「冬野菜がすくすく芽を出します」
「小春日に 冬野菜遅々 我よ我」
#小春日 #秋暮れる #冬野菜 #小松菜 #菊菜 #ほうれん草
詩人まど・みちおに「魚を食べる」という小文がある。よくあるグルメ自慢ではない。食卓で魚を前にしたときの心の動きを省察した哲学風エッセーだ。一番しんみりするのは丸焼き。その形や目はギリシャ彫刻のように美しく、生を全うした安らぎまで感じると記す。
▼切り身か小魚か。煮るか焼くか。詩人の思考は練り物にも及ぶ。魚の魚らしさを純化したのがかまぼこで「自分の詩もそうあってほしい」と願う。背景に日本人と魚とのつきあいの長さや幅広さがあろう。執筆時は20代後半。生き物への観察眼と共感が、後に「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」を生んだのかもしれない。
▼この秋、北海道など各地の漁港から不漁や大量死といった報道が相次いでいる。秋サケ、イクラ、ししゃも、ウニ……。青森のイカの不漁は、イカを食べる大間マグロの今後を懸念させる。温暖化、海流の変化、乱獲など原因はいろいろだろう。飲食店や物産展ではメニューや商品の変更、値上げの動きも出始めたという。
▼北の海では秋サケの代わりに本来は暖流を好むブリが大量にとれた。ならばそれを売ればいいと単純にはいかない。加工技術も設備も、そもそも単価も違う。「缶詰やら握りずしやら、食卓の魚について書こうと思えばきりがない」と詩人は結んでいる。地域の経済や世界に誇る食文化をどう守るか。知恵の出しどころだ。
Johnnes3-4
Nikodemus sagte zu ihm : Wie kann ein Mensch geboren werden, wenn er alt ist? Kann er zum zweiten Mal in den Leib seiner Mutter gehen und geboren werdent?
(Nikodème lui it: Comment un homme peut-il naître quand il est vieux ? Peut-il une seconde fois entrer dans le ventre de sa mère et naître ? »)