明治皇帝盛衰記:四,「日露戦争‐始」
帝國の内なる不安ふふらみて侵略す前近代國家へ「満州」
戦争も辞さず 國民昂ぶるへ鐡道網は敷かれつつあらむ
清沈靜のため派兵せる軍、殖民地をめぐり睨めり領土
日英同盟採決されある昏き日を國民は喜びて麺麭膨らます
無鄰菴。臣等はわかれ論らひ暫し見む庭園日蔭に櫻
ロシア開拓會社鴨緑江竜巖浦へ軍事基地築きけり 圧迫
新聞各紙へ言論紛糾しあるときをポグロムの見出刷られき
幸徳秋水開戦派七博士へ告ぐ「学士が思惟は建白の爲ならず」
満州撤兵論の大臣失脚しロシア撤退せざる 開戦を叫ぶ民
日露交渉断絶ののちシベリア鐡道工事夫へ兆す憎しみ
戦争費ふくれあがりぬ時に金融資本財団の一聲 借財
包囲後に殲滅とあり作戦のつとおそろし喉込み上ぐる酸に
ふたたび大本営。大和心のををしさは凶しき軍たて異邦ゆく
皇帝平和を説けど血煙りへけぶる従軍記章へ菊花
開戦。直接戦闘始まりぬ矢継早なる敵艦二隻 撃沈
宣戦之布告前奇襲攻撃す日本帝國軍へ焦燥もあらむ
ウラジオストク。氷床に沖ひびわれて敵艦計八隻を視認す
市街地へ砲撃の音くぐもりてひびく五十分のち射撃の已みぬ
撤退後旅順へと集結す艦隊。双方へ告ぐあとかたのぬかるみ
旅順駐留旗艦ペトロパヴロフスク司令官諸共に沈めき、引き返せずは
鴨緑江會戦之図 渡河のちに騎兵隊火銃の弾撃ち交す戰場へ
忠靈塔に祀られざる人草ありて山櫻八重くれなゐに累ぬ死
南山‐金州城同時攻撃趨勢を分くるもの、なきがらの寡多
塹壕へ跳ぬる機銃の弾受けて犇犇たらむ向日葵へ蜂巣
死者四千名 訊き確かむるへ軍閣退かば終るならず、陛下へ
得利寺、大石橋戰勝 越境軍は征き征きて死地を目指したり
旅順要塞攻城戦 すれちがふ陸・海軍に作戦案各々へ名跡
ロシア・バルチック艦隊東征 海軍軍令部しぶしぶと陸軍の参与へ 肯
満州軍総司令部設置総指揮権おほきみより委譲さるに軍、椅子ならべ
黄海沖へ多数隻艇泛びつつ砲撃に沈黙す、白旗死のごと眞白
ウラジオストク艦隊東京湾へ霞み見ゆ 民衆、中将宅へ石投げ
蔚山沖海戦之図 砲撃をのがれゆく艦執拗に追へり日本海軍
遼陽地上戦 四万名のしかばねへ草生ふる城壁にへだて死
沙河戦線膠着し両軍にらみあふ冬に入るまで窶せ 兵隊
旅順要塞攻囲石壁巡るへと砲口はおびただしくもひらけり
平野へと散らばりをりぬなきがらに兵帽割れ 突撃す死地へ
総攻撃二度繰り返すも陥落ならず標的二〇三高地へ 固執
御前会議。指揮系統のちぐはぐすままなしくづしに進めり師団
砲臺の許へ死者達うづたかく積めり 酸鼻なす戦死のち占拠す
「水師営之會見」たなびける日章旗の下 辺にこそ死なめ、とは