明治皇帝盛衰記:二,
さまざまの國旗交差しある夜夜を走れり海底電線のつな
國王午餐會中止さるのちに服喪アレクサンドル二世暗殺の爆弾
北海道葡萄園行幸みちすがら伯母薨去、米大統領暗殺の報
政変の噂飛び交ふ市場へと兌換紙幣はかけがへなき銀、金へ
「事変を煽し國安を害する者あらば」処するに國議会を以て検せり
軍人勅諭なまよみにして陸軍卿大山巌某拝受す
「わが國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ」「わが」おきどころとは
不平等条約解消ならず苛苛と指机たたくも打電「朝鮮へ反乱あり」
朝鮮日本公使館花房義質公文書へとしたたらす燈油 逃走
清國介入にしづまれる國を擱きて帝國へ燃えあがる愛國
右大臣零る遅櫻岩倉の死へと國葬三日静かなり廃朝
すさまじき舞踏嫌ひの皇帝が臨御せり。鹿鳴館婦人慈善會
仮面舞踏會。女男ヴェネツィア風洋装に縺れたる後髪
隣國おだやかならざるときを高祖父へ諡号贈りきに「天皇」
横濱丸厳島行幸図ふるびたる神祇ゆ寺院そぎはなされて
最后の行幸終へしに終ぞ琉球國にはおとづれざりき皇帝
内閣総理大臣指名 降されき華族太政官へ迫る日の陰
英国貨物船沈没膚の色へだてて救はれざる者 誰が救ふ
治外法権改正案を巡りて対立す臣等一枚巖ならず辞職 受理す
憲法草案起草より三年経て皇帝に上奏さるプロイセン式法典
皇室典範に断たれたり女帝系譜は婿などゆめ迎へざる、か
第四皇子薨去など擱き陛下は政治へとのめりこみつつある
明治宮殿落成 千種の間へ百花百菜図うちてらす華燭吊り
宮殿正殿に対の玉座ありき皇帝と后妃並めて距離あり
赤黒の間 憲法告文上奏す一声に随ひき左翼諸侯、右翼に外交團
紀元節に三度告文奏されて鐘鳴り響く 國家創始之図
観兵式 六頭儀装馬車へ万歳あぐるは既にも國民なり
秋季皇靈祭 不平等条約改正案さぐりつつ耳打てる臣は
条約改正ならず 大隈卿投げられし爆弾にて片足へ
憂國のゆくへは問はず 内閣総辞職ののちの断絶も
服喪たてつづけののちに骨子ナポレオン法民法草案公布
鳥羽港。陸海軍合同演習に騎乗せし皇帝ありき濡ちつつ驟雨
秋琴楼晩餐會に國國の使節迎へ髪色戴ききをのをのに
京都御所。はなふるさとへ鶯の盛りにも衰へそめしかおほきみ
衆議院議員選挙約三百議席争へる民権 下賜をせり議長に
帝國議會開院 富國強兵論推進す政府と擦れ違ふ党員と
第一議會譲歩す果に成立せり相寄る國と民立ち会ひて君
教育勅語始めに箴言とありき宸襟の置所こそ恐ろし
「國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源此ニ存ス」皇祖創國の徳とは
「朕璽臣民ト倶ニ」皇帝の衍義読み下しをりし教師も
皇帝の風邪 御金罫紙にしたためき勅辞臣へと下賜して帰る
流行性感冒猛威四十日病床にきく側近二名の死を
護國寺 國葬の列を送りしへ「わが世をまもれ」御製零る霙
ロシア皇帝第一皇子ニコライ皇太子訪日す 長崎港
午餐閉室 庁舎ゆ歩きゆく影へ護衛警官並びゐて そのとき
右の耳朶斬り付けられし皇太子と警官のサーベル一刀へ雪崩る警護隊
京都常盤旅館見舞図にこやかに擦れ違ふ皇子、日本皇帝
午餐會に軍艦ありき煙草寄せいと苦しく高く笑ふ皇は
津田三蔵懲役囚「注意シテ速ヤカニ処分スベシ」勅辞ゆくへに
恐露思想狂人ひとり生み陛下の爲に断ぜらる 無期懲役に