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めんどくさがりの生態、めんどくさいと思っててもいいじゃない。

こんばんわ。
前回、面倒くさい事柄に対してどうアクションするかについて書きました。
今日は前者の話をします。面倒くさい要因の排除
面倒くさいにも色々種類がありますね、そんなこと意識したこともなく、ただ”面倒くさい”と思っていましたが、本質は色々あるんだなぁと気付かされました。

”誰しも自分から積極的にやろうやろうとする事柄に対しては直ぐに行動を起こす。でも、やらなくてはいけないけど、何か(それも自分の嫌な)の要因があって、その事柄に対してめんどくさい。と思ってしまう。やるにはその要因を排除、または重い自分の腰を上げる。今回は後者の話です。どう、自分のマインドを変えるか。”

前回の記事で、面倒くさいと思う要因のひとつに”効率的にやりたい”ということを書きました。わたしも日々を効率よく、気分良く過ごしたいと思っています。
例えば、”会社の書類を取引先に送る”という事柄に対して、わたしの会社は、郵送で、宛名は手書きです。いいか悪いかは置いておいて、わたしが思うことは
・メールでいいじゃないのか
・宛名プリントのほうが早いしきれいでは?
とはいえ弊社はそこそこ古い会社で、まぁまぁ頭でっかちの考えの会社です。こういった事柄でも、(上司は”うん”と言うかもしれませんが)、やっている人が、今さら他のやり方に変えたくない。といいます。
あくまでわたしは、メールや、宛名プリントのほうが効率が良いと思っているので、手書きなんて面倒くさいと思っています。ただ、今まで手書きでやってきた人はプリントの方が面倒くさいのです。

こういったことは家事にもいえることで、例えば食洗機だって、食器を入れたら自動的に洗ってくれるし、楽だし効率的。と思っている人もいれば、食器を入れるまでが面倒くさくて手洗いのほうが楽。と思っている人もいます。(これはわたしと母の話です)

自分が面倒だと思うことは他人には面倒ではないことがありますが、わたしの基準はより多くの時間を節約できるかで考えています。

とはいうものの、自分の考えを人に押し付けると、それはそれで今度は人間関係がややこしくなって、それこそ面倒くさい。

言い方も重要になってきますよね。以前のわたしは、建前というものが嫌いで、思ったことをそのまま理由と共に相手に伝えていました。そのほうが時間も無駄にならないし、効率的だと考えていました。(建前の過程がすでに面倒くさい)固定概念のある方は当然却下します。わたしの意見なんて耳を傾けもしません。し、その後の関係もあまり良くなりそうにありません。余計に面倒くさくなりますね。
それから、話し方、伝え方を変えて、多少建前も混ぜつつ、周りもまきこんで、社内のやり方(ささいなことですが、悪しきルールとよんでいます)を変えていきました。面倒くさがりでもこういうところは動きます。若い社員が増えたのも大きかったのだと思います。今では、わたしは本質的にはこうなので社内では(一部の人を除いて)あまり反感を買わないようになりましたが、当時は”なにいってるんだこいつ”と思われていたと思います。(田舎では年若い女なんて、年長者に従っておけばいいという考えの方が多くてですね)

田舎だけではないと思いますが、そういった意味のわからない(自分基準)ルールやら、風習は、わたしにとっては”面倒なことにわたしを巻き込んでくれるな”という考えがものすごくありました。面倒くさがりだけど、もっと面倒になるのは避けたいので、いろいろ策を練って生きています。ただ、忘れてはいけないのは、その習慣や、ルールは”なにか理由があって作られた”ということ。その理由やらをクリアにしていけば意外に単純な事案ってあるものです。ただ単に、昔からやっているものだから、もありますし。

結局の所、自分のためなんですけどね。自分の居場所を全力で改善、プライベートは怠惰をするために全力で努力します。利己的だなぁ。

また一つ自分を客観視できました。

また明日書きます。


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