロとイチでは大きな違いだ。

合格が決まって1社は5日後くらいに1回目の授業をした。
授業が久しぶりすぎて少々空回りをした感がある。特に数学。
以前であれば簡単な問題は解答を見ずに授業を進めていたのだがその調子で授業をしていたらえらいことになった。

計算間違いの嵐である。
幸い勉強が得意な生徒ではなかったのでクレームにはならなかったが自分でもびっくりするくらい簡単な計算を間違えた。
今にして思えばそれで自信を失ったのかもしれない。
2回、3回と授業を重ねたが違和感はぬぐえなかった。
こんなはずじゃない。
でも事実こんなことしたかできていない。

もう一つの塾は応募した教室以外にも応援をして欲しい教室があるとのことでその調整に少々時間を要した。
授業の開始は6月になりそうだ。
小学生が多いので明るく授業をしてほしいとの要望であった。

だが、5月最終週になるともうだめだった。
塾に行くのが怖いのである。
もっと極端に言うならば人に会うことが怖くなった。
家から出られない。
バイトも無理なのか・・・、軽い絶望感。

鬱は酷くないがやはり鬱期に入っていたのだろう。
せっかく始めたバイトだが早々に辞めることにした。
辞めるというより「逃げる」感じだ。そう、私は逃げた。

2社に電話とメールをいれた。
「申し訳ございませんが、就職が決まってしまったのでバイトを続けることができなくなりました・・・」
白々しい嘘だがすぐにやめるにはピッタリの理由だ。
こうして私はバイトをやめた。バイトから逃げた。
どうして?
鬱期だから。
そうしてこれからも逃げ続けるのか?
Yes. 逃げ続けるのだろう。

徒歩圏内に塾はまだある。気分が復活してチャンスがあればもう一度チャレンジするか?
今はまだ分かりません。なぜなら、自分のことが分からないから。
5月は躁と鬱の波の入れ替わりが激しかった。
さざ波が何度も寄せるイメージか。
バイトすらできない自分。さて、どうしたものか。

ライターになりたい

Webライターの存在を知ったのはYouTubeだったか、Twitterだったか今となってははっきりと覚えていない。
「在宅で5万、10万稼げる。」のワードが強烈に印象に残ったのだ。
今まで私が退職、就職を繰り返してきたのは当然、病気のせいではあるのだが、そもそもとして会社に勤めることが向いていないのではないかと改めて今回気づいたわけである。
それで「在宅・仕事」で検索したのかもしれない。

とにかく「Webライター」になることが目標の一つになった。
この目標を持ったのは4月の中頃からだと思う。
色々調べまずはクラウドソーシングに登録をした。
クラウドソーシングとは仕事を発注したい企業、個人と受注したい個人をマッチングさせるサイトのことである。

取り急ぎ、大手の2社に登録を済ませた。
そこから仕事探しのスタートである。正直右も左もわからない。
文字単価という概念も今一つピンと来ていなかった。
ただスタートせねばという焦りのようなものがあったのでできそうな案件には闇雲に応募した。

ある意味ラッキーだったのかもしれない。
一番最初に獲得したのはインタビューを受ける仕事であった。
内容はたしか「シニアの転職」だったような気がする。

初の仕事でドキドキしながらZoomをつないだ。
担当は感じの良い女性だった。
その方のスキルが良かったのだろう気持ちよくしゃべることができた。
その上、彼女から「同年代の方に比べてすごく若くいい感じですね。」とお褒めの言葉までいただいた。
私の話の内容もさることながら、職歴に興味を持っていただいたようだった。

これで気を良くした私はその後も積極的にいろいろな案件に応募をした。
事前の調査で分かっていたことだがそう簡単に案件は獲得できなかった。
10件応募して1件受注できれば良いほうだ。

たいした文章は書けないがNoteが続いているように基本的に私は書くことが好きだ。
書くことで浄化というか昇華されている部分が多いと思う。

だが、仕事でのライティングとなると話は別である。
こんな風にダラダラと好き勝手に書くことはできない。
各発注者ごとにレギュレーションが決まっていて、時にはその指示中の単語の意味さえ分からないこともある。
懸命に書いたものに対して厳しい修正が返ってくることは当然と考えたほうが良い。
先方も仕事なので作業者である私には辛辣に思えるコメントも多々くる。
もうやめさせてくれと思ったことは何度もある。
理想の在宅ワークのはずがメールが来るたびにドキドキしている自分がいる。
これでは会社勤めと変わらないではないか。
苦笑しそうになるが、この神経質なところが病気の一因にもなっているのだろうとあきらめることにした。

