子どもの小学校の運動会に思うこと
先日、下の子の小学校の運動会を見に行った。中小企業診断士の2次試験前だろうと何だろうと、外せない大イベントだ。
私はいま、時々タヌキやカワセミやハクビシンが現れるという地域に住んでいる。
子どもの運動会は、都心近くと今のような場所と、両方経験した。個人的には、圧倒的に今の場所の運動会が好きだ。
まず何よりも、早朝からの場所取りという無駄なことをしなくてすむ。都心近くでは、学校の開門前に並んでおかないと狭い校庭でちゃんと子どもの姿が見える場所を確保できなかった。金曜日、仕事で帰宅が遅くなっても関係なしだ。
そういう環境も影響しているのだろう、その学校は親も子も競争意識が強かった。その雰囲気のまま、半数以上の家庭が競争を続けて中学受験に臨むことになる。
「ここは自分たちが子育てしたい環境とはちょっと違うな」と感じたことが引っ越しの大きな要因のひとつだった。いま住んでいる場所の学校は、私たちが遠ざけたいと感じている意味でのせわしなさとか競争感がとても薄い。校庭も広く、運動会の場所取りは無縁だ。私と妻は毎年、「校長の開会挨拶とか全校体操は退屈だからパスしよう」と申し合わせて途中から見に行くようにしている。それでも十分、競技を見たり写真を撮ったりできるスペースがある。本来、運動会はこうあってほしい。
運動会で行う種目は、昔からあまり変わっていない。徒競走、リレー、ダンス。とはいえ組体操はコロナ前、怪我の多発が報じられていた頃になくなった。騎馬戦はコロナでしばらく中止されていたが復活した。
私は子どもの頃、運動会が嫌いだった。体を動かすのは好きだが、ダンスや組体操で笛や音楽に合わせて皆で同じ動きをしなければならないのが苦痛だった。騎馬戦とか、小学校ではやらなかったと思うが棒倒しとか、動きの自由度が高い種目だけやればいいのに、と思っていた。
今年、子どもの学校で久々に復活した騎馬戦を見ていたら、皆が大人しくて驚いた。相手方の帽子を取ろうと積極的に仕掛ける組はほとんどなく、「騎馬散歩」みたいに校庭をテクテク歩き回る組ばかりだった。後で子どもに聞いたら「だって、無理に動いて帽子取られたり騎馬が崩れて失格になったりしたら嫌じゃん」と言っていた。それがいまの子ども世代の感覚なのか。あるいは上級生の騎馬戦を見る機会がなかったから、どう動くかのロールモデルを描けなかったのか。
そんな競技の様子を観覧しつつ、別学年の種目が行われている間は、子ども席を遠くからたまに眺めて自分の子どもがどんな風に過ごしているかを確認した。話の内容は聞こえなくても、友達と楽しそうにしていればそれでいい。
実は私にとって、毎年これを確認するのが運動会を見に行く最大の目的だ。徒競走や騎馬戦に精一杯取り組む様子も嬉しいが、学校生活を友達とともに楽しめていそうだなと、家では把握しきれない学校での素の姿を見ることができる。それが、親としていちばん自分の眼で確認したいことであり、今の私が運動会に託している最大の価値である。