随所に主となれば立つところ皆真なり
出所:臨済宗 宗祖臨済義玄禅師 言行録『臨済録』一節「随処作主、立処皆真」
大志を抱く中年です!(👉自己紹介)
前回、小学生の息子(次男坊)の頭がどんどんよくなってて震えた話を書いた。
今日は、徹夜仕事しててふと思い出した、今年の8/15の終戦の日前後に、長男坊と靖国神社に行ったときのことの話。
長男坊は日本史を勉強しているので、教材では学びきれないものを一緒に感じたくて行った。
午前中に、二人で靖国神社で英霊に手を合わせ、遊就館で零戦や戦争の歴史を見ていろいろ話して見て回った帰りに、靖国神社内の靖國八千代食堂に寄った。旧知覧特攻基地の軍指定食堂でもあった富屋食堂で「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんが、特攻隊員に提供したと言われる玉子丼を食べるために。
去年、知覧特攻平和会館に行ったので、「特攻隊の人たちは、この玉子丼を食べたんだね」「あまくておいしいねー!」「鹿児島の醤油は甘いからかなー!」とか話しながら味わって食べた。
そのとき、ふと息子の頭の上の壁に飾ってある作品が目に飛び込んできた。
作品の説明(写真左下)にはこう書いてある。
この説明文章がしこたま印象に残った。
我が人生の主人公は、紛れもない私自身である。
私が私を生きずして誰が私を生きるのか。
ということで、徹夜仕事をしながらこの言葉を見返しながら、
家族寝静まる家で、夜中12時から朝の7時まででも、上に言われたことに束縛されず、主体性を持った「紛れもない私」として考え、力の限り仕事をしたので、1時間後の会議においても、一番自分が下っ端の会議室においても、真実の自分として「鮮やかな生」を全うできるだろう。
と思った。眠いっす。
今日もがんばりましょう。。!
(参考)壁に飾ってあった作品を家にも飾りたいと思ったが当たり前だけど無かった。違う作品ならあった。
臨済録。時代を超えて受け継がれる本は、リベラルアーツ的に読んだ方いいな。いつか読む。
続く