案件を数件こなして初めて提出後にドキドキすることがなくなった。
提出してしまえばあとは修正指示がくるまでやることはない。
ダメだしされてから修正すればいいのであって、「もし」を考えても仕方ないのだ。
ようやくその境地にすこしたどり着けた。

短い期間ではあるがいろいろな題材について書かせていただいた。
思い出すだけでも、「ドラマ・VODについて」「宅配クリーニング」「TOEIC」「転職」などなどである。

全く知識のないことについて調べながら書くことも納期さえ考えなければ結構楽しいものだと気づいた。

ただ、もう一つ気づいた大きな事実がある。
月に5万、10万稼ごうと思ったら会社にいるときと同じくらいの時間を費やさないと無理だと。
気が向いたときに手軽に・・・ではお小遣い程度にもならない。

安定的に仕事を得るために毎日のようにクラウドソーシングのページを眺めて応募を続けている。
まだぼんやりとではあるがこの仕事は続けるべきだと考えている。
上手くいく確信はみじんもない。自信も全くない。
でも、もう私に残された選択肢は多くはないのだ。
クリックした先に明るい未来があることを信じて今日も数件応募をした。
早く自信をもって「職業はライターです」と名乗ってみたいものだ。

ハローワーク

今回の就職活動は長引きそうだという漠然とした予感からハローワークで失業手当の申請をすることを思いついた。
これだけ何回も失業をしているのだが前回、失業手当の申請をしたのは発病した会社を辞めて以来なので20年ほど前になる。

久しぶりにハローワーク訪れたかが外観も内側もさして変わりはないようだった。
周りの様子も前回使った駐車場もほとんどそのままである。

少しだけ驚いたのは職員の方々の対応である。
これはいい意味で。

20年も前の記憶なのであいまいなのだが、今回ハローワークを訪れて職員の方々の対応の丁寧さに驚かされた。
ちょっとしたサービス業を感じさせるほどの対応だ。

事前にネットで確認していたので用意する書類に不備はない。はずだったが前述したように1週間ほど勤務した会社の存在を完全に失念していたのでその分の書類がない。
正直、まずいと思った。
私の勝手なるイメージであるがハローワークも基本は役所でありそこで行われるのはお役所仕事であるはずだ。
融通など利くはずもない。
書類が足らないと言われたときには、心臓が嫌な感じでドキドキし始めた。
「少々お待ちくださいね。」
担当の女性が書類を持って上司と思しき男性の席に行って話をしている。
当然、私の書類の不備についてであろう。
ステロタイプを口にするのは申し訳ないが、その上司の方は眼鏡をかけ、いかにも堅物の印象。
最悪、自宅まで戻れば書類はあるはずだが、今のメンタルにそんな根気も気力も残っていない。
しばらくして戻ってきた女性
「この書類はなしでも大丈夫です。」
おおっ、何と融通を聞かせてくれたではないか。心の中で快哉を叫ぶ。
(ハローワーク万歳。)

こうして無事に手続きは終わった。
正直、いくら支給いただけるのかは不明だが国民年金、健康保険の足しにはなるに違いない。
単純にほっとしたと同時に喜びが湧いてきた。
何もできない、何も生み出さない自分でも手続きができたことが嬉しかったのだ。

とにかく少しは前進した。
後は焦らずに、そして躁鬱の波にできるだけ翻弄されないようにしながら職を探さねばならない。
ここで大げさに「人生最後の職探し」などと力んではいけない。

無能で無力な自分を認め、最悪はまた逃げ出せばいい。
自分の居場所でないと感じたらさっさと逃げ出せば良いだけだ。
少し安心したのか職探しへの意欲も湧いてきた。

6月10日

6月に入ってメンタルは比較的落ち着いている。
ハローワークに行って失業手当の申請をしてきたおかげだろう。
それでも調子のよい日と悪い日が短サイクルで交互にやってくる。

調子の良い日はライティングをし、ネット経由でせっせと求人に応募している。
当然、求人に関してはお祈りされることがほとんどである。
仕方ない。自分の年齢を考えれば正社員を望むほうが無謀なのだろう。
分かってはいるのだが調子が良い日は出来そうな気がするのだ。
面接もそうだし、仕事もだ。

一方、このやり方ー調子の良い日に応募しまくるーのは良くない方法だとも分かっているのである。

たまにだが書類が通過して面接までたどり着ける場合がある。
ただしこの時のメンタル次第で先が変わってしまうのだ。
調子が悪いととてもではないが人と話す気分になれない。
挙句の果てに、変な理由をつけて面接を辞退してしまうのだ。

