一人のほうが気楽だと思った過程2
アラサーの田舎在住の女が、”なぜ一人の方が気楽になったか”、について吐き出したものです。最近自分の感情がわからないので(好ましいやこれは嫌だがわかる程度)自己整理のために書いています。
ごんばんわ、続きが転職編だと言ったが、あれは嘘だ。少し寄り道する。
ダイジェスト:幼少期から高校までは特に普通に人付き合いができていたし、むしろ一人が嫌だった。田舎という狭い世界で生きていたからだと思う。人見知りはするも、人の話に合わせるのは得意な方だし、ノリもいい(中身はからでも)と思っている。
母との関係:わたしの生まれ育った家庭では各自個々の部屋や仕事場があり、食事が済めば各自ひきこもるような家族だった、朝もバラバラだ。(これは友達に”人といるのが息苦しい”と相談をしたときに友人は大家族で育ったのでそんなこと感じたことないと言われゆえの考察、育った環境)
母は好きだ(正確には好きだった、今も大切)。無償の愛を与えてくれるのは彼女だけだし、なにげないことでも気にかけてくれる。ただ、母娘という関係じゃなかったら友達にはなっていないタイプだと思う。ウマが合わない。一緒に生活していた頃は生活時間帯や、その時思っていることを共有できていたので、共通の話題が豊富だった。だから会話も弾んだ。趣味などは影響はされども基本的な価値観は正反対だったように思う。服で例えると、母は派手な柄や、鮮やかな色を選ぶような気がする、反対にわたしはダークトーンでまとめるタイプ。派手な服も嫌いじゃないし、もちろん人それぞれであってそれでいい思う。あくまで例えだ。
なので、離れて暮らしてみると基本的に話は合わない。一人暮らしで自分のペースができてきたわたしの家事事情や生活ペースもあわない。キッチン事情は全く合わなかった。母は効率的なことより新しいものを使うことに抵抗がある。食洗機を使えばいいのに、手で洗ったほうが早いなど。その気持ちもわからないでもないし、どう時間を使うのかはその人次第なので。別にいい。文句があるならわたしがする、が実家の事情である。
母と話で盛り上がるのは地元の共通の話題ぐらいだ。そのうち彼女は彼女、わたしはわたし、と線を引くことになる。よく友達親子のような関係を聞くけど、憧れはあるがなれそうにもない。恋愛の話なぞ一度だってしたことがない。
原因の一つに、わたしは自分をさらけ出すのが苦手だ(たとえそれが家族であっても)、自分の中だけにとどめておきたいことは誰しもあると思う。それが人よりも強固だったのだろう。(人を信用できないからかなぁ。家族なのに?自己完結がしやすいのだろうか) 思い返せば、たしかに中学生のころの、よくある、”誰にも言わないでね”で恥ずかしい話を拡散された覚えはある。それからいじめに発展した。でも別にトラウマのような大層なことにはなってないし、”あぁあったな”ぐらいの感覚だ。
20代の頃のわたしは”自分と気が合う人がいたら”付き合うスタンス。随分上から目線ですね。(自分から理解しようと多少は努力する、自分をさらけ出さないのにも関わらず、謎のプライドで”わかってもらえないのね、じゃぁいいわ”。)改めて文字にすると引いた。
とはいっても、今もそんなに変わってないのかも知れない。自分の価値観をゴリ押すことはないけど、”わたしはこういう考えだよ、こう思ったからこうしたんだよ”というふうな主張をするようになった。当たり前だけど言葉にしないと伝わらないし、みんながみんなわたしの意図を汲んでくれるわけはないし、同じ時間をある程度共有していない限り、正しくその人の意図は読めない。
その反面、自分のことなんて、他人には分かりっこないと思ってしまう。これまでの人間関係を通して(たいして多くもないが)、自分をわかってほしい気持ちが徐々になくなってきてしまった、結局は自分だろと。最後は自分で決める、人に任せられない(人のアドバイスであまりいい思い出がない、結局は自分で1から調べたし自分で決めた。)
”あなたはあなた、わたしはわたし。それでいいじゃない、関係ないならほうっておいて、そっとしておいて”で自分の居心地の良い箱庭に閉じこもっているのが現状。結果一人が気楽。わたしにとっての一人でいることのメリット・デメリット、捨てたこと、価値が変わったこと、やらなければいけないこと、人と話すことによって揺れ動く感情の振り幅、それに伴う見栄や無意味な時間、購買欲求についてはまた書きたい。
人にわかってもらいたい承認欲求がないわけではないけど、(認められたそれなりに嬉しい、あたりまえだ、noteでのスキやフォローはすごく嬉しいです。みなさんありがとうございます。) ということは、誰かしら人にわかってもらえるのは嬉しいし、満足感がある。まわりにわかってもらいたいと思う人があまりいないのかな、そんなことないと思うんだけどなぁ。正直そのあたりが自分でよくわからない感情。結局のところ自己満足で生きています。考えるのを一旦放棄して、自分が満足したのならそれでいいじゃない、と思っている。そしてまたぐるぐる考える。
これまでのたいして広くもない人間関係で思ってきたことなので今、noteで発信しようと思い、書いています。
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