朗読に不適な『魂の暦』第38~52週
2019年に翻訳したものを2020年になって全体の一貫性を保つために推敲中です。以下はまだ未推敲です。
復活祭後;第38週、1912年12月22日~12月28日
Weihe-Nacht-Stimmung、聖夜の雰囲気
Ich fühle wie entzaubert
魔法を解かれたかのように私は感じる
Das Geisteskind im Seelenschoß;
魂の膝の中に霊児を;
Es hat in Herzenshelligkeit
心の明るみの中で
Gezeugt das heil'ge Weltenwort
聖なる世界語は作り出した
Der Hoffnung Himmelsfrucht,
希望という天界果実を、
Die jubelnd wächst in Weltenfernen
それは歓喜しつつ世界遠方で育つ
Aus meines Wesens Gottesgrund.
私の存在という神根底から
まず「私は霊児を感じる」が文の骨格です。その霊児を私の魂の膝の中に感じるのです。既存の翻訳では「膝の中」というあまり詩的ではない語を避けて「胎内」としている場合が多いのですが、クリスマスです。クリスマスに「胎内」はありえません。
次の3,4,5行目のドイツ語では不思議なことが起こります。3行目はEs(それ)で始まります。ここまでを普通に読んできますとこの Es は中性名詞の代名詞で、2行目の霊児を代行していると捉えます。すると、3,4行目は「それ(霊児)は心の明るみの中で聖なる世界語を作り出した」という意味として解釈します。方向としては「霊児が世界語を作る」という関係です。ところが5行目に入りますと「天界果実(Himmelsfrucht)」が現れ、これが文法的にどこにも繋がらなくなってしまいます。ちなみに、「der Hoffnung」は2格で天界果実を修飾しますから、いわばおまけです。
この部分を文法的にきちんと繋げるためには、3行目のEsを仮の主語と解釈し、「世界語が天界果実を作り出した」と捉えなくてはなりません。3,4行目では霊児が世界語を作る関係と思われたものが5行目で逆転して世界語が天界果実を作る関係になります。
6,7行目は天界果実の成長の方向性を示します。それは世界遠方で育ちますし、その根源は私の存在であり、その私の存在が結びついた神根底なのです。
復活祭後;第39週、1912年12月29日~1月4日
An Geistesoffenbarung hingegeben
霊開示に身を委ねつつ
Gewinne ich des Weltenwesens Licht.
私は世界存在の光を勝ち取る
Gedankenkraft, sie wächst
思考結果の力、それは育ち
Sich klärend mir mich selbst zu geben,
自らを私に明らかにしつつ、自らを私に与える
Und weckend löst sich mir
そして目覚めさせつつ私へと自らを解き放つ
Aus Denkermacht das Selbstgefühl.
自己感情が思考者威力から。
最初の2行の骨組みは「私が世界存在の光を勝ち取る」で、受け取る当たって私は「霊開示に身を委ねている」ことになります。この「身を委ねる」という表現からは、このときの私の意識が明確ではなかったことが感じ取れます。
第3,4行の骨組みは、「思考結果の力」を主語に、それが育ち「自らを私に与える」になります。
そして、第5行では主語が「思考結果の力」のままか?というニュアンスを残しながら、「目覚めさせつつ私へと自らを解き放つ」と続き、最後に解き放つのが自己感情であり、しかもそれが「思考者威力」からの開放と明かされます。
ここでは「思考者威力」という風変わりな訳語が登場しますが、これはDenker(思考者) とMacht(威力、存在することで影響を及ぼす力)を組み合わせたシュタイナー造語の直訳です。既存の翻訳でこのDenker=思考者のニュアンスを訳しているものはありません。ここではそれについて考えられる可能性を述べておきます。
