プラハでFlexaretを買う
1. プラハ
今年(2019年)2月、週末を利用してプラハに行くことになりました。
東京にいた頃は、仕事の合間を縫い、年に2回、3回と、たとえ数日間の短い休暇でも長時間飛行の労を惜しまず頻繁に訪れていたプラハ。それほど熱を上げていたプラハですが、ドイツに移住して以来、とんとご無沙汰していました。今回のプラハは、なんと、10年ぶり。ドイツに移住して以来、時間に余裕を持って旅行することができるようになったので、例えばピレネー山中の町とか、グレートブリテン島の最北端とか、たっぷり時間をかけないと行けない場所を中心に旅することが多くなったからです。
だからといって、プラハに対する興味が薄れたわけではありません。なんと言っても、チェコは私が写真を始めるきっかけとなったJaromír Funkeの国ですし、Josef Sudek はもちろん、Josef Koudelka、Jan Reichという素晴らしい写真家を次々に輩出した国でもあります。特にJan Reichの写真集はチェコ国外では手に入れるのが難しいので、まだ手にしていない彼の写真集を発見・購入することを、プラハでの大きな目的の一つに据えて、出発を楽しみにしていました。
一見、10年前とはほとんど変わっていないように見えたプラハ。そのプラハで落胆したことは、かつてプラハに来るたびに頻繁にのぞいていた小さな書店の多くが姿を消していたことです。Funkeの写真集を手に取った書店も、Reichのサイン入り写真集を買った書店も、あとかたもなく消えていました。私にとって10年はあっという間でしたが、やはりそれ相応の長い時間が経っているのだということを改めて痛感しました。しかし、もう一箇所、私には当てがありました。プラハでたぶん一番大きな写真店には、確か写真集ばかりを集めた書籍コーナーがあったはず。地図を見なくとも場所は覚えています。夫とともに早速訪れてみました。
2. Miloslav Kubeš
写真店の書籍コーナーは私の記憶のまま、そこにありました。それまで消えてしまったものの影ばかり追っていたので、写真店の変わらぬ店構えを見た時は本当に嬉しく思いました。早速書棚を物色して、初めて目にするJan Reichの写真集を購入することにしました。この本を手にして会計をすませるために入り口近くにあるレジに向おうとすると、後ろから「すみません」と声をかけられました。書籍コーナー担当のスタッフでした。「プラハに来た人々は、みな口々にSudek、Sudekと言います。しかし、あなたはJan Reichの写真集を手になさっています。チェコの写真家はSudekだけではありません。もしお時間があったら、少しチェコの写真家をご紹介させていただけませんか」
「私は英語はそれほど上手くないのですが」と言いながら、そのスタッフは様々な写真集を書棚から取り出しては、簡単な説明を加え、一冊ずつ私たちの目の前に置いていきます。そして数冊写真集を重ねると、こう言いました。
「あそこに椅子とテーブルがあります。もしよろしかったら、そこに座ってゆっくり写真集をご覧になってください」
私たちはその言葉に甘え、椅子に腰掛け、ゆっくり写真集を見ることにしました。どれも本当に素晴らしい写真集ばかりでしたが、その中でも私が最も素晴らしいと思ったのはMiloslav Kubeš(1927-2008)の写真集でした。彼は職業写真家ではありません。生前は大学で哲学を教えていたのだとか。彼の死後、友人が残された膨大なネガを整理しまとめたものが、この写真集でした。私は迷わずこの写真集を買って帰りました。ホテルに戻り、写真集の前書きに目を通すと、写真集にまとめられている写真はKubešが全てFlexaretで撮影したものだと書いてありました。
私にとって二眼レフといえば、RolleiflexかRolleicord。実は、Mamiya C220やMinolta Autocordで撮られた素敵な写真をSNSなどで見て、これらのカメラを購入し使ってみたこともありましたが、結局しっくりせず2台とも短い期間手元に置いただけで手放してしまいました。最初にハイエンド機に手を出してしまった功罪なのかもしれない。ずっとそう思っていました。が、俄然ここでFlexaretに対する興味が芽生えます。確か写真店の奥には、中古カメラを扱う広いコーナーがあったはず。
翌日、私たちは再びこの写真店を訪れました。
3. Flexaret
その日は土曜日で、前日の書籍担当者は不在でしたが、中古カメラコーナーはやはり10年前と変わらぬ姿で店の奥にありました。その最も奥のショーウィンドウにFlexaretがズラリと並んでいます。Kubešの写真集を見た段階で私はFlexaretを買うことをほぼ決めていたようなものですが、それでもやはりMamiya C220やMinolta Autocordのことを思い出し、本当に買うべきか少し迷いました。Rollei以外の二眼レフを買っても、結局、またすぐに手放しでしまうのではないだろうか。購入の決め手となったのは、夫が言った「うちにはもう必要ないカメラが何台もある。だからもう一台増えたからと言って、それほど大きな問題にはならない」という言葉でした。
そして、その時買ったFlexaretに、やはりその店で買ったFomapan 400をすぐさま入れ、最初に撮影した写真が以下のプラハの風景です。長く上手く付き合っていけるカメラは、最初の一本を撮った時に、必ず「よろしくね」と素敵な写真を私にプレゼントしてくれます。そして、Flexaretは間違いなく、私に「これから、よろしくね」と言ってくれたように思います。
Rollei以外で、初めて一緒に写真を撮っていけそうな二眼レフに出会ったかもしれない。今ではそう思っています。次にプラハへ行く時は、Fomapanを入れたこのFlexaretを一台だけを連れ、写真を撮り歩きたいと思っています。
4. 後記
私に「よろしくね」と言ってくれたFlexaret。しかし、昨年、私はこのカメラを手放してしまいました。自分でも予想もしなかったほど急速に目が悪くなってしまったからです。私が長年使い続けているRolleiflex 2.8Fと比べると、Flexaretのファインダーはものすごく暗いのです。少しでも暗い場所へ行くと四隅が全く確認できなくなってしまいます。当時はそれを織り込み済みで購入しました。ところが視力が落ちた結果、ついにはピントの山を掴むのも難しくなりました。それでも、蒐集品としてこのカメラを手元に残しておくことも考えました。しかし、ファインダーの暗さを残せばこのカメラの程度はかなり良く、しかも問題なく写真を撮ることができるのです。このまま殆ど使わずに放置しておいて、カビなど生やしてしまったら、過去からの貴重な遺産(私にとっては古いフィルム・カメラはみな遺産なのです)を台無しにしてしまうことになるのではないか。そういう考えが頭を離れず、ついには手放してしまったのです。
今でもこの判断は間違っていなかったと思っているのですが、Flexaretで撮影した写真を見返すたびに、薄っすらと後悔の気持ちが浮かんできます。
冒頭にカッコ書きで記したように、この記事は2019年に書きました。その翌年にコロナウィルスがヨーロッパに広まって以来、再びプラハとご無沙汰しています。しかし、遅かれ早かれ私は再びプラハへ行くと思います。そしてプラハへ行ったらあのカメラ店に立ち寄るに違いありません。Miloslav Kubešを紹介してくださったスタッフに再びお会いできるでしょうか。そして、私は中古カメラを並べた店の奥へ足を踏み入れるでしょう。Flexaretが並んでいるのを見たら、再び私はこのカメラを買ってしまうのではないか。そんな予感もしています。
(この記事は、2019年7月17日にブログに投稿した記事に新たに見出しをつけ、後記を書き加えた上で、転載したものです。)