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【山月記】虎になったことはあるか【読書感想文】
今回は小説・山月記の記事です。
小説を単独の記事にするのは初めてですが長くない記事なのでぜひ読んでみてください。
著作権切れで無料です。しかも短い!読む以外に無い。
まえおき
タイトルを知らない読者はいるまい。 学生時代、教科書で読み概要は抑えている方も多いのではないか。 私がこれだけ読み古された本作を紹介したいのには理由がある。それは大人になってこそ感じられる共感が描かれていると感じる為である。
かんそう
誰もが知っている李徴が虎になる話である。簡単におさらいしておこう。
エリート官僚だった李徴は詩人としての夢を捨てきれず職を辞する。しかし、詩人として鳴かず飛ばずのうちに妻子を養うこともままならなくなり、再び職に就く。同僚は肩を並べることも憚られるほど出世し以前の自分の部下にすらならない者たちが上司となる事が、如何にストレスとなったかは想像に難くない。やせ細り美男子であった面影も消え、ついには虎になってしまう。
この話は大人になってこそ、何かに打ち込み夢破れた経験を持ってこそ、味わい深いのではないだろうか。
敢えて口語的に言うならば、「自分には才能があると信じていたけど、どうやら一流には成れなさそうだ。自分のプライドと実力の矛盾に耐えられなくなって、おかしくなってしまいそうなんだ。」という事である。
この気持ちを表す作品だと私は考えている。
この気持ちを表すのに熟語やことわざではなく、物語を通して伝えたのが『山月記』なのだ。
もう少し続けると、旧友に会った李徴は虎になっても尚、自分のこの気持ちや境遇を詩を通して友人に伝える。
まさに『山月記』と同じ構造ではないか。
当然だが、私は中島敦と面識はない。そのため中島敦が抱いたこの感情が文学に対してなのかは分からない。
しかし、李徴が旧友に伝えたように、中島敦は私にその気持ちを自分の魂(作品)を通して教えてくれる。
だからこそ、私にとっての名作なのである。
また、詩人として生きられなくなっても詩を綴っている事が、プロとして活動できていない人間に対するエールのようにも取れる点も気に入っている。つまり、世の中のアマチュアに対して名を揚げられていなくとも、染みついたその行動(創作)は自然と出てしまうものだと伝えてくれているようにも取れるのだ。
これは些か勝って読みが過ぎるかもしれないがご容赦いただきたい。
このレビューを読んだアマチュアは『山月記』を読み、かの中島敦さえこの感情を持っていたのか、とモチベーションを上げて創作に狂ってくれる事を願っている。
さいごに
好きな本は山月記やこころです。
昔の作品って凄すぎるんですよね。
芥川もドンピシャで自分にハマった作品は無いですけど、とにかく上手い。
そして短い。
普段、縷縷綿綿とジャンプの感想を書いている身としては心に来るものがあります。
私のジャンプの記事は、毎週10,000~15,000字くらいです。
山月記は5,000字程度ですから、文才というものの恐ろしさが分かりますね。
山月記読んでみようかな、と思っていただければ幸いです。
この記事が山月記よりも長くなることはあってはならないと思うのでこの辺で終わります。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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今回の記事は、Reading Forestというサイトに投稿した感想を少し推敲したものです。
もし良かったらそちらのサイトもご覧ください。
おまけ:
縷縷綿綿とか言う仰々しい熟語を人生で使う事なんて無いと思ってました。