自然界の森羅万象は宇宙的である「考え(思考結果)Gedanken」に沿って創造されますし、これは第3行目に登場します。ちなみに、創造に必要な諸力もすでにその「考え」に内包されています。私たちの思考はそうした宇宙的考えの写しに過ぎず、そこには森羅万象の法則性はあるものの創造の力は失われています。
さて、この宇宙的考えも考えられた産物ですから、それを考える思考者が存在しますし、それは霊界の高次の領域に属しています。私はこれが第6行目の「思考者Denker」という表現になっていると解釈しています。
さて、人間がそうした高次の思考者と一体になるためには完全なる帰依が必要ですし「私」的要素はすべて滅却しなくてはなりません。ところが、そこでの体験を元に地上界で何かを実現していこうとするなら、そうした高次の存在とは離れ、自分に戻る必要があるのです。その意味でこの第39週の詩は霊界の高次の存在と一体にあった後の経過が表現されていると考えています。
第3行目では「思考結果の力」について述べられます。森羅万象を創造しうる宇宙的考えが育つのです。そして宇宙的考えの力を私に明らかにしてくれ、さらにそれ自身を人間である私に与えてくれます。人間はいわばこの力を委ねられ、自身の芸術的創造力を駆使して具体的に何かを創造していくのです。
復活祭後;第40週、1913年1月5日~1月11日
Und bin ich in den Geistestiefen,
そして私は深霊にいる、
Erfüllt in meinen Seelengründen
私の魂根底において満たす
Aus Herzens Liebewelten
心の愛界からの
Der Eigenheiten leerer Wahn
自己固有性という空虚なる妄想が
Sich mit des Weltenwortes Feuerkraft.
自身を宇宙(世界)語の火力で。
1行目は、「今、私は霊の深いところにいる」という状態の説明だけです。
2行目以降の骨組みは、「妄想(第4行目)が、世界語の火力に、満たされる(2行目)」となります。そして「妄想」は「空虚」で、「自己固有性」と言えるものといった装飾が付きます。
また「満たされる」の状況として、「心の愛界からの魂の根底」において満たされます。つまり、3行目の「心の愛界からの」は魂根底の出所と解釈しています。誰の魂もその根底は愛の世界を起源としているというのは、美しいイメージではないでしょうか。
さて、この週で私は霊界の深みに達し、まず自己固有性など空疎であると知り、そこに宇宙語の火力を受けます。自己の固有性が空疎であると言っても、人間が無個性だと言うのではありません。むしろ、各人がどのような霊性と親和し、どのような霊性を受け止めるかということによって個性が生じると言えるでしょう。私を満たす霊性が私を築いていくのです。これはある意味では聖母マリアの存在と似ているでしょう。マリアはイエスを身ごもるにふさわしい女性であったという意味で、確かに受胎以前も高貴な人物であったかもしれません。しかし、マリアがマリアであることの本質は、マリアがイエスを身ごもった点にあります。高貴な存在を受け入れることでマリアはマリアになったのです。それと同様に、誰しもが自分と結びつくべき高貴な霊的なものを受け入れるなら、その意味で「その人」になるのです。そして、ここで受け入れるのは「世界語の火力」です。宇宙進化の土星紀がトローネの熱から始まったように、私たちはここで「火力」に満たされるのです。
復活祭後;第41週、1913年1月12日~1月18日
Der Seele Schaffensmacht,
魂の創造威力
Sie strebet aus dem Herzensgrunde,
それは心根底から(以下の行の内容を目指して)努力する、
Im Menschenleben Götterkräfte
人間生の中で神々諸力を
Zu rechtem Wirken zu entflammen,
正しい働きへと点火すること、
Sich selber zu gestalten
自分自身を形成すること
In Menschenliebe und im Menschenwerke.
