#1『おもしろい人』って何だろう。
『おもしろい人』って、何だろう。
ある日彼女にこんなことを言われて、別れを告げられた。
僕は恋愛に対して多少人よりドライなのでそこまで大きなショックはなかったけれど、「自分がおもしろいか否か」という点に関しては以前からもやもやとした悩みのようなものを抱えていた。それを彼女のおかげで今回言語化してみようと思えたのだから、感謝を述べたい。
あなたの身の回りで、『おもしろい人』を思い浮かべてみて下さい。ここではお笑い芸人的な『ギャグや話が面白い人』ではなく『人間的におもしろい人』で考えてください。
まぁたぶん、こんな事一意に定まることはないんだろうけれど、僕の定義する『おもしろい人』は『何かにときめいている人』なんだと思います。
例えば、趣味。趣味っていいですよね。趣味について語る人の目はいつもキラキラしている。暇があったらそれに時間を費やしたいと思える、そしてそれを行う前は楽しみに胸を弾ませ、最中は心躍り、終わった後は充足感や幸福感が体を包む。趣味を持っていて、それを人に自信を持って表現できる。そんな人に会ったら僕は、「おもしろい人だな」と思う。
僕の知り合いに、おもしろい女性がいる。彼女が激しく吹雪く雪景色をみて言ったことは、何だったと思う?
恐らく気体の分子が飛び交う様子のことを指しているのだろうけれど、普通そんなこと思う??僕が「きれいだなぁ」で止まっている間に。
僕の知り合いに、おもしろい男性がいる。彼は偶然関わることになった茶道の先生が言った言葉に感化され、その場で先生の弟子になってしまった。今でも定期的にその先生の下に足を運び、マインドフルネスの一環として茶道を学んでいるらしい。そんなことある?僕がお茶を飲んで、「心安らぐなぁ」と感じている間に。
キリがないので最後の例にしよう。彼はある日、サウナにはまったとのこと。確かに僕も銭湯に行くときには必ずサウナに入るから、気持ちは分かる。そんなことを思っていたら、彼はある日急にテントやストーブを買いだした。何をするのかと思ったらある日それらを河原に組み付けて、簡易的なテントサウナを作った。河原でやった理由はその後飛び込んだら気持ちがいいかららしい。意味が分からない。銭湯行きなよ。
彼らはすべて僕の中では『おもしろい人』だ。彼らは雪に、茶道に、そしてサウナに、ときめいていた。別の言い方をすれば、自分の感性を爆発させていた。
何かにときめくことのできる人とは、事象に対して人とは違う見方をすることができる人だと思う。彼らは、自分の世界を持っている。世間で浸透している言葉で表すならば彼らは表現者、アーティストといったところだろうか。アーティストとは別に絵や音楽だけに限った話ではないのだと思う。物事を人とは少し違う視点でとらえ、そこに新たな世界を作り出す。その時のアウトプットが絵なら画家、旋律なら音楽家、ストーリーなら小説家、お菓子ならパティシエ、理論や数式なら学者、新たな市場なら起業家。
成功するアーティストがなぜ人の心を動かすことができるのか。それは彼らが対象に本気でときめいていて、なおかつそれをアウトプットするのがとても上手だからだと思う。
ときめきはその人のそれまでの経験や思考プロセス、ほんの一瞬の感情の機微によって変化するから、人と全く同じときめきを感じることは恐らくできない。でも、工夫すれば同様のときめきをいろんな人に共起することができる。アーティストの作品に触れた人間は往々にして、ときめきを半強制的に感化される。自分一人では見つけることのできなかったときめきを、アーティストが表現してくれることによって部分的にでも見つけることができるのだ。
時々、映画や小説、音楽などに感動し涙を流すことのできる人がいる。そういった、俗に言う『感性が優れている人』はアーティストとまではいかなくても、アーティストのアウトプットするときめきに対する理解度が人よりも深いのだろう。だから人よりも多くのときめきが共起され、そこに心が動かされる。
ここからは、少し自分語り。
僕には、趣味がない。昔は本やゲームが好きだった気がするけれど、今はもう、たぶん好きじゃない。昔から映画や音楽を見て泣いたこともないし、素晴らしい芸術作品に触れて立ち尽くした経験もない。
多分、余裕がないんだと思う。日々自分にのしかかる責任やタスクに追われて、事象にときめいているほど心に余裕がない。ときめきというのは、心の中にある余白にすっぽりとハマる何かを見つけることだと思う。ここで大切なのは、『穴』ではなく『余白』であるということ。心に空いた穴は埋めるべきもの、概念で言えばマイナス。心の余白とは空けておいてもいいもの、概念で言えばゼロだと言えよう。僕には今その余白がないから、ときめけない。
そんな自分が、少し寂しく感じた。僕は、少なくとも大学という狭い世界の中では大抵の人より優秀で、大体のことは人並み以上にこなすことができる。でも、何も生み出せない。なぜなら僕は、何かにときめくことができないのだから。人にときめきを共起させることなんて、できるはずもないのだから。
人は僕みたいな人間のことを『無趣味』だとか『没個性』だとか『仕事人間』だとか、そんな風に言う。そんな僕は、『おもしろくない人』だ。