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どうすればよかったか?【感想】お父さんは昭和の精神病院に何を見たのか
統合失調症関連作品感想文集ーno.22
映画「どうすればよかったか?」
医学生だったときに統合失調症を発症し、60代で癌で亡くなった「まこちゃん」。
彼女と家族の姿を、弟である藤野知明監督が20年にわたり撮影しつづけたドキュメンタリーだ。
まこちゃんを愛してやまない両親は、なぜか頑なに病気を否認し治療を受けさせなかった。
その本当の理由は最後まで分からない。
姉に治療を受けさせたいという監督の願いが叶ったのは25年後だった。
私は中学生のころ繰り返す妄想知覚と幻聴に苦しみ、それが消失した後も今に至るまで神経の疲れやすい人間だ。
監督と同じく統合失調症をもつ人の家族でもある。
そしてまこちゃんと同じ頃に私も医学生になり、精神科医になり、今は統合失調症カフェの活動をしている。
統合失調症とともに同時代を生きた者として、本作には感じることがありすぎてまとまらない。
ただ、当時の精神病院を知る立場から伝えたい視点が一つある。
―お父さんは昭和の精神病院(※)に何を見たのかー
まこちゃん24歳、最初の入院の日。
ひどく混乱した様子にお母さんが救急車を呼び、単身赴任していた医学者のお父さんに電話で相談したところ、お父さんは教え子がやっている精神病院の受診を指示した。
「救急車なんて帰ってもらえ」でも「一般救急に運んでもらえ」でもなく。
つまりこの時点ではお父さんは精神疾患を疑い、精神医療を頼ろうとしたように見える。
ところが、翌日その病院にまこちゃんに会いに行って以来、お父さんは頑強に精神疾患を否認し治療を避けるようになった。お母さんも同調する。
病院で何があったのか。
お父さんと担当医が何を話したのかは分からない。
しかしお父さんが見ただろう景色は想像できる。
昭和の精神病院だ。
お父さんは医学者でも専門が他分野で、精神病院の内情には通じていなかっただろう。
昭和末期、他科の病院は十分に近代的だったし、お父さんはその時点で20年以上最先端の研究に従事してきた人だ。
ときが止まったような精神病院のありように心の準備のないまま、そこに娘がいる場面を目撃したのではないか。
当時の精神病院は、人が尊厳を保つことの難しい場所だった。
なにも悪徳病院に限った話ではない。
施錠された厚い鉄扉のむこうに大部屋がある。
4人部屋中心の今とちがい、病院によっては20人もが1室で暮らしていた。
和室に雑魚寝か、野戦病院のようにベッドがずらりと詰め込まれている。
カーテンなど個々の仕切りはなくプライバシーは皆無。
人生の大半を閉鎖病棟で過ごさざるを得なかった人たちがたたずむ。
病棟全体に漂う収容と管理の空気。
奥には保護室がある。
鉄格子のはまった薄暗く狭い部屋。
床にじかに敷かれた布団。そのすぐ側に埋め込まれたむき出しの和式便器に囲いはない。
そこに娘がいる光景に立ちすくむお父さんを、私は想う。
―こんなところに入れてしまったー
勝手な想像にすぎないが、生涯忘れ得ない衝撃と後悔、自責を刻印されたかもしれないと思う。
監督がお母さんに、姉には治療が必要だと迫ったとき、お母さんはこう返した。
「パパが死ぬよ」
お父さんが死ぬほど避けたかったものは何だったのか。
両親の本当の思いは誰にも分からない。
映画の終盤、監督がお父さんに問いを重ねる場面がある。
長年家族であった監督にさえ、両親の行動の動機は明らかでない。
まして我々観客に分かるはずもない。
まこちゃんから治療を受ける権利を奪い、生き方を自分で選ぶ機会を遠ざけたことは重い。
そこまでした理由は一つではなく、いろいろな要因が出口のない網のようにからまっていたことだろう。
ただ私は、両親のたった1日での豹変とその後のあまりの頑固さに、深い心の傷を想像してしまうのだ。
平成に入って精神科病院は綺麗になった。
開放化が進み大部屋は姿を消し、鉄格子は強化ガラスに変わった。
新しい治療薬が登場し、入院期間も短くなった。
街にメンタルクリニックができ、統合失調症は悪化時を除き外来治療が基本となった。
支援機関は爆発的に増えた。
そんな今でも、多くの家庭に声にならない「どうすればよかったか」が沈殿している。
事情はさまざまだ。
映画とは逆に、親が支援を求めてもかなわないことも多い。
絶望した人はもう助けを求めることもない。
そんな人たちにこの映画が届くようにと願う。
おそらく監督もそう願って記録を公開してくださったのだと思う。
「どうすればよかったか」
私たちの社会に欠けているものを埋める作業を続けるしかない。
欠けているものは多すぎる。
できることはたくさんある。
※現在は呼称が変わり「精神科病院」が一般的