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「すぎる」がもたらすもの

何かにつけて、世の中は「負と不の解消」を目指し、ひたすら快適な暮らしを目指そうとする。もしかしたら、最後に、未来は、私達が頭の中で想像しただけで、もう実現する、そんな世界になっているかもしれないのだ。

1、「顧客サービス」とはどこまでか

日常生活の中で、何かを売る、買うという行為は、頻繁に起こる。其の中でも、由来は諸説あるなかで「お客様は神様」というフレーズが独り歩きしたことから、「お客様はもてなされる存在」という印象は強く多くの人に残されている。

そのことが、顧客に対する過剰なサービス合戦となり、「ここまでやるか」というレベルにまで、その範囲は無限に拡張しようとしている。

例えば、「無料包装」ぐらいは付随する直接的なサービスではあるが、そのうち、リマインダーサービスとして、誕生日や記念日を教えてくれたり、あるいは在庫を取り置きしておくなど、どんどん「思い立ったら即行動」ができるような状態に、消費の現場を通して人は「システム」の中に取り込まれているように思う。

でも、それは、人間が「生きる」上で、本当に必要か、という点で考えると、果たしてすべてが良いものとはいえないのかもしれない。

先の誕生日だって、たしかに「忘れないでおいてくれる」ことは、失態を回避することができるだろう。でも、そんな大切な日こそ、日々忘れることが特技の人間が「覚える」ことによって、価値や意味が生まれるようにも思う。

あるいは、「忘れてしまった」ということが、人間らしさそのものであり、また、そこからリカバリーする姿こそが「一所懸命」という姿勢と想いの強さを実感できたりもする。

だから、なんでもかんでも「顧客サービス」と言う名のもとに、売り手や造り手が、すべてを配慮していく世界は、本当につまらない。いや味気ない。そっけないものでしかない。

2、不器用で、不格好で、失敗でもいい

世の中の形とデザインにおいて「黄金比」なる美しく見える一定の比率や法則があるらしい。それは、現実世界において、多くの人を魅了しているのだろう。

でも、この世の中がすべてその「黄金比」でまとめられていたとしたら、私達はどういう想いを抱くだろう。

人間の顔だって、よく見れば、目の大きさや位置だって微妙に違うように、すべての人間は「違う」し「不格好」かもしれない。
それでも、この世に「生(せい)」を受け、苦手を克服したり、日々、睡眠を通していろんなことを一切合切忘れながら、また新たな一日を生きている。

そんな非効率の存在が、効率や美しさに淘汰されていく世界に、生きていく意味はあるのだろうか。

最近の「クラフトマンシップ」という言葉も、何か定型化される中で、結局のところ「無機質になった工業製品の象徴」に「人間らしさ」を取り戻そうとする1つのムーブメントにすぎないと思う。

でも、実際に行われていることは、素材を荒削りなものにすることや、リサイクル可能な製品を扱うだけで、真の意味での「クラフト」ではないのかもしれない。

「クラフト」とは、手芸品。工芸品。民芸品。のこと。

手を介して芸となる品物。
工芸だって、彫金や染め物など、美術的な工業製品をつくること。
民芸品はその民となる市井の人々の作品。

こうしてみると、クラフトは「一つとして同じものはない」はずである。だから、工場の工業製品に「クラフト」と名付けるのは、ある種の「まやかし」であるし、「偽装」とも言える。それは、レイコンマの世界でミスのない完成された「美しい工業品」であるからだ。

3,そろそろ「人間」のままでいたらどうか

私たちは、産業革命によって「動力」を経て、世の中がだいぶコントロール出来るようになってきた。そのことで、人間は地球の支配者、いや、技術を用いて工業を立ち上げ、あらゆるものを創造できる「神」のような錯覚に陥っているかもしれない。

それでも、人間は、自分だけの力、能力では、依然として大きく進化したわけではない。強いて言えば、座り作業が状態化したり、中腰などの、あらゆる日常生活や仕事の「身体的付加」が効率化、機械化されたことで、身長が伸び、ときに摂取カロリーが消費カロリーをオーバーして、メタボなる肥満を作り出したことぐらいだろう。

結局、「進化した道具」で、世界を制したような気になっているだけなのだ。
だから、いっそ、一切を脱ぎ捨てて、裸の人間としての能力に目覚めてみるといい。いかに体力の限界や、自然界のあらゆる危険から守られながら、人間はいきているか、ということを…。

これからのものづくりに必要なことは、「人」が人を介して実感できるモノの最適値を取り戻していくこと。すべてをキレイに、整列させることではなく、どこまで「手をかけて」、どこから「手を加えて」もらうか。

つくる人、うる人、かう人。みんなが適度に関わり合う「力加減」の最適化こそ、人間が生きる楽しみと喜びを実感できる「社会」を実現できるのだと思う。

いい加減、すべてをやってあげる「顧客サービス」を脱しませんか?
きれいに洗ってしまうことで、見えなくなることがあるのではないですか?

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