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文通にハマっていた日々のこと

思い立ったらいきなり行動する質で、突拍子もなく大きなことを決め周りを驚かせることがある。私のその性質が端的に現れたのが、プロポーズだ。

私は、夜中にLINEで前触れなくプロポーズしたことがある。
それだけならまぁ分からないでもないが、相手方(のちの夫)は、その時点で完全にただの友達だった。何なら、東京と宮崎という離れた距離に住み、年に2回しか会わない、友達。
とはいえ、好きな物や「こういうのはダセェぜ」という価値観がよく合うので、盆と正月には必ず2人で飲み、落ち込むことがあれば相談するというたぐいの友達ではあった。根拠なく、親友だと思っていた。

東京で数年働き色々思うところあり、地元宮崎に帰ることを検討し始めた流れで、
「宮崎帰ったらあの人と付き合えるじゃん!」
と、先方の意向完全無視の発想をし、深夜のプロポーズに至った。

当然、彼は大いに困惑していた。1ヶ月ほどの検討期間を経て、何と私の提案は採用された。人類よ、一歩踏み出す勇気を持とう。
すぐにUターン出来る訳でもないし、プロポーズした側として安泰な結婚生活のプランを提示する責任がある。ということで、東京で1年間働きつつ、転職に向けた資格試験の勉強をする日々が始まった。
夫もまた、某採用試験にチャレンジして数年経っていた。1年後2人とも正規の職を得ることを目標に、東京ー宮崎間の遠距離恋愛が始まった。

せっかくプロポーズ(仮)を受け入れて貰えたというのに、私は彼を大事にしなかった。遠距離の寂しさや試験勉強の辛さ、将来への不安を、嫉妬と不満にすり替えてぶつけた。後々夫に、
「俺の事嫌いなのかと思ってたよ」
と言われ、心底申し訳なく思った。

うっすらと、これはもう振られるかも分からんね……と思っていた頃、彼が
「文通をしよう」
と提案してきた。
「遠距離だからこそ楽しめることをしよう」
と。

嬉しかった。文章を書くこと、文字を書くことは苦ではなかったし、文具も好き。でもそれ以上に、「遠距離だからこそ」という発想をしてくれた事が嬉しかった。
私にとっては障壁でしかないものを、パートナー(仮)(危うい)は「楽しむもの」として捉えている。それがとても心強かった。

彼から初めて届いた手紙は、所謂普通のレターセットの便箋4枚分と、なかなかのボリュームだった。改めて仲良く付き合って行きましょうということと、最近読んだ本のことと、早く会いたいねということ。オードリー若林正恭氏の才能の凄さについて。ラブレターよりは手紙、だったと思う。
普段から無口な彼の中に、こんなに沢山の言葉が詰まっているのかと驚いた。彼がとても文章が上手い、ということにも。
私も腕をふるい彼にあて返事を書いた。
(アラフォー以上、何を書いたかはナイショなのさ〜って心の中で歌っていいゾ)

そのボリュームで、毎週1通やり取りした。
宮崎ー東京間では普通郵便は中1日かかる。月曜日に彼の手紙が届き、火曜日に返事を書き、水曜日の朝に投函したら、金曜日の夜、彼のポストに届く。

やがて私たちが交わす文通に、様々な「文化」が流入した。
2か月振りに東京で会った日、文具店で、当時発売されたばかりの、子供向けの万年筆を買った。プラスチック製で、1,000円程度のものだ。なぜ万年筆を取り入れたのか。おそらく、私が友人に貰った万年筆で手紙を書いたら、ずいぶん趣のある紙面になったからだったと思う。万年筆を買った数日後に彼から送られてきた手紙には、
「初めて使ってみたけど、この便箋、めちゃくちゃインクにじむ紙やったわ…」
という文章が、ぶよぶよの文字で綴られていたのが可笑しかった。
その万年筆は、インクの色を変えることが出来、夏には透明感のある群青色、秋にはハッとするような夕焼け色のインクを使った。文通をしていなかったら、一生万年筆用のカラーインクを買うことなどなかっただろう。

切手にも凝り始めた。次はミッフィーちゃんの切手が出るよとか情報をやり取りし、封筒に合わせて切手を使い分けるという技を覚えた。
LINEで、
「東京ではムーミンの切手は瞬殺で、売り切れてた」
「宮崎にはまだあったよ」
というやり取りも度々した。
お気に入りの切手を貼るときは少しだけ躊躇するが、しかしこの切手は数か月後にはひとつ屋根の下にあるのだと思えば、えいやぁと貼ることが出来た。

彼はレターセット選びが上手かった。「欲しいものなど何もない」と飛び出した宮崎の文具屋で、彼は、私が好きそうな(実際好きな)レターセットをたくさん見つけて、それで手紙を書いた。
私は彼ほどではなかっただろうが、鮮やかなレモンが描かれたレターセットを使った時は、梶井基次郎の「檸檬」をこよなく愛する彼がどんなリアクションをするだろう、とワクワクしながら投函した。

文通をしながら、気づいたことがあった。全ての手紙は、過去からの手紙である、ということ。
月曜日に喧嘩し、水曜日に仲直りをする。その間、火曜日に彼は手紙を書き、それは金曜日に届く。
火曜日の彼の
「そういうつもりじゃなかったんだよ」
「早く仲直りがしたい」
という言葉が、もう仲直りした私のところに届く。火曜日よりも一層、申し訳なさが募る。数日の時差が、過去からの言葉に別の重みを生んでいた。
2か月ぶりに会い、帰宅した直後の高揚の残る手紙が、寂しさが尾を引く水曜日に届き、笑ったり泣いたりした。

週一回の文通が50ターンに達するころ、2人とも正規の職を得て、私は宮崎に戻った。その2か月後に入籍した。結婚記念日は23日、「ふみの日」にした。仏滅だけど、どうでも良かった。時間や距離の隔たりを「楽しむもの」とした夫と、朝まで待てないと深夜にLINEした私の正反対さで、いろいろ、何とかやっていけるんじゃないかと思ったから。
今のところ、まぁ、何とかやっている。

残念ながら手紙沼からは抜けてしまったけれど、その名残りか、娘たちへのプレゼントやお土産にやたらとレターセットを買ってしまう。
「この間もレターセットもらったけどぉ……でも可愛いからうれしいよ!」
と、小学生に気を使われるしまつだ。
いつか彼女たちが、遠くにいる人とその隔たりを楽しみたいと思った時に活躍するのかもしれないが、それはきっと、もっと先の話。




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早時期 仮名子*文学フリマ京都9う-21
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