この行為は砂山の上に立って自分の周りの砂を徐々に取り除くようなものである。
要するに自分で自身の可能性というか行き場を狭めてしまっているのだ。

最近、一つだけ賢くなったことがある。
メールのスヌーズ機能を利用することだ。
スヌーズとは指定したメールを指定した日時に改めて受信トレイに復活させることだ。
目先、迷っていたり、暴走気味のときはこの機能を使ってコントロールすることを覚えた。

後、止めなくてはいけないことは深夜もしくは早朝にスマホを触ることだ。
お恥ずかしい話だがこの年になってYouTubeを見ることにはまっている。
見る動画はキャンプ動画か、何かを食べたり飲んだりしている他愛もないものである。
くだらないとは思いつつもそう言った動画で癒されている自分がいることも事実だ。
今夜もまた見るのだろう。

断酒は順調に進んでいる。
現在は飲みたいという欲求は完全に消えている。
お酒を飲まないのだから薬がきちんと効いてくれそうなものだが、それはどうも違うらしい。
ある意味規則正しいのだが最近は毎朝4時ごろ目が覚める。
前向きにそこから朝活でもすればよいのだがそんな気にはまだなれない。
そこから2度寝をして7時前にまた眼を覚ます。
それほど苦痛ではないが一気に7時ごろまで寝てみたいものだ。
少し散歩など運動量を増やしたほうが良いのだろう。
最近は歩いて5分ほどのスーパーを往復するくらいしか歩いていない。

この1週間で少なくとも10社には応募している。
記録しているわけではないので正確な数字ではないが。
私の感覚としては15社に1社面接までたどり着く感じだ。

実は明日、Zoom面接がある。
東京の会社で完全在宅のライターの仕事だ。ベンチャー系の若い会社だがよく私を面接まで通してくれたものだ。
感謝しています。

緊張は皆無だし、やってやろうという意気込みも皆無だ。
大切な面接の機会をこうしてサラッと流してしまってよいものだろうか。
まあ、仕方ない。
正直、採用されるとはほとんど思っていないのだから。
伸び放題の無精ひげをそるのが面倒なくらいだ。

今日はライターの案件を1件終わらせた。
前回は予想に反して1発合格だったが今回はどうであろう。
心配してももう提出してしまったのだから待つしかない。それまでは忘れよう。
実は今日2件、新規の案件が獲得できたのだ。それも文字単価がそこそこ良い案件である。
ところがである。
私のメンタルの調子がイマイチなのだ。
メンタルがイマイチのときは1つのことをやるだけで精いっぱいになってしまう。
心に余裕がないということだろう。

で、結局はその大切な2件は辞退させていただいた。
本当に馬鹿だなと思います。
10件応募して1件通ればよいところ2件もオファーをいただいたのに。
「もしかして在宅ワークすら向いていないのか?」
不安が大きくなりそうなところを無理矢理押さえて自分に言い聞かせる。
「今はそのタイミングじゃないんだ。我慢、我慢」

スクラップアンドビルドという言葉があるが6月に入っての私はまさにそれだ。
嫌なことを忘れるために新たに勉強を始めた。
ファイナンシャルプランナー3級の資格を取ろうと考えたのだ。
別にFPの資格を取ったとしても就職に有利になるとは思えない。
じゃあ、なぜ。
ライターの案件で金融に関するものは比較的文字単価が高いからである。
FPの資格があればそういった案件も少しは取りやすいと考えたのです。
浅はかか。でも勉強をしているときはいらぬことを考えないのでメンタルには良い気がしている。

さあ、今日はひげをさっぱり剃って明日の面接に備えよう。
何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
とにかく日々何かをして、いやしなくても生きてゆく。

6月13日

月曜日はたいてい調子が良くないのだが今日は7時まで寝ることができたせいかスッキリしている。
特に急ぎでやることはないので午前中から本を読み始める。

昼過ぎにクラウドソーシングからメールで案件が獲得できた旨メールが来た。
今日は大丈夫だ。
逃げずに向かっていける。
そう言い聞かせて案件承諾のボタンをクリックする。

比較的文字数が少ないのでプレッシャーもそれほど大きくない。
何といってもメンタルが安定しているのが一番だ。
慌てて書くこともないだろうと夕方まで放置することに決める。

