百花
歌百首草じて捨つる綴帖に秋虫のときはさまずも初霜
隅田川読解など出回りて籠目のなかゆいついづる朝鳥
死して鴛鴦となりなむ母子みづくくりぬるは下関海峡
ちろにちろりと口誦さむ世間を花餅白梅そわたさるる
歌人の詩、詩人の歌にふかき岐ありき 寒旱なせり海柘榴市
奈良海柘榴市観音堂にすりへりし石佛供華の杯へみづ減りき
海鞘水物なりしから刻みぬ酢鉢へとあられもなく実柑子の色す
美食家へとゴヤ画集をわたさむをとこふたたり婦人担ぎて
歌の鍵閃けるは焼野を行きて見し瑞穂銀行四条支店
杉並区玉川上水前にさびしきさくら遅冬の面へちらむ
初霜降りし憂ひも深き秋なれどもたちぬればや瞬きぬ六花
水精靈はをみななりしか海嘯へながれつきたるたてごとと頸
泉鏡磨きてゆける綾羅なす迦陵頻伽のほそきのみどす
慙愧をもはば残酷たりし末花を物語せる星闇の部屋へ
天球の滑車ぞいぞや手繰りすは天文刺繍室へのつなぎいと
猟奇小説集へ靑き罌粟はも一抹の塩ふふみひずみぬ
系統樹へ翳せまり万朶なす若葉せめぎぬればやひとひらに蝶
地球儀は煉獄の夏へ至りルネサンスのダヴィンチの頭部そ円をなし
二十世紀梨切りつつもふとレオナルド・ダ・ヴィンチ子宮内胎嬰図
動物の起源昔に羊生れる一樹なしや博物便覧の自然史に
調律師は死せり音立てて萌黄色の襯衣あかきをしたたらせ
鍵盤のうへを這ひまはる蟻は運ぶ揚帆舟なす死蝶の翅を
一室に籠められて冬の炎なす窓縁へ燃ゆる眞昼のピアノ
洋傘修繕工の少年は骨束ね口づけり、死の際へ臥すゆくすゑ
靑年愛されて咽喉許へ詰襟の海芋のあざなへりきづな
さくらばな秀歌百選選者歌人某氏へと零る冬霙
ことばを憎しみてこそ歌人 ひひらぎの花冬庭ゆこぼれり
桐の花そののちを明るみて西行へ薔薇のうた一首もなき
告天子ひるがへり群天使の坩堝へ墜ちし光芒す影像図
日のひかりに犯され立てり靑年の一抹の銀梅の花散らば
死の際にこそ明るめる光ありぬ第九惑星冥王星稜線
星無夜掛井の花は匂へるに雲の底井をはしり駒若し
石山寺縁起絵巻七巻へ白駒あり水際ゆ現はる
騎士と死と悪魔と二頭つれだちて馬白鬚を垂らしゆくゑに
アルブレヒト・デューラ―版画展へ黑き森あるは騎士らのかばね
晒れかうべ窩くらやみゆ生ひしかは竹生狗尾図笹叢なしぬ
いよよ細まりゆきし馬脚四つ汽罐車両のごと湯気を吐きて
ダリ画集に埃の花を綴づるまでアメリカの夢とは簡単である
螽斯こゑす室内交響樂に魔の音樂兆す弓弦馬手にし
音樂堂扇形なりしへ指揮臺の指の先なるオルケストラは
されどいにしへの戀この世のほかに時経つも逢ふ身そあらまし
はつと舞扇落したり紅葉図にみづのかがみ泛ばれず一葉
斑落葉ふみわけゆきしひともかれて間遠くなりけり敷妙の路
比叡山紅葉折しも絹笠のうへたまみづはふりかかりけり
月へ雲す霹靂のもとへ紫紺なる十重二十重なす藤の花垣
折からに思ふ山垣のくづれしへ山吹の花なさざりき身を
駒込の馬つなぎゐし宿寝へと草枕へ立つ健尊
大和へと靡かふ葦野ゆめゆかず秋津洲とはなきがらなす月
延暦寺へ佛頭はひしめきし佛葛刎ねおとしきはいづれの手なる
両界曼荼羅図かたへへと昔比丘比丘尼あまたありし布笠へかほ
