神話に出てくる桃(とネクタリン)の話
ネクター というと、ピュレ状の桃ジュースのことだと思う人が多いと思います。甘くて濃厚で、おいしいですよね。
でも、ネクターは桃のことではなく、ギリシャ語で神々の飲物を意味する「ネクトル」が語源なんです。蜜より甘くかぐわしいと言われ、不老不死の薬でもあったとか。桃の仲間の「ネクタリン」も、ネクターから。
ギリシャ神話の世界だけでなく、桃は神聖な食物と思われていたようです。
日本の神話つまり古事記にも、桃は登場します。亡き妻イザナミ神を追って、イザナギ神が黄泉の国を訪ねていく話があります。一緒に帰ろうと言うイザナギ神に、黄泉の国の食べ物を口にしてしまったから帰れないというイザナミ神。けっして覗かずここで待っていてほしい、と言い残して奥に消えますが、いつまでたっても現れません。しびれを切らしたイザナギ神が奥を覗くと、恐ろしい姿のイザナミ神を見てしまい、慌てて逃げだします。
黄泉の国の追手から逃げながら、イザナギ神が放り出す食物が興味深いのです。つる草でできた髪飾りを投げれば、山ぶどう。竹でできた櫛を投げれば、筍。最後は、黄泉比良坂のふもとに生えていた桃の木から三つ実を取って投げると、追手の雷神は黄泉の国に帰って行きました。
このことから、桃は「意富加牟豆美命」(オオカムズミノミコト)と、神様の名で呼ばれています。
日本の昔話「ももたろう」に出てくるのも象徴的です。今では、川から流れてきた桃が二つに割れて中から生まれたのが桃太郎、ということになっていますが、昔は違ったようです。拾った桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返り、その結果子どもが生まれた、というのです。桃は、不老長寿をもたらす果物とされてきました。おじいさんおばあさんといっても、おそらく四十代くらいだったと思うので、これはありそうな話ですよね。
桃を「仙果」と考えるのは、おそらく中国から入ってきたもので、邪気を祓い不老長寿をもたらすと言われていました。古代中国の人々にとって、桃は、ギリシア神話のネクターのように、神聖な食べ物だったのでしょう。
中国の女神様である西王母が持っているものといえば、桃。不老不死の薬があると言い伝えられる崑崙山の守り神で長寿の神様、西王母。桃の品種の名前にもなっていますね。西王母の誕生日は三月三日。そう、桃の節句です。
西王母の伝説には桃の出てくるものが多く、漢の武帝が天界から桃を賜る話や、不老不死の実である桃を盗みにくる人の話などがあります。『西遊記』で、孫悟空が食べてしまうのも「蟠桃」という桃でした。
中国の詩人陶淵明の『桃花源記』が出処の「桃源郷」では、桃の花が咲き乱れています。日本人が桜の花を愛すように、古来中国では桃の花が特別のものだったのでしょう。
『三国志演義』では、劉備と張飛、関羽の三人が出会って意気投合し、屋敷の裏の桃園で義兄弟の誓いを交わし酒を飲む「桃園の誓い」というエピソードがあります。
日本だと、こういうとき出てくるのは桃ではなく梅ではないでしょうか。新元号「令和」の出典とされるのは、万葉集「梅花の三十二首并せて序」の序文ですが、これは大宰府長官であった大伴旅人が梅花の宴を開いたときのこと。大宰府といえば、菅原道真を追いかけて行ったという飛梅伝説も有名ですよね。中国の桃のように、日本の梅は、桜と並んで特別な意味をもっているように思います。
ところで、桃という名前は、もともと産毛におおわれているため「毛毛」と書いて「モモ」と読んでいたそうなんです。それに対して、産毛のないつるんとした桃つまりネクタリンですが、油桃とか光桃とも言うそうです。和名はズバイモモ(椿桃)ですが、なぜ椿なのか不思議な気もします。
そういえば、椿にも「西王母」という品種があるようです。桃と椿と西王母。どんなつながりがあるのか、いずれ調べてみたいと思います。