明日はハローワークに行く日である。
ついでと言ってはなんだが、ハローワークの紹介状が必要な応募先があったことを思い出した。

今日は気分が前向きだ。

会社に問い合わせの電話をした。
非常に軽い雰囲気のおじさんが出てきた。
「明日、面接来ることは可能ですか?」
いきなりだな。ハローワークがあるので明日は無理ですと伝えると明後日
水曜日を指定された。
特に用事のある身ではないのでOKした。
この会社の募集は正社員ではなくパートである。
でもお金を稼げるのだったら今はそこにこだわるべきではない。

なんとなく気は進まなかったが16時ごろからライティングに入る。

まずはリサーチから。
文字数が少ないのも書きづらいものだと思いながらキーワードをパソコンに打ち込んで表示されるページをサラッと斜め読み。
大体の構成を終わらせたら今日はやめておこうと思っていたが、書き始めてしまった。

書き始めると早く終わらせたくなる。
これがいけないのだと思う。もっとゆったり構えたいものだ。
なぜか知らないが焦りながら執筆している。

焦るな、焦るな。

何回も自分に言い聞かせながらキーボードを叩く。
気づけば2時間ほどで書き上げてしまった。

「今度こそ落ち着こう」

明日に推敲しようと決めてパソコンを閉じようとしたときにスマホに着信があった。
見慣れない番号だが大阪市内。応募した会社かもしれないと精一杯声を張って応答する。
「こちら株式会社〇〇〇です。応募いただいた件でお電話しました。」

ごめんなさい。
会社名を言われても全く記憶にない。
調子が良いときにホイホイと応募してしまうのがいけないのだ。

先方は少し焦っている雰囲気で、明日の面接を指定してきた。
だが、今の私にはハローワークに行くことが最優先事項である。
都合が悪い旨を告げると明後日水曜日を指定された。
先ほど決めたパートの面接とは時間が離れているのでOKせざるを得ない。

スピリチュアルなことを言うつもりは毛頭ないが、「流れ」というものはあるらしい。
良いか悪いかは別にして面接が2件決まったのだ。喜ばなくては。

後は私のメンタルが平穏なままでいてくれることを祈るばかりだ。
目先、懸念事項もないしハローワークに行けば失業手当にまた1歩近づくわけである。
よし、良い流れが来ている。と自分に言い聞かせてみた。

そうだ、良い流れが来ているのだ。
その流れに身を任せれば良い場所に連れて行ってくれるはず。
そう信じて今日もゆっくり寝たいものだ。

今日はいい日なのだろうか。
多分、いい日なのだろう。

6月15日

朝起きたらメールが入っていた。
先日Zoom面接を受けた在宅ライティングの会社からである。
表題が「先日の選考について」となっていた。
この時点でダメだったかと少しがっかりした。
念のためメールを開いた。

予想通りお祈りメールでした。
軽く落ち込んだがまあ予想の範囲内である。

それより今日は2社面接を受けなければならない。

午前中は自宅から比較的近い「学童保育」を行っている会社である。
バスでも行けるのだが、念のため車で行く。

会社の中に入ると、すでに子供たちでいっぱいの状態。
正直に言います。
子供はそれほど得意ではないのです。
なぜ、応募したのか。

家から比較的近く受かる可能性を感じたからである。
仕事内容はあらかじめ分かっていたが子供たちの姿を見て少々気が重くなった。
女性の社長が面接をしてくださった。
忙しそうな方ではきはきと話をされるのだが疲れが見受けられる。

面接は30分程度で終わり、採用が決まった。

だが、返事は保留した。
先方もゆっくり考えて欲しい様子だった。
私を見て仕事が勤まるのか少々不安に感じているのかもしれない。
不安は私も同様だ。

やっていけるのか。
どうする。どうする。
頭の中でいろいろ考えてみるが結論が出ない。

先方も言ってくださったが最初は試用期間ということで様子を見ようとのこと。
とりあえず試用期間だけでもチャレンジしようか。
そうも考えたがスッキリと結論が出ないまま帰宅する。

昼食をとってグダグダしながら再度考えてみる。
ダメだ。
結論が出せない。

こうしているうちに夕方のもう1社の面接のために家を出る。
2社めは自宅から徒歩で20分くらいの学習塾である。

「失礼します。面接でお邪魔した・・・です。」
精一杯元気に言ったつもりだが塾長と思しきおじさんに怪訝な顔をされた。
再度面接のことを話すと、アッという顔をして
「ごめん。忘れてました。」だってさ。

