中東の歴史かんたんなまとめ イスラエルのはじまり①
中東史について書いてみる。自分の勉強のためと備忘録である。また、日々徹底抗戦のイスラエルを深く理解するためと、たまたま目にして下さった方々に伝わりやすく書ければ嬉しい。英語で学んでいるので、そのサマリーを数分程度で読める形でライフワークとして展開し、みなさんに伝えることが出来れば嬉しい。英語の方が日本語で学ぶより論理的でわかりやすいと思う。細かい部分は省きシンプルに大事な点だけをストーリーにしているが、初心者レベルの内容であり、インターネットに転がっている日本の資料と比較しながら、欧米と日本の解釈の違いなども見えれば良いと思う。
今問題のイスラエルの歴史のはじまりについて
イスラエルは4000年の歴史があるが、modern Israel近代のイスラエルは約70年の歴史と言えるだろう。しかし、古代、ユダヤ人はパレスチナ地域に何千年も住んでいたわけではない。132AD,Pal Kokba revoltバル・コクバの反乱によりユダヤ人はパレスチナから追放された。それにより此処アラブの外に出ていった。
日本の書き方:ユダヤ本国だけでなく、キレナイカ・エジプト・キプロス・メソポタミアなどのディアスポラのユダヤ人たちも、東地中海各地で同時多発蜂起を起こしている(キトス戦争(英語版) )。こういったユダヤ人の鬱憤が指導者を得ることで爆発したのがバル・コクバの乱であった。
その頃、シメオンという男が自分こそはユダヤ民族を救う救世主(メシア)であると言い始めた。これに対して当時のユダヤ教の精神的指導者ラビ・アキバ・ベン・ヨセフが支持を表明したことから人々の期待が一気に高まる。当時のユダヤ教思想の中に救世主待望論が持たれ続けていたのである。その救世主は政治的な指導者であり、人々を異民族の支配から解放してくれる人物であると人々は疑わなかった、と言われる(福音書には、イエス・キリストに政治的な指導者であることを求める人々に対し、それをたとえ話の形で否定するイエスの姿が描かれている)。シメオンは「星の子」(バル・コクバ)というメシア称号を自称するようになる。‹資料:ウイキペディア)
Old testament perspective 旧約聖書によればアブラハムは家長であった
It all starts with Abraham, the patriarch, who forms an agreement with them, extending his blessings. Borders of Israel are described as specific detail in the old testament. And this land is offered to the old Abraham and his decedents The boundaries of Israel are outlined in detail within the Old Testament, and this territory is promised to Abraham and his descendants.
旧約聖書のアブラハムはヘブライ人最初の家長であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で崇拝されている。聖書によれば、彼は神に召されて新しい土地に旅立ち、そこで新しい国を建国した。
日本の書き方:ユダヤ教の教義では全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされ、יהוה(ヤハウェ、ヤーウェなどと発音。日本語聖書では主に「主」と表記。ここでは最大公約数的に神と表記)の祝福も救いもアブラハム契約が前提になっている[1]。イスラム教ではイブラーヒーム(アラビア語: ابراهِيم, Ibrāhīm)と呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられている。(資料:ウイキペディア)
↑しかし…
こんなにややこしく書かなくても、
アブラハムは旧約聖書によればユダヤ教、イスラム教、キリスト教の上で聖人とされている
と言えばいいだけな気がする…
矢張り英語の方が覚えやすいわ。
確かに歴史研究者としてそんな単純に書くわけにはいかないのはわかるが、
一般人に理解してもらうためには簡潔に書いた方が良い。何かご意見があれば教えてください。
ブロンズ時代には数々の悲惨な目に遇う
Bronze age society that encounters deportation and captivity is by Assryans, Babylonians and Percians. ブロンズ時代、アッシリア人、バビロニア人、ペルシャ人に捕囚されるなど。
殆どのユダヤ人は中東の外に亡命している
ポーランド、リトアニア、ロシアまた大分後だがアメリカへ逃れ(後に社会的地位を築き大出世 e.g.ロスチャイルドなど)1800年代に戻ってきている
シオニズム運動
ハンガリーブタペスト出身のTheodore Herzlテオドール・ヘルツルというジャーナリストがanti-semitism反ユダヤ主義に対し、ユダヤ人は自分達の国家を持つべきだという運動を行った。Zionism。Hezlはユダヤ人が自分たちの故郷を持たない限り安心を得ることはできない、huddle around the synagoguesシネゴーグ(ユダヤの教会)に集まるべきだ。どこの国に行ってもユダヤ人は差別される。助け合い国家を建設すべきだと先導しzionismが出来た。
日本の書き方:ハンガリー生まれのユダヤ人ヘルツルは、ジャーナリストとしてパリに滞在中、ドレフュス事件に遭遇、フランス人が「ユダヤ人を殺せ」と怒号するのをみてショックを受け、ユダヤ人の国家建設の必要を痛感した。彼らは1897年スイスのバーゼルで第1回のシオニスト大会を開催、一つの政治勢力となった。(資料:世界史の窓)
どうしてヨーロッパで迫害され出ていくことになったのか?
それは各地で
反ユダヤ主義が強かったからである。
科学者がユダヤ人をあらゆる民族のピラミッド最下層に指定し、政治家がユダヤ人をが起こす社会問題についてあれこれ言い、金融業に就き(その仕事しか許されなかったからなのに)金を儲ければ嫉妬される等。1880年代にロシアで反ユダヤ主義が広がった
ユダヤ人の故郷はどこに作るべきか?
どこに故郷を作るか色々な考えがあった
例えば、マダガスカル、ウガンダ、ロシアの極東などの案もあった
イスラエルは入植に積極的だった
Palestine under the Ottoman empire はオスマン帝国の支配下であったが1000マイルも離れたイスタンブールで政治は行われており、それほど支配的でもなくfirst major influx from Russia が始まった。
Pogroms(ユダヤ人いじめ)のために
1880年代に沢山の流入が始まった最初の頃のユダヤ人は宗教的な集まりというよりもcultural identity of Jewishness文化的繋がりのユダヤ人集団であった
日本の書き方:ポグロムというロシア語は、「破滅させる、暴力的に破壊する」という意味を持っています。歴史的にこの言葉は、ロシア帝国のユダヤ人以外の市民が地元のユダヤ人に対して行う暴力的な攻撃を意味します。ナチスドイツでは、ユダヤ人に対する公然の暴力が許容されており、奨励さえされていました。ナチスのリーダーは、厳しい反ユダヤ主義の施策を打ち出すにあたって、このような行為が市民の「心の準備をする」のに役立つと判断したのです。たとえば、1935年9月にニュルンベルク法が布告される前の夏には、ドイツ全土でユダヤ人に対する暴力行為が頻繁に行われました。これらの行為には、シナゴーグの焼き討ち、ユダヤ人所有の家屋や企業の破壊、身体的暴行などが含まれていました。(資料:ホロコースト百科辞典)
おわりに
今荒っぽい攻撃を続けるイスラエルがなぜあそこまでやるのか、彼らを理解するには成り立ちについてもまず知るのが先決である。間違った解釈や、端折りすぎた部分についてご意見ありましたらなんでも教えて下さい。