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猫は、家の中の「憎めないトリックスター」である
うちに暮らすメンバーで唯一、寝不足と無縁なのは、猫である。1日のうち軽く15時間以上は寝ているように見える。朝も、昼も、夜も。
5年以上前、保護猫を迎え入れた。まだまだ若猫だと思っていたが、人間の年齢に換算すると、いつの間にかもう私と同年代だ。でも暮らしぶりは大分と違う。たまに私が家で仕事をする日に、それがくっきり表れる。時にあくせくと、時にペコペコと働く人間。その近くで我関せずと寝る猫。心の平穏はどちらが上なのだろう。
そんな猫の寝顔を見ていたら、彼がうちに来てから5年以上、どんな良いこと、困ったことが起きているのかが頭に浮かんできた。私にとっては猫もある意味子どもみたいなものである(同年代だとしても)。だから、人間の「親視点」で考えてみる。
まず、困ったことから。
なんと言っても最初に来るのは、家が傷つくことだ。うちは古い家だから、猫が多少傷つけるのは仕方ないと覚悟していた。でも、予想以上だった。
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特に障子。日本家屋には欠かせないものだが、あちこちが爪でやられている。
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さらに、子どもとの合わせ技が。子どもが家の中で遊んでいて開けた穴を、猫が大きくする。障子は外から見えるから、ほんと困る。
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柱も場所によって結構やられている。猫用の爪研ぎをいくつも家の中に置いているし、爪切りもしているのだが、どうしても柱でゴリゴリやりたくなるときがあるらしい。
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家の資産価値を重視する人や、常に整理整頓、ゴミも落ちてないキレイな家を保ちたいという人には、猫はあまり適した動物ではないと思う。
いまだにちょっと目を離すと食卓から魚をかっさらっていくのも、困ったものである。海辺育ちではないはずなのに、なぜか焼き魚が大好物だ。今朝も危うくシシャモを奪われるところだった。何度叱っても、しっかり餌をあげていてもこれはなおらない。
一方で、猫と暮らしてよかったなと思うこともある。「どうにも憎めないトリックスター」のような役割を果たすのだ。
自分勝手でマイペース、でも気まぐれで擦り寄ってきたりする猫が家の中にいることで、親子関係とも兄弟姉妹関係とも違う、「振り回されつつもほんわかとする気持ち」が生まれる。この感覚は、哺乳類でもウサギやハムスターなどの小動物や、主人に忠実な犬などでは生み出せないものだと思う(どちらがより良いかという話ではない)。
うちの子どもたちは猫が大好きだ。まったく思い通りにならないけど愛おしいという気持ちを子どもの頃から抱いたり、生き物のうんちは臭いし誰かがそれを処理しなくてはならないということを体感できたりするのは、貴重なことではないかと思う。
また、子どもが反抗期に入ると「親には反抗するが猫には素直」という姿が現れる。うちの猫はリビングを居所にしているから、撫でたりするには子どももそこに居なければならない(無理に自分の部屋に連れて行っても猫はすぐ逃げ戻ってくる)。だから、親に不機嫌そうな声でナマイキな口答えをした数分後に、寝転んで猫と遊んでいたりする。その様子を見ると親としては子どもも猫も可愛く見えるのである。
猫は、人間の親という私の視点からすると、「うわっまたこんなことやられた!」と度々困りつつも、日々を微笑ましくしてくれる存在だ。夜帰宅したとき、たまに玄関まで出てきてくれるのも今となっては猫だけだったりする。
いずれ子どもが学業を終えて巣立ったら、親よりも猫に会うために帰省してくるようになるかもしれない。そんな先々のことを想像しても、猫は一緒に暮らすメンバーとして、悪くない。