いきなりテンションが落ちる。

おじさん曰く私のしゃべり方は「完璧」らしい。
今一つぴんと来ないが褒められているということで良しとしよう。

「明日、門前配布するんだけど来られるかな?」
門前配布とは塾のチラシを下校する生徒相手に配る仕事である。
ポスティングと合わせて塾のコマーシャルの需要な手段であるが
私はポスティングも門前配布も大嫌いだ。
ポスティングは割り当てが来ると個人で業者を雇ってお願いしていたくらいだ。

これで決定打。

この塾で働くと教務以外の仕事もやらされそう。
断ることに決めるが、相手のペースで話が進んでしまう。
「金曜日に7時から授業をしてもらえるかな?大丈夫?」
思わず「大丈夫です」と言ってしまった。

まあ、いいや。明日電話でお断りをしよう。
理由は
「他社で正社員の仕事が決まりましたので」
これで行こう。この塾の募集はパートなので大丈夫だろう。

2社面接を受けたものの全くすっきりしない。
悩みが増えたくらいだ。
おとなしくして失業手当をもらうほうがましかもしれませんね。

こんな消極的な考えではいけない。
妻が帰ってきたら相談しよう。
どうせ
「パパは何を言っても自分が好きなようにしかしないでしょ」と言われるに決まっているのだが。

そこで改めてハタと考える。
私の「やりたいこと」とは何でしょうか。
何?
頭のグルグルのなかに新たな要素が加わってしまった。

家に帰ってメールを見るとライティングの案件依頼が来ていた。
テンションが下がっているので断るべきか。

いやいや、そんなことを続けていたらライターとしての道も閉ざされてしまう。

いやいやだったが承諾の返信。
少しは自分に圧をかけないと前に進まないのかもしれない。
そう考えたら学童保育の会社も話を受けるべきなのかもしれない。

今夜は頭の中のグルグルが止まらないだろう。

眠剤を飲んで安らかな眠りを楽しみたいものである。
明日の朝一番のフィーリングで決めてもいいかもしれませんね。

職探しの終わり

6月17日。
久しぶりに深く深く悩んだ。
採用してくれた学童保育の会社に行くべきかお断りをするべきか。

自分が精神疾患を抱えていることはオープンにはしていない。

また、鬱が発症した際に行けなくなったらどうしたらいいのだろう。

子供たちと遊ぶほどの体力が今の私にあるのだろうか。

ここで辞退してしまったら次のチャンスはないかもしれない。

大体この3つが頭の中でグルグル回った。

数少ない知り合いにも相談をした。
もちろん彼の答えはGOだ。
彼は私の今の治療法を否定している。
そもそも20年も治らないのは病院側に問題があるのではないのかというのが彼の主張だ。
確かにそうかもしれない。
20年の長きにわたって服薬してきたがよくなったという実感は一時的にはあるのだが長期的にはない。
治癒しているという感覚がないのである。
また、彼は「悩まず楽な方を選べ」とも言ってくれた。

今の自分にとって楽な方は「辞退」するだ。
だが、長期的にみてこれは楽な選択ではないと思う。

Twitterで知り合った方からもアドヴァイスをいただいた。
子供たちと触れ合うことで新鮮な経験ができるかもしれない。
そうとも思う。

朝からウダウダ考えているうちに夕方になってしまった。
もう時間はない。
決めろ。決めるしかないのだ。

アドヴァイスでも言われたのだが長期的に考えるのは止めよう。
試用期間でダメだと思ったら逃げたらいいではないか。
今さら逃げる回数を1回重ねたところでどうということはないはずだ。

思い切った。
学童保育の会社にお世話になることに決めた。

急いで先方に電話を入れる。
社長の明るく元気な声に救われた気がした。

「やってみよう」
いつでも逃げられる。
悲壮感など持つ必要はない。働ける場を与えられただけでもラッキーではないか。
私はツイているのだ。そう考えよう。

これで私の「職探し」は終わった。
4月中頃から始めて2ヵ月ほどで決まったことになる。
59歳という年齢を考えても本当にツイているとしか言いようがない。

長期的なことは考えるのは止めよう。
とにかく1日1日の積み重ねでどこまで行けるかチャレンジする。
ライターになりたいという夢は一時保留。

脱皮した気分。
古い皮を脱ぎ捨てた気分だ。
苦しいときはこの日記を読み返そう。

苦しくなる未来を予想して悩むのは止めだ。
もちろん明るい未来を安易に考えるのも良くない。

とにかく今。
今日1日に集中しよう。

こんな私に真剣にアドヴァイスをくださった皆様有難うございました。
私はおかげさまで前に進む決意をしました。

有難うございました。

おわり。


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