ひと秋をうしなへる中天の甕月を芒種のこらず刈敷ののち
世の秋のいつとは見ざれど蘿蔔の菜虫譜へと松虫のこゑ
出雲歴史博物館所蔵荒神谷五号銅矛へ討たるるは火矢
國譲りてふ色の間攘夷とはまがしき矢楯めぐらしむ関
気高郡靑谷町へと水無川はあらむかさざれ石敷きて橋立
卒塔婆町寺町に地蔵菩薩立ち鉦叩きのこゑす 絶ゑき
山鳥よ暗きはいついつ絶ゆる籠屋に百籠目なす花筐
告天子薄明の雲の涌きぬゆゑ花窓に透かしき宵明けむ
佛草消ぬも世のつねなればこそ紫衣の僧都の薄衣の面
冬晒れに調律師はなれたるピアノ傾きて受く諸諸の手を
さびしきは世間へはらはらと零る玉霰袖ひてずもとどむ
中世の戀歌百首誦すをその鶺鴒のこゑは何をなくとか
わかなおもひいづれかすがのにはだらなりぬる霰にそめば
歌の敵、敵の歌別てる澪標あるなればゆきかへる笹尾舟
八千の尾花蹴散らしたるこのをとこちつとも謹慎しやうともせぬ
舘門へせまりしとか後鳥羽院御集弓手に燭臺たづさへ発ちき
創國之図へ白雄鶏踏み締めてたつ巌谷戸の戸は塞がれをりし
仏法僧のころもうすずみ山の間へかくる笹の葉なみうち 鳴鉦
たれか死をおもはずか世を明るめる月くらきよりくらきへとゆかむ
戰争よりかへらざるもの 仏間へと置かるる極楽鳥の剥製
藍笹の葉さらさらとも降らば末の世へかなしめる菩薩ありける
中尊寺金色堂に虚飾なす菩薩像へと入るからつかぜ
名馬の名「花柑子」さしてはしろき花橘へつながるるかな
笠卒塔婆の百石立ちをれば葬堂へさくらばなひとひらす間
地獄絵草子のごとますらをへ花芥ちりぬ抜刃こそ収むべき
束稲山へしらえぬみよしのの花霞ふところへにほひたてり
武士とはなべて修羅 ずらりと干目刺の眼つらぬるを炙りし
鞍馬寺出奔十六歳にして鞘へ抜身収めき義経 の末
奥州平泉かへらばいのちあらざるも清水へ漬く袖別たずも
水の底にも都を見ざりしにあはれ義経婦もろともに絶ゑし
自然史はノスタルギアへ えも泛ばれずしてたてり五弁花
智慧の牝羊は戴冠せしも豊饒の十月祭には屠らるるとか
「憂愁」の部屋へ立体を眺めては物考ふる天使はありき
雪花結晶幾何学図鑑方敷に眠れるをのこへ零る常霄
六弦琴弓手へとダヴィデに義理の父祖ありき たれか厭へる
うつくしきいけにへを求むゆゑ供犠せしは文明の形代
迷宮建築画家くちふと出づる寓意は牢獄的なりし。人と函
バスティーユへと居住せり。侯爵兼文筆家たるへ逮捕状のち
世界史すゑへいたるとも 金牛宮への路に善意盈つるは
煉獄の夏至へとしろきひるがほは呻けるごとく晒さるるかな
この世とは地獄ならざるうち絶ゑきおみなへしはほほへとふれぬ
少年地獄へかへりせばうちゑまひせる娼屋の格子戸へ
五寸の釘虫をひそめ蟷螂へまなこ寄すなりうはなりの母
鐡釘を打ち据えたりしいつはりの母實の母ゆゑに憎しは
托鉢尼へ鈴な鳴きそ鳴くな鈴虫のなきがら秋草はうづめゐて
秋地獄はとこしなへなる世を遺す悟入悔悟ひとはしらずも
花骨牌にひとつたらざる秋草のしろきはなよりいづる目ならで
黒髪の白髪の母なきははは鳥髪を抜き機を織るなり
陸軍将校らことごとく地獄より追はれ追はれて叫びては消ゆ
地獄の外へ地獄はありぬ喀血す少年菩薩のほそき咽ゆゑ