人間愛の中、そして人間作品の中で。
前週は魂根底が宇宙語の火力で満たされました。それに続いて今週は「魂の創造威力」が主題となります。それが心根底から2つのことに力を注ぎます。
人間生において、つまり日々の活動の中で神々諸力を正しい働きへと点火すること、
魂の創造威力そのものを、人間愛と人間作品の中に盛り込んで形成すること
の2つです。
この第41週の内容は説明の語を要さないくらいシンプルではないでしょうか。
復活祭後;第42週、1913年1月19日~1月25日
Es ist in diesem Winterdunkel
この暗冬の中で
Die Offenbarung eigner Kraft
自身の力の開示とは
Der Seele starker Trieb,
魂の強き伸び芽(衝動)である、
In Finsternisse sie zu lenken
(その衝動の内容は)暗闇の中に開示の光を当てること
Und ahnend vorzufühlen,
そして予感しつつ事前に感じること
Durch Herzenswärme Sinnesoffenbarung.
心熱を介して感覚開示を
1行目のEsは仮主語で、場としての状況を「この暗冬の中で」と説明しています。前半3行は第1行目のistを動詞を核としていて、その3行の骨格部分を多少の修飾を含めてまとめると「自身の力の開示は、魂の強き伸び芽である」になります。
そして、3行目以降に伸び芽(衝動)の内容が2つ描かれます。
一つは暗闇の中で開示をコントロールすること、もう一つは心熱を介して感覚開示を予感しつつ事前に感じることです。この時点では「感覚開示」はまだ現れていません。まだ芽生えにすぎません。双葉を見てそれがどのような花に展開するのかを想像するように、魂根底で火として受け取った世界語(第40週)がどのように展開しうるかを感じ取りますし、そのためには自らの心の熱が必要になるのです。
復活祭後;第43週、1913年1月26日~2月1日
In wintrelichen Tiefen
冬的な深みの中で
Erwarmt des Geisetes wahres Sein;
霊の真の存在が温まる
Es gibt dem Weltenscheine
その真の存在は世界仮象に与える
Durch Herzenskräfte Daseinsmächte;
心力を介して実在威力を;
Der Weltenkälte trotzt erstarkend
世界冷にもかかわらず、(次行を)強めつつ
Das Seelenfeuer im Menscheninnern.
魂火を人間内面で。
第43週の内容は比較的理解しやすいと思います。
それでも特に注目したいのは第2行目のSeinと3行目のWeltenscheinの対比です。Seinとは存在そのものであり、それに対するScheinとは見かけだけで真の存在ではないものを意味します。つまり、霊の側はリアルな存在であり、物質界(世界)の。は仮象です。その仮象に実在威力を与えてくれるのですが、それを仲介するのが心力です。この状況をイメージしますと、宇宙における人間の役割の大きさが伝わってきます。そして、冷たい世界の中で、魂の火は強まっていきます。そう、人間は何らかの霊的真実を認識したとき、その実現に向けて燃えるものです。
復活祭後;第44週、1913年2月2日~2月8日
Ergreifend neue Sinnesreize
新たな感覚刺激を掴み取りつつ
Erfüllet Seelenklarheit,
魂的明晰さが(最終行の創造意志に)満たされよ、
Eingedenk vollzogner Geistgeburt,
成し遂げられた霊誕生を思い、
Verwirrend sprossend Weltenwerden
もつれながら世界生成が伸びつつ
Mit meines Denkens Schöpferwillen.
私の思考の創造意志によって(満たされよ@2行目)。
第31週ではぼんやりとしたものになり、37週には闇となった「感覚」が42週で開示へと向かい、44週では「感覚刺激」として人間に作用し、人間はそれを掴み取ります。第2行目から5行目の文の骨格は、「魂的明晰さが私の思考の創造意志に満たされよ」です。そしてこの部分にはルドルフ・シュタイナーの認識と危機感が現れています。現代人は自然界における創造を「自然が行っている他人事」と感じ、せいぜいそれを研究対象として認識しようとするくらいです。しかしルドルフ・シュタイナーはそうした自然創造に人間が参与しているし、そこに人間が力を注ぐ必要があると認識していました。現代人はすでに内的に自然と分離してしまっています。その点についての認識を改め、世界創造に寄与していく気概が求められています。
復活祭後;第45週、1913年2月9日~2月15日
Es festigt sich Gedankenmacht
思考結果威力は確かなものとなる
Im Bunde mit der Geistgeburt,
霊誕生との結合において、
Sie hellt der Sinne dumpfe Reize
思考結果威力は感覚のぼんやりとした刺激を明るくする
Zur vollen Klarheit auf.
まったき明晰さへと。
Wenn Seelenfülle
もし魂的湧出が
Sich mit dem Weltenwerden einen will,
世界生成と一体にならんとするなら、
Muß Sinnesoffenbarung
感覚開示は
Des Denkens Licht empfangen.
思考の光を受け取らなくてはならない
またもや「思考結果威力」などというとんでもない日本語で始まります。何回も述べますが、この「思考結果」というのは人間の思考の結果だけではありません。精神界そのものが考え出した結果、つまり森羅万象の諸法則であり、ここではその森羅万象を実現する威力の方にフォーカスされています。この思考結果に存する威力は宇宙思考においては非常に明確ではあるものの、人間ではその存在を自覚すらしていない人がほとんどです。それでも、霊誕生とのつながりでそれが確実なものになります。
3、4行目ではその思考結果威力がぼんやりとした感覚刺激を完全な明晰さにもたらします。そもそも感覚刺激の側からは諸法則といった霊的なものはまったく伝わってきません。その意味で「ぼんやり」していますし、けっしてそれ自体で明晰になることはありません。明晰さを得るには思考の側からの働きかけが不可欠です。霊の側から生じた思考結果威力には前にも述べたように森羅万象の法則性も含まれますから、外界から受け取った感覚刺激を適切に意味付けることができるのです。
4行目から8行目ではまた別な側面が語られます。世界創造には人間の参与が不可欠ですし、そのためには人間の魂的活動が必要になります。しかし、この活動も闇雲なものであっては無意味です。世界創造、世界生成と一体となり、それに資するように働かなくてはなりません。ちょうどゲーテが実際の植物を観ながら、形成法則に従ったかたちで内的に植物を形成したように、感覚に開示するもののなかから法則的なものを思考の力によって取り出さなくてはなりません。
復活祭後;第46週、1913年2月16日~2月22日
Die Welt, sie drohet zu betäuben
世界、それは(2行目)を麻痺させようと脅かす
Der Seele eingebor'ne Kraft;
魂に生まれ持った力を;
Nun trete du, Erinnerung,
ここで現れ出よ、記憶よ、
Aus Geistestiefen leuchtend auf
霊深から照らしつつ
Und stärke mir das Schauen,
そして私を観ることにおいて強めよ、
Das nur durch Willenskräfte
その観ることとは意志諸力によってのみ
Sich selbst erhalten kann.
自身を保つことができる。
この第46週では内と外とで一種の緊張関係が生じます。外界である世界が魂に生まれた力を麻痺させようと脅かすというのです。外界では春先の花が咲き始め、人間は外界にばかり気が向くようになる可能性があります。それが度を過ぎますと、内からの力が圧倒されてしまいます。
そこで記憶を召喚します。霊深から上がってきて内的に明るさをもたらすことを願います。そして「観ること」を強めることを期待します。これは内的支えがないと、どうしても外界に引っ張られ、「目を奪われる」状態になりがちなのです。そうではなく、外界を観つつも、そこでの生成に参与する力を持たなくてはなりません。そしてそれは意志の力によってのみ行うことができるのです。
復活祭後;第47週、1913年2月23日~3月1日
Es will erstehen aus dem Weltenschosse,
世界母膝から発生しようとしている、
Den Sinnenschein erquickend, Werdelust.
感覚仮象をリフレッシュさせつつ、生成快が。
Sie finde meines Denkens Kraft
生成快は私の思考の力を見出す
Gerüstet durch die Gotteskräfte,
神諸力によって内支えされているのを、
Die kräftig mir im Innern leben.
そしてその神諸力は私において内側で力強く生きている。
最初の2行の主役は「生成快」です。これは私の「快」ではなく、何かが出来上がっていくこと自体の快感と言えるでしょう。そして、この季節からはそれがますます活発になっていきます。それがまさに世界=外界から生まれ出ようとしていて、さらには種々の感覚界の物体=仮象をリフレッシュさせていきます。
さらにはその生成快に思考の力が出会うように促します。そしてその私の思考の力は、私の中に力強く生きている神諸力によって内支えされているのです。また、そうした支えがあるのは、冬の内的な体験があってこそです。
意味に着目して語順を変えてみましょう。
生成快が、感覚仮象をリフレッシュさせつつ、
世界母膝から発生しようとしている。
生成快は
私の内側で力強く生きている神諸力によって
私の思考の力が内支えされているのを見出す。
復活祭後;第48週、1913年3月2日~3月8日
Im Lichte, das aus Weltenhöhen
光の中で、 その光は世界高みから
Der Seele machtvoll fliessen will,
魂に威力十分に流れ込まんとする、
Erscheine, lösend Seelenrätsel,
魂的謎を解きつつ、現れよ
Des Weltendenkens Sicherheit,
世界思考という確実さが、
Versammelnd seiner Strahlen Macht,
世界思考の放射の威力を集めつつ、
Im Menschenherzen Leibe weckend.
人的心の中に愛を目覚めさせつつ。
骨組みに当たる主たる文に挿入的内容が組み込まれています。それについてのシュタイナーの意図まではつかめません。
骨組みは「光の中に、確実さが、現われよ」です。
その「光」は「世界の高みから、魂に威力十分に流れ込まんとする(光)」によって修飾されますし、「現れよ」には「魂的謎を解きつつ」が付帯し、「確実さ」を「世界思想という」が修飾します。
終わりの2行もそれぞれ修飾句で、時間的、空間的、論理的な関連性を示すことなく、単に状況が併記される印象があります。冒頭の「光の中で」はこの詩全体につながるので、「世界思考の放射の威力を集めつつ」も「人的心の中に愛を目覚めさせつつ」もこの光の中で行われると捉えられます。
意味のつながりを重視して語順を入れ替えると、次のようになります。
世界の高みから魂に威力十分に流れ込まんとする光の中に、
魂的謎を解きつつ、
世界思考という確実さが現れよ、
世界思考の放射の威力を集めつつ、
人的心の中に愛を目覚めさせつつ。
復活祭後;第49週、1913年3月9日~3月15日
Ich fühle Kraft des Weltenseins:
私は世界存在の力を感じる:
So spricht Gedankenklarheit,
思想明晰性がそう語る、
Gedekend eignen Geistes Wachsen
自らの霊の成長を(下行で)思いつつ
In finstern Weltennächten
暗闇の世界夜の中で
Und neigt dem nahen Weltentage
そして近づいた世界昼に傾ける
Des Innern Hoffungsstrahlen.
内なる希望放射を。
1行目は思想明晰性によって語られる内容で「私は世界存在の力を感じる」とあります。ここでの「力」は行使される力(Kraft)であり、存在としての力(Macht)ではありません。春になって世界存在が種々の存在物を生成していく力そのものを感じとります。
訳者はGedankenを一貫して、世界生成の設計図であると共に世界生成の原動力と考え、そのように訳してきました。そしてここでは、Gedankenklarheit と Klarheit(明晰さ)という語と熟語にされています。ですので、世界生成の設計図と原動力という中でも、設計図に重点が置かれた表現だと考えます。そうした設計図が「世界存在の力」を感じ取るというのですから、存在への原動力が高まっていることがわかります。しかも過ぎゆく「世界夜の中での自らの霊の成長をいわば振り返っています。そして近い未来、つまり世界昼に向けては、内なる希望放射を向けていきます。
「私は世界存在の力を感じる」と、
思想明晰性が、
暗闇の世界夜の中での自らの霊の成長を思いつつ
語る、
そして近づいた世界昼に、内なる希望放射を傾ける。
復活祭後;第50週、1913年3月16日~3月22日
Es spricht zum Menschen-Ich,
それが人間-自我に語りかける、
Sich machtvoll offenbarend
自らを威力豊かに開示しつつ
Und seines Wesens Kräfte lösend,
その(自我の)本質の諸力を解放しつつ、
Des Weltendaseins Werdelust:
世界存在の生成快が:
In dich mein Leben tragend
お前(自我)の中に私の命を受け担うことで
Aus seinem Zauberbanne,
その(自我の)魔法的呪縛から(離れ)、
Erreiche ich mein wahres Ziel.
私は私の真の目標に到達する。
全体の主語は4行目の生成快(Werdelust、生成することの喜び)です。それが人間自我に語りかけますが、その状況を「自らを威力豊かに開示しつつ」と「その本質の諸力を開放しつつ」の二通りで修飾します。
そして5から7行目は「生成快」が語る内容で、その中心は「私は私の真の目標に到達する」で、そこに付帯的に「自我の魔法的呪縛から離れ、自我の中に生成快の命を担いつつ」がそれを修飾します。
語順を変えて整理するとおよそ次のようになります。
世界存在の生成快が、
自我の本質の諸力を解放しつつ、
自らを威力豊かに開示しつつ、
人間-自我に語りかける:
「自我の魔法的呪縛から離れ、
お前(自我)の中に私の命を受け担うことで
私は私の真の目標に到達する」と。
復活祭後;第51週、1913年3月23日~3月29日
Ins Innere des Menschenwesens
人間存在の内側へと
Ergießt der Sinne Reichtum sich,
感覚知覚の豊かさが注ぎ込まれる、
Es findet sich der Weltengeist
世界霊は自らを見出す
Im Spiegelbild des Menschenauges,
人間眼という鏡像の中に、
Das seine Kraft aus ihm
その人間眼は自分の力を世界霊から
Sich neu erschaffen muß.
新しく創造する必要がある。
1,2行目では、感覚界の事柄が人間の本質に流れ込みます。つまり、春になりさまざまな自然現象が人間の眼前に展開していきます。
ところが3、4行目では世界霊の側からの事柄が述べられます。人間の眼に世界霊が自らの鏡像を見出すというのです。そして、5、6行目はその人間の眼を説明します。眼は世界霊からその力を新たに創造する必要があると。つまり、感覚知覚の側から受け取るだけでなく、力を新たに創造する必要がありますし、そのためには世界霊とつながらなくてはなりません。その力は世界霊が与えてくれるものではないのです。
復活祭後;第52週、1913年3月30日~
Wenn aus den Seelentiefen
魂深から
Der Geist sich wendet zu dem Weltensein
霊が世界存在へと自らを向けるとき
Und Schönheit quillt aus Raumesweiten,
そして美自体が空間的広がりから溢れ出るとき、
Dann zieht aus Himmelsfernen
そのとき天遠方から入り込む
Des Lebens Kraft in Menschenleiber
命の力が人間身体の中に
Und einet, machtvoll wirkend,
そして一体にする、 威力豊に作用しつつ、
Des Geistes Wesen mit dem Menschensein.
霊の本質を人間存在と。
2つの条件が満たされたときと、2つの事柄が「命の力」によって成就するという構造になっています。
その条件とは、「魂の深みから霊(あるいは、霊そのもの)が世界存在へと自らを向ける」と「美自体が空間的広がりから溢れ出るとき」です。
そこで成就されることは「人間身体に命の力が天遠方から引き込んでくること」であり、もう一つは「命の力が威力豊かに作用しつつ、霊の本質と人間存在とを一体にする」のです。
語順を変えて意味をより明確にしておきます。
魂深から、霊が世界存在へと自らを向けるとき
そして美自体が空間的広がりから溢れ出るとき、
そのとき命の力が、天遠方から人間身体の中に入り込み
そして 威力豊に作用しつつ、霊の本質を人間存在とを一体にする。
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